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宮野真守さん熱演『らんまん』牧野富太郎博士の当時の実話は

  • 2023年04月26日

『らんまん』第18回で宮野真守さん演じる民権家・早川逸馬と共に演説台に立った万太郎。モデルの牧野富太郎博士は実際、自由民権運動に参加していたのでしょうか?取材してみると、若き牧野博士の気骨あふれるエピソードがありました。(高知放送局 記者 田中開)

「雑草という草はない」

『らんまん』第4週で描かれているのは、当時の日本に吹き荒れていた「自由民権運動」。

板垣退助のいわゆる「板垣死すとも自由は死せず」でも有名な運動ですが、第18回の『らんまん』では声優の宮野真守さんが演じる民権家・早川逸馬の言葉に、万太郎がつい反論してしまったことがきっかけで、「草」をテーマに万太郎が演説することになります。

万太郎(『らんまん』第18回より)
名もなき草らあ、この世にないき。人がその名を知らんだけじゃ。名を知らんだけじゃなく、毒があるか薬があるか、その草の力を知らん。(中略)根を張って生きゆうがじゃ。根を強う張って、どの草も命をつないでいく」

植物の力強さを論じる万太郎の言葉に結びつけて、宮野さん演じる早川逸馬が「生存の権利」や「天賦人権」など、当時の自由民権運動のキーワードを列挙していくシーンも印象的でしたよね。ちなみに私はディーン・フジオカさん演じる坂本龍馬の名ぜりふ「いらん命らあ、ひとつもない(『らんまん』第3回)」を思い出しました。龍馬に励まされていた幼き万太郎、立派に育って…。

さて、万太郎のモデルで高知県佐川町出身の植物学者・牧野富太郎博士は、実際に「雑草という草はない」という言葉を周囲に残したと伝えられています。その牧野博士は実際、自由民権運動に参加していたのでしょうか?

演説会場で警部をやりこめた?

自由民権運動を長年研究している、高知市立自由民権記念館の筒井秀一館長に話を聞きました。

「牧野博士は当時の活動の中心人物ではありませんでしたが、集会に参加して演説までしたと記録に残っています。ドラマで描かれている万太郎のイメージとは少し違い、はやりの活動に興味を持つ血気盛んな青年という印象ですよ

当時の新聞の記録をたどる限り、牧野博士が自由民権運動に参加した記録は3つだといいます。

①明治14年11月3日(牧野19歳) 
佐川村の小学校で大懇親会が開かれ128人が参加し、牧野が演説
②明治15年4月30日(牧野20歳)
佐川村の公園の集会で牧野が演説
③明治16年9月23日(牧野21歳)
佐川村の神社で「忠臣愛国自由懇親会」が開かれ、牧野が演説

筒井館長によると、明治13年から14年にかけては自由民権運動が山場を迎えていた時期で、牧野博士の演説の内容までうかがい知ることは難しいものの、弁士のひとりとして、当時流行していた運動に積極的に参加していた様子が分かるといいます。

自由民権運動で演説する弁士を描いたイラスト

自由民権記念館 筒井館長
「当時の民権家が記した手紙の中に牧野博士の名前が出てきます。それによると、佐川町で行われた集会に警部クラスの警官が監視に来ていたそうです。そして、牧野博士はその警官を相手取って口論し、やりこめたと書かれています。意気盛んな様子がよく分かるエピソードですね」

当時の牧野博士はどんな感じ?

明治16年撮影の写真 中央が牧野博士(川田家所蔵)

こちらは、明治16年12月、牧野博士が21歳のころに高知県内で撮影された写真です。中央が牧野博士で、そばの2人はいずれも当時の自由民権運動に参加していた若者です。

写真の左に映っているのが山﨑夘子。明治25年の「選挙大干渉」と呼ばれる民権家と反民権家が激しく対立した乱闘の中で命を落とした人物です。また写真の右に映っているのは川田豊太郎という人物で、維新関係の資料を多く収集して地方における図書館事業の先駆けになった名士です。

自由民権記念館 筒井館長
「のちに植物学で大成する牧野博士を含めて、土佐の近代史を代表する3人が一緒に写真におさまっている貴重な写真です。よく見ると牧野博士たちは着物ながら首にストールのようなものを巻いて、それぞれ腕組みでポーズを決めている。若者らしさが出ている写真ですよね」

活動を離れ植物学の道へ

牧野博士の自叙伝にも当時についての記述があります。

「当時は私も政治に関する書物を随分読んだものだ。殊に英国のスペンサアの本などは愛読した。人間は自由で、平等の権利を持つべきであるという主張の下に、日本の政府も自由を尊重する政府でなければいかん。圧制を行う政府は、打倒せねばならんというわけで、そこの村、ここの村で盛んに自由党の懇親会をやり大いに気勢を挙げた」(自叙伝より)

自由民権運動に熱を入れた牧野博士ですが、筒井館長によると、次第に運動から離れて植物学の道に専念したいと考えていたことも伺えるといいます。

自由民権記念館 筒井館長
「本人の記述にもありますが、牧野博士はある時『自分は政治ではなく学問で身を立てよう』と決意して運動から脱退しました。当時運動に参加していた若者の多くは、将来どう生きていくか決まっていない中で活動にのめり込んでいましたが、牧野博士ほどの天才的な専門性があれば、次第に政治から離れていくのは当然なのかもしれませんね」

牧野博士は脱退の時期を明確にしていませんが、筒井館長は、当時の資料から総合的に考えると明治16年には脱退したと考えられるといいます。

また牧野博士は脱退にあたり、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が描かれた大きな旗を作って、越知町の仁淀川の河原で開かれていた集会に乗り込み、脱退の意思を示して大声で歌いながら会場を去ったというエピソードを自叙伝に残しています。

脱退した時の河原はこのあたり…?

筒井館長によると、自叙伝の記述にあう場所といえば、仁淀川が大きく蛇行してできた「今成河原(いまなりがわら)」ひとつだけ。今でも広い河原が残っていて、数百人は集まることができる天然の会場だったということで、牧野博士が住んでいた佐川からも徒歩で行ける距離です。

自由民権記念館 筒井館長
「なぜそんな脱退の仕方をしたのか気になりますよね。私見ですが、牧野博士はこっそり距離を置くよりも、周囲が驚くような仕掛けで派手に区切りを付けようとしたのではないでしょうか。寝返ったとか、政治に興味がなくなった訳ではなく、植物学という目的があって辞めるんだと」

取材を終えて

『らんまん』第18回では、自由民権運動の集会場で偶然壇上に上げられ、アドリブながら植物について力説した万太郎。牧野博士と自由民権運動のつながりをひもといていくと、そんな万太郎ともかぶる、気骨あふれる血気盛んな青年の姿がありました。

神木隆之介さん演じる万太郎は今後、植物学の道をどのように進んでいくのか。牧野博士の足跡とも重ねながら、その成長を見守っていきたいと思います。

  • 田中開

    高知放送局 記者

    田中開

    2018年入局
    実は自由民権運動について今回初めて詳しく調べました

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