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『らんまん』牧野博士の随筆 高知局・千野アナの朗読で

牧野博士の随筆「ナンジャモンジャの真物と偽物」朗読
  • 2023年04月28日

“牧野博士らしさ”満載の随筆を朗読

アナウンサーの千野秀和です。

 四国の皆さん向けに放送している「特集 四国を読む」にて、牧野富太郎 博士の随筆「ナンジャモンジャの真物(しんぶつ)と偽物」を朗読しました。

牧野博士は、学びえた植物の知識を世間に広めたいと、多くの随筆を残しています。今回の「ナンジャモンジャの真物と偽物」もそのひとつ。
実は、日本中にナンジャモンジャの木と呼ばれる樹木がいくつも存在し、本来の植物としての名前がわからないままそう呼ばれていました。これらを博士は「にせもの」と「ほんもの」に分けて、それぞれの正体を明らかにしていきます。そして、なぜ「ナンジャモンジャ」と呼ばれたのかも、ユーモアを交えて教えてくれます。70年以上前の文章ですが、今でも「へえー」となるトリビア満載の随筆です。

ラジオの朗読番組を担当しました!

私の朗読は、番組のホームページでお聞きください。
https://www.nhk.jp/p/rs/N567GL9N9Z/episode/re/3KMM9W931V/

この下に、テキストを掲載しています。博士ならではのユニークな植物語りに触れてみて下さい。 

「ナンジャモンジャの真物と偽物」

 明治の中頃のことであったが、私はその頃まだ東京大学の学生だった池野成一郎と二人で、青山の練兵場に生えていたナンジャモンジャの木の花を採集しようということを話し合い、これを採集にでかけたことがあった。
 その頃、青山練兵場は陸軍の管理地であって、その中に勝手に入ることは許されていなかった。そこで、夜中に採集を強行することにした。
 私たちは人力車夫を傭(やと)ってきて練兵場の中に入り込んだ。私たちはナンジャモンジャの木の花を採集するのが目的だったが、何分木が高くて、登らにゃ採れんので、人力車夫に頼んで木に登らせ、その花枝を折らせた。
 夜中で、人が見ていなかったから自由に採集できたが、昼間ではとてもできない芸当だった。それに、その頃は練兵場も荒れていたので、自由に行動できた。
(中略)
 このナンジャモンジャの木は、その後すっかり有名になり大事にされるようになったが、寿命が尽きて、枯れてしまった。
 私は、この時の戦利品であるナンジャモンジャの花の標品を、今なお私の標本室の中に保存して持っているが、今では得難き記念標品となってしまった。
 ナンジャモンジャとはそもそも、どんなもんじゃというと、それはこんなもんじゃと持ちだされるものがいくつもある。
 ナンジャモンジャという名を聞くと、得体の知れぬもののように見えるが、決してそんなもんじゃない。ナンジャモンジャの木とよばれるものには、正真正銘のナンジャモンジャもあれば、また喰わせもののにせのナンジャモンジャもある。
 まず第一に、にせのナンジャモンジャは、東京青山の練兵場にあったもので、本名をヒトツバタゴという。この木は、天然記念物として保護されたが、今では枯れてしまった。
 この木は中国、朝鮮に多い樹であるが、日本には極めて稀(まれ)である。それが青山練兵場に大樹になって存在したのはすこぶる珍らしい。往時、だれかが、どこからか持ってきて、ここに植えたものにちがいないが、まあよく無事に生きのこっていたものじゃ。この木の立ったところを、昔は六道の辻といったそうだ。それで、この木のことを一つに六道木ともいったもんじゃ。以前は、この木はナンジャモンジャとはいわなかったが、その後、誰かがそういいだしたので、今では学者先生でもそれに釣り込まれて、ナンジャモンジャとよんでいるのはいささか滑稽だ。(中略)
白紙を細かく剪ったような白い花が枝に満ちて咲く。
 第二のにせのナンジャモンジャは、常陸の筑波山にある。これはアブラチャンという落葉灌木で、山林中の平凡な雑木に過ぎない。
 第三のにせのナンジャモンジャは、ヤブニクケイの一変種であるウスバヤブニクケイという木である。肉桂に近いものであるがあのような辛味と佳い香とがない。この木は、四国、九州辺には気候が暖かいせいかよく繁茂している。
 第四のにせのナンジャモンジャは紀伊の国の那智の入り口にあるといわれている。これは、シマクロキともいわれ、ネズミモチに似た木だといわれるが、私はまだ見たことがない。実物を見れば、すぐ判ると思うが残念である。
 第五のにせのナンジャモンジャは、カツラである。この木は伊豆の国、三島町の三島神社境内にあって、俗にナンジャモンジャとよんでいる。昔、将軍家よりおたずねの節、これをナンジャモンジャとお答えしたとかいう伝説がある。
 第六のにせのナンジャモンジャは、イヌザクラである。この木は、武蔵の国、比企郡松山町箭弓街道ぎわの畠中にある。周囲に石の柵をめぐらして碑がたててある。
 第七のにせのナンジャモンジャは、バクチノキだといわれている。
 このほかにも、まだ詮索すれば、いくつかにせのナンジャモンジャがでて来んとも限らない。
まずまずこれで、贋造のナンジャモンジャが済んだ。これからが、本尊のナンジャモンジャの番じゃ。
 本物のナンジャモンジャは一体、どこにあるのじゃ。それは、東京から丑寅の方角に当たって、即ちそこは大利根の流れにのぞむ神崎である。
 神崎は千葉県下総の香取郡にある小さな町で、利根川の岸にある。佐原の手前、郡駅で汽車を降り、少しく歩くと神崎である。
 利根川には渡しがあって、往時江戸から鹿島へ行く時、ここを通ったもんじゃ。この渡しを上るとすぐ神崎の町で、町のうしろに川に臨んでひょうたん形の森があって、木がこんもりと林を成している。この林の中に神崎神社の社殿がある。
 この神社の庭に、昔から名高い正真のナンジャモンジャの木がたってござる。以前には、それが森の上にぬっとそびえて天を摩し、遠くからでも能く見えていたことが、赤松宗旦の『利根川図志』に見られる。
 今から何年か前にこの神木に雷が落ち、雷火のために神殿と共に焼けて枯れた。(中略)
ところが、幸なことには幹は死んだが、その根元から数本のひこばえがでて、今日では枯れて白骨になった親木(中略)
を取り巻いて能く育ち、緑葉榛々(しんしん)たるありさまを呈している。
 先年、池松時和氏が千葉県知事であった当時、たいそうこのナンジャモンジャを大事がり、新たに石の玉垣を造ってこれを擁護したので、今は新築の社殿の脇にもったいらしくその姿を呈(あら)わし、風雨寒暑を凌(しの)いで、このようによく繁茂しているのである。
 このナンジャモンジャの正体は元来なんであるかというと、それは疑いもなくクスノキである。何らふつうのクスノキと変わりはない。このクスがどうして、この辺でそう珍らしく認められたかというと、一体この地方は暖地でなく、かつ利根川の流域は土地が低く、湿っているので、わが国西南地方におけるようにそう頻々(ひんぴん)とその大木を見掛けないので、特に注意をひいたもんではないかと想像する。
 口碑に伝うるところでは、このナンジャモンジャの名は水戸の黄門公が御附けになったのだといわれている。してみると、その名のできたのはそう古いことではなく、徳川四代将軍家綱の時代で、今からざっと三百年ほど前のことであろう。
(中略)
 高田与清(ともきよ)の『鹿島日記』には、
「十九日(文政三年九月)、雨、わたしを渡りてかうさきの神社にまうづ、社の前にナンジャモンジャとよぶ大樹あり、いと年へたる桂の木なりけり」
と書き、
「神代よりしげりてたてる湯津桂さかへゆくらむかぎりしらずも」
の歌が添えてある。しかし、このナンジャモンジャは前にも言ったように正にクスノキそのものである。
 又、同人の『三樹考』には、
「下総の国、香取の郡神崎の神社に、ナンジャモンジャといふ木あり(何ぞや物ぞやの訛なり)。これもヲガタマの一種也」
と出ているが、しかし、この書のオガタマは、今日いうオガタマではなく、クスノキ科に属するヤブニクケイ、シロダモ、タブノキの三種の総称名である。しかし、これはむろん見当違いだ。
 清水浜臣の『房総日記』には、
「神木とてめぐり四丈にあまる大木有、(中略)
ナンジャモンジャといふ、そは百年ばかりのむかし、水戸中納言殿のこのみやしろにまうで給ひしをり、処のものらに此木の名をとはせ給ひしに、人々とかくさだめかねて何ならん物ならんとあらそひしより、かくは名づけしとぞ、まことは八角茴香(ういきょう)となりとかや」
とあって、これは今より百数十年前の文化十二年四月二日の記事の一節であるが、これを八角茴香とはどこから割り出して、こんなとてつもない名を持ち出したものか訳が分からん。元来、八角茴教とはシキミ属の大茴香のことで、ナンジャモンジャとは何の縁もなく、それこそナンジャモンジャモナイモンジャだ。
(中略)
 このように、ナンジャモンジャのことはこれで解決した。とにかく、この神崎のナンジャモンジャは一度は見ておいてよいもので、この本当のナンジャモンジャを知らない人は、ナンジャモンジャを断ずる資格のない者じゃ。この本家本元のナンジャモンジャを見物に一日の清遊を同地にこころみるのもまた一興ではないかと思う。
(中略)
 私は、このようにナンジャモンジャについてその委細を記述し、神崎神社の神庭(かんにわ)に立てるその真物を、世間に発表したことにつき、同社の神官はいたく喜び、その後私が同地に到りし時、当時新たにそのナンジャモンジャの神木に接近して建てた社務所に、特別に招待して、わざわざ山下の酒造家寺田家(中略)
から結構な夜具を運び込み、一夜をその神木と一間位の隣りに近く宿らしてくれた。私はまことに有難く、かつ恐縮し、謹んでその優遇を感謝したことがあったが、今追想するとこれももはや三十年ほどもむかしのことになった。
(2023年 山と渓谷社「牧野富太郎と、山」 底本:1947年「牧野植物随筆」鎌倉書房  作品の著作権は消滅しています)
 

ちなみに作品に登場した「本物のナンジャモンジャの木」、いまも千葉県神崎町の神崎神社にあって、「神崎の大クス」として国の天然記念物に指定されています。
高知市の牧野植物園にも、もともと五台山に生えていたクスノキを守り育てる広場があります。
皆さん、ぜひ一度訪れてみてください。

  • 千野秀和

    高知局 アナウンサー

    千野秀和

    2000年入局/ 1976年生まれ
    リポーターとして現場に
    行くのが大好きです
    2度目の高知勤務、
    より深い魅力を探っていきます!

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