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春『らんまん』恋の季節!? 出会いは「内国勧業博覧会」

  • 2023年04月19日

今週の朝ドラ『らんまん』は、怒とうの“恋の予感”ラッシュ!
綾と幸吉、綾と竹雄など、今後の展開が気になる関係性が盛りだくさん。
そして、われらが万太郎も、ついに寿恵子と出会います。
今回は、二人が出会うきっかけとなった「内国勧業博覧会」について取材しました。
※ドラマのネタバレを含みます。ぜひドラマを見てから、こちらの記事をご覧ください。
(高知放送局ディレクター 寺下佳孝)

あっちこっちで恋、恋、恋!?

第3週に突入した『らんまん』。
さまざまなところで登場人物の関係性が進展していきました。

きのうの第12回では、 こうじ作りをきっかけに一気に距離が縮まる綾と幸吉。
仲むつまじい様子はなんだか見ていてほほえましかったですね。

そして、綾と竹雄の二人はというと・・・。

神社からの帰り道、バッタを見つけて無邪気に追いかける綾の姿に、顔を手で覆い隠してしまう竹雄。
その時の何ともいえない竹雄の表情に、心をグッとつかまれた方も多いのではないのでしょうか。

そして、きょうの第13回では、われらが万太郎も、ついに寿恵子と出会います!

万太郎が木から落ちて、目と目が合うこの瞬間。
寿恵子の“走り寄るまなざし”に、万太郎の“恋が始まる予感”を感じました。

今後、二人は再会できるのか、、、注目です!

出会いのきっかけ 「内国勧業博覧会」とは

「第二回内国勧業博覧会」(東京・上野公園) 第13回より

万太郎と寿恵子が出会うきっかけとなった「内国勧業博覧会」とは、いったい何なのか?

もともとは明治維新の立役者として知られている大久保利通の提案によって開かれた政府主導の博覧会です。
明治時代、五度にわたって開催されており、国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目の育成を目的として始まりました。

会場では、外国の新技術の紹介や国内で制作・開発された物品の展示、さらには、博覧会を技術者どうしの交流の場とすることで新たな技術を生み出すきっかけにもなっていたそうです。

「第二回内国勧業博覧会」(展示会場) 第13回より

今回、万太郎と竹雄が訪れたのは「第二回内国勧業博覧会」。
明治14年に開催され、4か月の会期中に82万人以上が来場。出品数は33万点にも上ります。

ドラマでは、美しく華やかなドレスが飾られていたり、色とりどりの反物や陶器・つぼなども多数展示されていました。

国内外から多種多様な展示品が集まる博覧会ですが、
実は、高知の伝統工芸品である土佐和紙も出品されていたとか・・・。
当時の事情をよく知る方にお話を聞きました。

博覧会に『コッピー紙』を出品 龍紋賞を受賞!

話を聞いたのは、高知県いの町の紙の博物館につとめる専門員・池典泰さん。
紙のまちとして知られている、いの町出身で、半世紀近くに渡り、紙に携わる仕事を続けてきた“紙のスペシャリスト”です。
紙産業の歴史にも知見が深い池さんに博覧会との関わりについて聞きました。

いの町紙の博物館 池典泰さん
「いの町(旧伊野村)出身の製紙家・吉井源太が開発した紙の一つに『コッピー紙』というガンピを原料とした和紙があります。その薄様大判紙を第一回内国勧業博覧会に出品したところ、輸出用のコッピー紙として最適と評価されて、最高の賞である龍紋賞を受賞したんです」

当時と同じ手法で作った『コッピー紙』(画像提供:いの町紙の博物館)
「第一回内国勧業博覧会」で紙(コッピー紙)を出品 最高位の龍紋賞を受賞

そもそも当時の「コッピー」とは何かというと・・・
特殊なインクで書かれた複写原版をぬらして、数枚の紙(コッピー紙)を重ね、圧写する方法をいいます。
つまり、書かれた文字のインクをほかの紙にうつすというものです。
そのため、現代の「コピー」とは、紙質や複写方法なども異なるそう。

コッピー紙複写の再現(いの町紙の博物館 作)
※原本から遠い複写紙ほど薄く複写される

そして、ドラマの舞台となった「第二回内国勧業博覧会」でも、改良した『コッピー紙』を含めたさまざまな紙を出品し、有功一等賞を受賞。
土佐の紙を全国へ広く知らしめる結果となりました。

「第二回内国勧業博覧会」 有功一等賞を受賞

いの町紙の博物館 池典泰さん 
「土佐和紙の発展は吉井源太の功績なしには語ることができないです。国内外の博覧会へ紙を出品・入賞した実績に加え、製紙技術の改良、需要に応じた紙の開発や海外市場の開拓など、高知をはじめ日本の和紙業界にとっても大功労者だと思います」

紙聖・吉井源太 ~和紙と恋して~

吉井源太(画像提供:いの町紙の博物館)

80余年の生涯を紙業の発展にささげた吉井源太。
明治27年には、28種類の紙を開発・改良したこと、3府25県(※当時)の和紙産地への技術指導などによって、緑綬褒章(りょくじゅほうしょう)を受賞しています。

しかし、和紙に対する情熱とは相反し、紙の研究開発にかかる費用や技術交流のための全国行脚など、費用がかさむことで各所からお金を借りることも多かったとか。

吉井源太が技術交流を行った場所が示されている地図を見る池さん

いの町紙の博物館 池典泰さん
「吉井源太が残した日記の中には借用書の写しがあったり、手紙の中には督促状があったりします。それは、補助を受けるわけでもなく、需要のある紙を作るにはどうしたらいいのかと、研究・調査で県外に訪ねていたことなどが関係していたからだと考えられます。そんな中でも、お金もうけを目的とするのではなく、高知をはじめ日本の紙業発展のために活動する、そういった考えが最終的にまわりの人たちに助けてもらえる人望につながったんだと思います」

私財をなげうってまで研究に没頭し、その功績を後世へ。 

同じように借金を抱えながらも研究を続けた牧野富太郎博士と吉井源太の二人は、打ち込む対象は違えど、生涯をかけて向き合っていく姿勢は一緒だったのかもしれません。

お問い合わせ先:いの町紙の博物館(電話番号088-893-0886)
※今回、紹介した「内国勧業博覧会」の賞状は紙の博物館で一般公開されています。
 そのほか、『紙すき体験』も行っていますので、ぜひ足を運んで見てください。

  • 高知放送局 ディレクター

    寺下 佳孝

    高知へ来て5年目。 
    今年こそは「仁淀川 紙のこいのぼり」へ。 

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