【白川大水害70年】犠牲者200人超 大江校区の取り組みは
- 2023年06月27日
白川大水害から70年
被害が大きかった地区では…
県内を襲った白川大水害から、2023年6月26日で70年。昭和28年1953年の白川大水害では阿蘇を中心に大雨が降ったことで白川が氾濫。死者・行方不明者が422人出た大災害でした。
被害が大きかった熊本市中央区の大江校区では、当時のことを忘れず、再び起こり得る白川の洪水に備えようという取り組みが行われています。
大水害を次の世代に語り継ぐ
「伝承の集い」
白川大水害から70年となるのを前に、白川のほとりで、当時の被害の実態などについて学ぶ会が開かれました。参加したのは、近隣に住む小学生やその親など、 100人弱です。
会では、大江校区に住み、当時小学生で被災した田尻康博さんが自身の体験を語りました。
「夕方5時ごろだったと思いますが、 何気なく玄関のところを見ると土間から20センチくらい水がどっと流れてきたんです」
白川にかかる子飼橋のたもとにある大江校区。
白川大水害では、橋の近くがあふれ、民家130戸が流失し、200人あまりの尊い命が失われました。
「(母は)4歳の弟を背中に背負って私の手をしっかり握って、家から飛び出したんです。ところが水かさが増し、近くの交差点では、私のももくらいまで水が来ました。 私は急流に飲み込まれてしまいました」
「もう駄目かと思った瞬間、道路の反対側に立っていた電柱の鉄の支線を捕まえることができて、なんとか助かったんです」
九死に一生を得た田尻さん。
子どもたちに伝えたいことがありました。
「私たち親子はすでに逃げ遅れの段階で避難し始めた結果、大変危険な目に合いました。何より大江では、死者219人、小学校21人の尊い命が70年前の白川大水害で奪われたのです」
「家に水が来てからも『2階とか上に上がれば大丈夫』と思っている内に流されて亡くなられた人も大勢いるんです。過去の水害で自分の家は大丈夫だったからではダメなんです。日ごろの何もない時からしっかり考えて、洪水になったらどこに誰と逃げるかということをしっかり考えておくことですね」
参加者した小学生や親は。
小学4年生の男の子
「怖かったです。起こったときに備えて避難場所とかを確認しておこうと思いました」
小学生の子どもと参加した女性
「実際にやっぱり体験した方の話を聞くと思うところがありました。帰ってみて、子供たちと一緒にまた話してみたいなと思っています」
小学生の子どもと参加した女性
「(子どもたちは)今の広くなった白川の穏やかな状況しか知らないと思うので、災害のときの勉強を小学校の小さいうちから学んでいくことはとても大事なんじゃないかなと思います」
主催した大江校区防災連絡会会長 、一木和彦さんはこう話します。
「伝承の集いということで特に子供たちに来て欲しかった。地域のおじさんおばさんからこの地域というのが過去にこういうことがあったという事実を知って教えておくと。それがやはり次の子供たちを守るために非常に重要です。防災文化というか、そういうのを芽生えさせていくことが必要」
災害について学んだ子どもたちが親に話し、親は子どもたちから聞いた話を調べる。そうして親子で防災について考える日を年に何日か設けることで、地域全体の防災意識の向上につながると、一木さんは考えています。
大江校区の取り組みは他にも
大江校区は今も大きく浸水するおそれがあるとされていて、こうした災害の経験を語り継ぐ以外にも、水害への新たな備えに取り組んでいます。
そのうちの1つが「コミュニティタイムライン」です。
「地域」での災害計画づくり
「コミュニティタイムライン」というのは自治会や町内会など、 「地域」での災害時の対応を時系列で計画しておくものです。
例えば、民生委員、町内会、消防団など、グループごとに統一した行動計画、ルールをつくることで、地域住民のスムーズな防災行動につながります。
大江校区では、民生委員や自主防災クラブ、消防団など普段防災活動に取り組む人たちが集まって話し合いを行いました。
防災の専門家のアドバイスを取り入れながら、気象警報や河川、避難の情報に応じて、どのタイミングでどんな行動をとればいいのか考えました。
コミュニティタイムラインには
①いざというときに自分のすべき行動が明確になり、落ち着いて行動できる
②災害支援にあたる他の団体が何をしているか一目で分かり、連携しやすい
などのメリットがあるといいます。
大江校区が定めた
「支援をやめるタイミング」
さらに、大江校区のコミュニティタイムラインでは新たな工夫がされていました。それは、「避難の支援をやめるタイミング」を決めたことです。
民生委員は警戒レベル3・高齢者等避難が発令されたら活動を中断して安全な場所へ移動。自主防災組織は警戒レベル4まで。消防団は退避基準を設けず、市の消防局の指示に従って活動を行うと定めました。
こうした基準を定めたのには理由がありました。
「支援者が亡くなる」のを防ぎたい
支援をやめるタイミングを定めた背景には、支援者が危険な状況でも助けにいき、命を落とすケースが相次いでいることがあります。
おととし、長崎県では、大雨の際に近所の家に向かったとみられる民生委員が亡くなりました。
また今月も、線状降水帯が発生した和歌山県で、避難を手伝っていた男性が亡くなりました。
専門家の研究では、周囲の人の避難を手助けするなどの防災行動をとって亡くなる人が、風水害による犠牲者の1割近くにのぼっているといいます。
コミュニティタイムラインづくりを呼びかけた一木さんは、この基準を設けた狙いをこう語ります。
「民生委員さんのなかには、レベル3の段階まであるいはレベル4まで自分は電話がかかったら行かざるを得ないという、密な人間関係を持っている人が多い。でも、それで助けに行ってしまえば、その人自身が命を落とすことにつながることもある。退避基準を作ることによって 民生委員たちの身の安全が守れるんです」
「どんな状況になっても助けにいきたいという気持ちになるのは分かるが、だからこそ、彼ら自身の命を守るために、退避基準を決める必要がある」と一木さんは考えています。
あくまで、危険な状況のときは自分では助けに行かずに、消防などの専門機関に情報を引き継いでお願いするようにと、周知しているといいます。
支援を受ける人たちにも共通認識を
コミュニティタイムラインづくりに携わった民生委員の方のなかには、「支援を受ける方にも、なぜ私たちが早めに支援に来たのか理解してもらわないと、きっと支援に行っても動いてもらえないだろう」と不安を口にする方も。
大江校区では、避難に支援が必要な要支援者の方々にも、
「危険な状況になったら支援を受けることができなくなってしまうこと」を周知し、理解してもらうことで、早めに避難する心構えにつなげようとしています。
白川大水害から70年。リスクは過去のものではありません。街なかで起こった大水害の経験を生かし、それぞれが備えをすることが大事です。