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オードリー若林・春日も登場「100カメ×カツオ漁船」の舞台裏

7月22日(土)18:05~NHK総合「100カメ×カツオ漁船」を再放送します!
  • 2023年07月21日

この番組が動き出したのは、2020年10月。
私はその1か月前に、転勤で高知にやってきたばかりだった。

「高知と言えばカツオ!カツオ漁船に100台カメラを仕掛けたらおもしろいんじゃない!?」
そんなシンプルな思いつきから、番組は動き始めた。さっそく高知を代表するカツオ漁船「第83佐賀明神丸」に取材を申し込んだ。
(高知放送局ディレクター 石原智志)

はじめての同行取材

2021年2月、水揚げ港の千葉県勝浦市に向かった。
目的は、実際に船に乗せてもらい、カツオ一本釣り漁の仕組みや漁師の生活を知ること。
この時期は、カツオがまだ南のほうの海域に多くいる季節だった。

出港から3日間、船は移動し続けた。向かっていたのは本州からおよそ1800キロ、日本最東端の南鳥島近くの海域。私はもうこの時点でヘロヘロ。予想以上の揺れで、胃の中は空っぽ、食べ物も受け付けない状態になっていた。

4日目、満を持して始まった漁は圧巻だった。ベテラン漁師たちは7キロを超えるカツオを次々とあげていく。私も竿を握らせてもらったが、重いカツオを持ち上げられず、船のへりにあたって逃げられてしまう始末。コツは船の揺れとカツオの動きを利用することだと教えてくれたが、一朝一夕でうまくいくはずもない。

5日目、6日目・・・も漁が続いた。燃料を費やして遠くに来たからには、一定量のカツオが釣れるまで港には戻れない。大荒れの海の中で、日の出から日の入りまでカツオを探す日が続いた。私は起きても寝ても揺れ続ける船の上で、とにかく時間が過ぎるのを待った。これほど1日、1日が長く感じたことはなかった。結局港に戻ってきたのは、出港から11日目のことだった。
 

取材成果は・・・

11日間の同行取材を経て、ロケの時期を決定。さらにロケに向けて課題を洗い出し、対策を講じた。

2021年9月 ロケを決行!

通常100カメのロケは、カメラの点検やメモリカードの入れ替えに時間がかかるため、技術スタッフとディレクター4~5人体制で臨むことが多いが、今回は船の定員があり、2人体制で行うことになった。今回私といっしょに船に乗り込んだのは、同い年(当時28歳)の村上カメラマン。早朝から夜中まで続くロケのなか、交代で睡眠をとり、カメラを回し続けた。

カメラを置く場所を示した資料の一部
カメラにはスタッフの食事風景も映っていた

2021年10月 編集開始

無事にロケが終わったと喜んでいたのも束の間…
そこから待っていたのは、「目」も「耳」も地獄の編集の日々だった。

総撮影時間は1100時間超。
1つの画面で映像を見ていたら、24時間寝ずに見続けても45日かかる。そこでラッシュ(撮影した映像を見ること)の段階から4画面や8画面の映像をつくり、編集を進めていった。
船の大きなエンジン音のなかでかすかに聞こえる船員の声を、耳をそばだてて聞き取った。

そして、オードリーのスタジオ収録の日。
ふたりはおもしろがってくれるのか…という不安は、すぐに吹き飛んだ。
漁船ロケの経験が豊富なふたりはVTRを前のめりに見てくれ、自身の体験を交えながら、カツオ一本釣り漁のすごさを語ってくれた。
 

計17日間の同行取材で見えてきた漁師の人柄

今回の番組を制作するにあたり、取材で11日、ロケで6日、計17日の航海に同行させてもらった。
そのなかで見えてきた漁師の人柄をご紹介したい。

『制限のある生活でも楽しむ』
ご想像のとおり、海の上はいろんな制限がある。それでも1畳足らずのベッドスペースで録画したテレビや音楽を楽しみ、カツオ漁が終わったあとは自作の仕掛けでイカを釣り、晩酌を楽しむ。たとえ船のなかでも、知恵と工夫次第で楽しみ方はいくらでもあるのだと気づかされた。(船酔いに慣れることが必須条件ではあると思うが・・・)

『家族のために』
航海の終盤。陸が近くなり、スマホの電波が入るようになると、家族に電話する船員の姿をよく見かけた。船の生活は年間300日にも及ぶため、「子どもの運動会に参加できたことがない」という船員も多いが、ベッドスペースに貼った家族の写真見せてくれたり、年末年始の休みには必ず家族旅行に行くと教えてくれたり、家族のために海に出る男たちの思いを感じ取れた。

『インドネシア人が支えるカツオ一本釣り漁』
今回番組でお世話になったカツオ漁船は、船員21人のうち7人がインドネシアからの技能実習生。漁の担い手が減る中で、貴重な戦力になっている。彼らにとっても今は頑張りどころ。お金を貯めてインドネシアに帰り、実現したい夢があるようだった。

私が船酔いでヘロヘロになっているとき、いつも声をかけてくれたのが、隣の部屋で寝ていたユスだった。来日5年目、日本語は達者で、食事の用意ができるたびにカーテンのすき間から「メシできたよ」と教えてくれた。

声をかけてくれたユス

「100カメ」制作を終えて

番組完成まで1年半。私が高知にやってきてからも1年半が経った。
今回の番組を放送するにあたって、この1年半のあいだに高知で知り合ったいろんな方々に連絡をとった。高知で知り合った同世代の友達、取材でお世話になったおじいちゃんおばあちゃん、いつもお弁当を買いに行く定食屋のお父さんお母さん…。
この番組を作り始めたときにはなかった高知とのつながりを、深く感じることができた。 
編集作業は東京で行っていたため、高知の家を2か月空けたこともあった。
久しぶりに高知に帰ってくるとなんだかホッとする自分がいて、この1年半のあいだに高知が大好きになったんだと気づいた。「人」、「自然」、そして、カツオをはじめとする「食」。これからもそんな高知の魅力を発信していきたい。
(この記事は、2022年4月に公開した記事を再構成したものです。)

  • 高知放送局 ディレクター

    石原 智志

    2017年入局
    東京・横浜を経て高知へ

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