記憶力アップのカギ!?海馬で起きている"大事件"・神経細胞の生まれ変わり

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私たちの脳には1000億ほどの神経細胞があると言われていますが、実はこの神経細胞に関して、1世紀近くにわたって脳科学の世界を支配してきたひとつの独断的な説「ドグマ」がありました。そのドグマとは・・・。

「おとなの脳では、新たな神経細胞は決して生まれない」

このドグマの発端となったのは、近代脳科学の礎を築き上げた「巨人」、ラモン・カハール(1852-1934・1906年にノーベル医学・生理学賞を受賞)。人間の脳をくまなく調べたカハールは、細胞が常に生まれ続けている他の臓器と違い、脳では生まれたばかりの未発達な神経細胞がまったく見当たらないことからこのように考え、それが絶対的な「ドグマ」として受け継がれてきたとされます。

海馬の歯状回という場所で新たな記憶がつくられる

ところがちょうど20年前、このドグマを真っ向から否定する研究が現れました。脳の中にはごく例外的に神経細胞が生まれ続けている場所がある、というのです。その研究成果を論文に発表し世界に衝撃を与えたのは、アメリカ・サンディエゴにある「ソーク研究所」のフレッド・ゲージさん。彼が生まれたばかりの細胞を見つけたのは、脳の「海馬」と呼ばれる器官の中にある「歯状回」という、それまでほとんど注目されたことのない場所でした。

CG 右は海馬の断面。青く光っているのが歯状回の細胞、紫色がその他の海馬の細胞

私たちの脳の左右にひとつずつある「海馬」は、「記憶」を作り出している場所として知られています。大人の脳で細胞が新たに生まれている事実が見つかった「歯状回」は、海馬の入り口に位置していて、海馬へとやって来た電気信号を最初に受け取って海馬の中へと送る役割を果たしている場所です。歯状回を介して海馬内に神経細胞のルートが生まれ、それが新しい記憶そのものとなっていくと考えられています。なぜこの歯状回では例外的に神経細胞が生まれ続けているのか、ゲージさんの発見を機に「歯状回」についての研究がさらに進み、結果、私たちの記憶の謎が次第に明らかにされてきています。

現在の脳科学では、歯状回で新しく生まれる細胞の役割は「細かな違いを見分け、これを記憶すること」にある、というのが有力な仮説となっています。UCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)准教授のメイゼン・キアベックさんは、人間と同じく歯状回で新しい細胞が生まれ続けているマウスの脳を観察することで、そのメカニズムを探り続けています。

記憶のメカニズムを研究しているメイゼン・キアベック准教授
記憶のメカニズムを研究しているメイゼン・キアベック准教授

「マウスの歯状回で新しく生まれる神経細胞は、周りの環境のささいな変化、例えばそれまでいた場所とはほんのちょっと違う場所に来た時に敏感に反応することが分かっています。さらに特殊な方法を使って新しく生まれた神経細胞の働きを阻害すると、そのマウスを新しい場所に移動させても、それまでの環境との違いを区別できなくなるのです。人間でも同じことが言えると私は考えています。駐車場に車を停めた時、いったいどこに停めたのか、私たちは正確に覚えていられます。いつも利用している駐車場で、いつもとは微妙に違う場所に車を停めた時でも、私たちがそのささいな違いを認識し、記憶することができるのは、歯状回の細胞のお陰であると考えられるのです。」

五感とともにつくられる記憶

細かな違いを見分けて、それを記憶する。歯状回が働くのは、目から入ってくる「視覚情報」に対してだけではないと語るのは、UCI(カリフォルニア大学アーバイン校)教授のマイケル・ヤッサさんです。人間の脳の歯状回がどのような時に反応するのかMRIを使って調べてきたヤッサさんは、「視覚」に加えて「聴覚」・「嗅覚」・「触覚」・「味覚」など、五感を通して私たちの脳に入ってくる情報に歯状回は反応すると考えています。

どのようなときに海馬の歯状回が反応するのかを研究しているマイケル・ヤッサ教授
どのようなときに海馬の歯状回が反応するのかを研究しているマイケル・ヤッサ教授

「私はこのコーヒーメーカーを使って1日に何度もエスプレッソを作ります。今日は皆さんがおみやげに持ってきてくれたこの豆を試してみることにしましょう。コーヒーを飲むという行為は、歯状回で生まれる新しい細胞なしには楽しめません。なぜなら、見た目だけでなく、におい、味など様々な要素が混ざり合っているからです。歯状回で新たに生まれる細胞がそのわずかな違いを敏感に探知してくれるお陰で、私たちはエスプレッソを1杯飲むたびに、以前に飲んだ1杯との違いを細かく記憶できるのです。」

記憶力アップのために、刺激ある生活を送るには?

歯状回で神経細胞が新しく生まれ続けているからこそ、私たちは日々のさまざまな経験をこと細かに記憶していける。マウスを使った実験からは、歯状回で神経細胞の生まれ変わりを盛んにするには、運動をすることに加え、たくさんの刺激がある環境にいることが重要だということも明らかになってきています。ヤッサさんと共に歯状回の働きを調べているUCI(カリフォルニア大学アーバイン校)教授のクレイグ・スタークさんは、「たくさんの刺激のある環境」を作り出すために、ちょっと意外なものが活用できるのではと考えています。

記憶する力を向上させるためにレテビゲームが役に立つと語るクレイグ・スターク教授
記憶する力を向上させるためにテレビゲームが役に立つと語るクレイグ・スターク教授

「刺激がある環境に身を置くために私たちは何ができるでしょうか。『みんな世界中を旅するべきだよ!』とあなたは言うかもしれません。それも良いでしょうけど、実際には数カ月ごとに世界旅行に出かける経済力をみんなが持っているわけではありません。でも現代には、それを実現してくれる便利なものがあります。それは「テレビゲーム」です。

こうしたゲームには驚くほど豊かな世界が用意されています。細やかなところまで作られており、魅力的です。才能あるアーティストやエンジニアが集まって、何百万ドルも投じて作り上げられたゲームの中にはすばらしい経験が準備されています。私たちは普段ゲームをやらない被験者たちを対象に、ゲームをやる場合とやらない場合とで、細かい違いを見分けて記憶する力がどのように変化するかを調べました。その結果、未知の世界を探検したりするゲームをやった被験者では、記憶力が向上する、という結果が出てきたのです」

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この記事は以下の番組から作成しています

  • NHKスペシャル放送
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