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ウクライナ侵攻1年 高知の被爆者が語った“ある感情”

  • 2023年02月24日
被爆者として語り部を続ける植野克彦さん

広島への原爆投下で家族を失った男性が高知市で暮らしています。
戦争で抱いた“ある感情”とは何か。
ロシアによるウクライナ侵攻から1年を迎える世界に訴えかけます。

植野さんの手元に残った唯一の家族写真

高知市に住む、90歳の植野克彦さん。
78年前のあの夏、広島で被爆しました。
植野さんが見せてくれたのは、戦災を逃れて唯一手元に残った家族写真。
7人兄弟の3男だった植野さんは、一番上の姉と兄、そして父を原爆で失いました。
当時中学1年生だった植野さんも、同級生たちと一緒に学校近くの畑に農作業に出かける途中で被爆しました。

植野克彦さん
「ちょっと日陰になった小さい道があってそこを通っていくが、陰になった涼しいなと思った次の瞬間、陰がなくなって、目の前が真っ黄色になった。次の瞬間は後ろから爆風に突き倒されてうつ伏せで倒れました。家のがれきが落ちてきて、背中をとんとんとたたかれるような感覚も覚えています」

被爆直後の広島市内

友人の声を頼りにがれきからはい出した植野さんが目にしたのは、一変した光景。
一面土ぼこりで太陽も見えず、多くの建物が崩れ、まちは跡形もなく消えていました。
しばらくすると、あちこちで火の手が上がり始め、友人たちと避難を始めました。
そのとき、後ろを歩いていた友人から言われて、大やけどを負っていることに気づきました。

植野克彦さん
「『おまえひどくやられているぞ』と後ろから声をかけられて、それでふと脇腹を見たら
シャツが破れたと思っていたびらびらしたものが、背中の皮が破れて右と左へ垂れ下がっていることに気づきました」

右腕の傷を見せる植野さん

背中やふくらはぎなど、広い範囲に負ったやけど。
このうち、右腕の傷跡はいまも生々しく残っています。

植野克彦さん
「今でもかゆくなります。ここがいちばんひどい傷で、なかなか完治しないですね」

近くの病院に駆け込みましたが、そこは廊下までけが人があふれ、混乱状態。
十分な治療は受けられず、夕方、帰宅しようと歩いている途中で倒れ込み、意識を失いました。

原爆投下から11日後の8月17日。
植野さんはけが人を収容する救護所で目を覚ましました。
枕元の母親から最初に知らされたのは、大切な家族の死でした。

亡くなった姉(左から1番目)と兄(左から2番目)。
右から2番目が生後6か月の植野さん。

植野克彦さん
「『お父ちゃんもお兄ちゃんも、お姉ちゃんもだめだった』と言われて、そのときに私が思ったのが、悲しいというよりも何よりもどうやったら敵(かたき)が討てるんだろうということだった。純粋無垢な子どもがそんな気持ちを持つなんて、今となっては考えられない、すごいことですよね」

中学1年生で抱いた強い報復感情。
植野さんは、戦争の異常さこそが、悲しみよりも先に憎しみの感情を生み出したと感じています。
もう誰にも自分と同じ思いを抱いてほしくない。
戦争を知らない世代が増えることに危機感を持ち、80歳を過ぎた頃から、若い世代に被爆や戦争の体験を語り始めました。
 

証言活動を行う植野さん(本人提供画像)

植野克彦さん
「もし、日本が先に原爆を開発していて、自分が落としに行くよう言われたら行ったと思う。それぐらい、本来なら親しい友人になれるかもわからん人と憎しみ合い、憎しみをエスカレートさせていくのが戦争。とにかく愚か、愚かのひと言」

 

陶器の倉庫を案内する植野さん

戦後すぐ、母親の地元・高知で暮らし始めた植野さん。長く陶器販売店を営んでいます。
陶器の買い付けなど仕事の関係で、中国の人たちとの交流も深めてきました。
その経験から、植野さんは、ほかの国に関心を持ち、その国の人を理解することが、戦争の回避につながると感じています。

植野克彦さん
「素晴らしい人に巡り会ったら、その人のいる国と戦争なんてやる気にならない。相互理解、お互いが認め合うような状況になれば戦争なんて考えられないと思う。できるだけ民間交流は密にしないといけない」

中国を訪れたときの植野さん(右)

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から、ことし2月で1年。
世界情勢がこれまでになく緊迫する中、取材の最後に、植野さんが被爆者として今伝えたいことを聞きました。
 

植野克彦さん
『平和ってすばらしい、本当に大事。一方で戦争は愚かなものですよ』ということ、これに尽きると思う。みなさんそれほど痛烈に感じていないんじゃないかなと思うが、真剣に戦争と平和を考えたら平和がいいに決まっている。じゃあどうしたらいいのか、自分に問いかけてほしい」。

~取材後記~
壮絶な経験を終始にこやかに語る植野さん。
その理由を「平和のありがたさを伝えられることが率直にうれしい」と語ります。
強い憎しみを抱いた経験があるからこそ強く感じる平和の大切さ。
その思いから不安定な世界情勢に対し、「自分には戦争を止める力はない。何やってるんだ何やってるんだと言って精一杯抵抗するしかない」と強い気概もにじませました。
私も戦争を知らない世代の一人として、植野さんの思いを後世につないでいきたいと思います。

植野さんのお話は、NHKの特設サイト「被爆者たちの声」にも掲載されています。
ほかの被爆者の証言もこちらのサイトでご覧頂けます。

NHK特設サイト「被爆者たちの声」

  • 伊藤詩織

    高知放送局 記者

    伊藤詩織

    2016年入局
    広島局を経て現所属
    入局当初からさまざまな角度で戦争や被爆者を取材

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