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女性の活躍は高知から!『らんまん』にも登場“民権ばあさん”

島崎和歌子さん演じる女性 史実では歴史を動かしていた
  • 2023年04月28日

『らんまん』第16回では、「自由民権運動」の様子が描かれ、南国市出身の島崎和歌子さん演じる「民権ばあさん」が登場。じつは、日本初の女性の参政権獲得のきっかけとなったのが、高知に実在した「民権ばあさん」でした。

自由民権運動とは?

万太郎が東京から戻ると土佐で盛り上がっていた「自由民権運動」。明治のはじめに起こった日本で最初の民主主義運動で、万太郎のモデルとなった牧野富太郎博士も青年の頃、この運動に熱心に取り組みました。
牧野博士と自由民権運動について詳しくはコチラの記事で

いったいどんな運動だったのか。自由民権運動の歴史などを今に伝える高知市立自由民権記念館を訪ねました。

高知市 民権・文化財課 学芸員 濵田実侑さん

高知市 民権・文化財課 学芸員 濵田実侑さん
明治の初めは、政治を政府の一部の人たちで実質行っていたところがあり、自由民権運動では、もっと広く一般の人たちも政治に意思を反映できるように、たとえば憲法を作ったり国会をつくったりしてみんなで政治について議論しよう、ということが求められました。

板垣退助像

自由民権運動の指導者として知られるのが、土佐出身の板垣退助です。板垣は「人間は自由で平等の権利を持つべきだ」と主張し、多くの国民が政治に参加できるよう求めました。そして現在の高知市中心部に「立志社」という政治団体を作ります。立志社は、より広く自由民権の思想を広めようと、新聞の発行といった広報活動や「立志学舎」という学校を作るなど、様々な事業を行ってきました。立志学舎では西洋から取り入れた最先端の学問や思想を教え、多くの民権家たちを育てました。

演説会の様子を再現した記念館の展示

さらに運動を広めるために行ったのが「演説会」です。ドラマの中でも、人々が熱狂していたのが印象的でしたよね。演説会や懇親会は、牧野博士が育った佐川を含め全県的に、ほぼ毎日行われていたそうです。教育を十分に受けられていない女性やまだ難しいことはわからない子どもたちまでみんなを巻き込んで運動を発展させたいという知識人たちの思いがあったのでは、と濵田さんはいいます。

女性参政権獲得の立役者 民権ばあさん

この演説会に、毎日のように通っていたという女性が、日本初の女性参政権獲得の立役者であり、「民権ばあさん」の愛称で知られる高知市の楠瀬喜多(くすのせ きた)です。

島崎和歌子さん演じる「民権ばあさん」のこの訴え。

主人が早う亡うなったき、あてが家のあるじ。戸主となって税金を払ってきた。もうじゃったら女のあてにも政治に参加する権利があるはずじゃ!

実在の楠瀬喜多にもこんな実話がありました。明治11年、喜多が42歳の時。夫を亡くし、家の主になった喜多が、地元の区会議員の選挙で投票しようとしましたが、女性なので選挙権はないと拒否されてしまいます。納得がいかない喜多は、これまできちんと納めてきた税金を滞納するという作戦に打ってでました。

そして県から納税の催促がきたのに対し、「税納ノ儀ニ付御指令願ノ事」という訴えを提出しました。その時の訴えが、当時の全国紙に大きく取り上げられています。

大坂日報 明治12(1879)年1月26日

喜多の訴え
わたしは婦女の身分だが一戸の主として諸般の務め、つまり納税をしっかり果たしている。それなのにわたしは議員を選ぶ権利もない。男性戸主と比べてみたら権利がないがしろにされているように感じる。

そして、男女の権利が同じならば男性と同じように納税するし、女性にも選挙権があるはずだと主張したのです。

この喜多の訴えが起爆剤となり、2年後の明治13年、高知市の上町町議会で、日本初の女性の参政権が認められました。そして土佐では、喜多に続いて多くの女性が積極的に自由民権運動に参加するようになりました。土佐の人々が自由を求めた声は、全国へと広がっていったのです。

高知市 民権・文化財課 学芸員 濵田実侑さん
「自由は土佐の山間より」という言葉もありますように、高知・土佐は自由民権運動の中心地としてよく知られています。『らんまん』の放送をきっかけによりたくさんの方に自由民権運動について知っていただけたらなと思っております。

自由民権記念館では、『らんまん』に合わせて楠瀬喜多のコーナーを設けて肖像写真などを展示しています。

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