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“なぜ 線引きするのか”

水俣病訴訟判決 原告の思い
  • 2024年04月12日
原告団 冨田春男さん

水俣病と認定されておらず、国の救済策の対象にもならなかった鹿児島県や熊本県などの住民が国などに賠償を求めている裁判で、原告のうちおよそ140人に3月22日、判決が言い渡されました。国による救済策では、住んでいた「地域」や「年代」で対象が区切られ、補償が受けられない人が相次ぎました。この“線引き”によって、症状を訴えながらも救済の対象外とされた人たちが鹿児島県にも数多くいます。その1人を取材しました。    
                            (NHK鹿児島 記者 熊谷直哉)                          

“線引き”された原告

怖いですよね。こんなにきれいな海でも恐ろしいものを運んでくるわけですから。

不知火の海を見つめながら、こう語ったのは、出水市に住む原告の冨田春男さん(69)です。

長年、水俣病特有の感覚障害に苦しんできました。

まずこむら返り。そして手先がしびれてくる。そのほかにも温度の感覚が足と手では違ったりもする。これは経験者でないとわからない。本当にめちゃくちゃ痛い。

2009年に成立した水俣病に認定されていない人を救済する特別措置法。対象は、水俣湾周辺の「対象地域」に1年以上住んだ人となっていますが、冨田さんが生まれ育ったのは阿久根市折口。すぐ隣の地区は救済策の「対象地域」となりましたが、折口は「対象地域」外として「線引き」されたのです。

冨田さんが子どもだった頃、各地で「行商」が盛んでした。母親は、有機水銀で汚染されたものとは知らずに、水俣で捕れた魚を行商人から買っていたと言います。

行商の人が売りに来るのを買う。ほかの集落の人たちが入ったからと持ってきてくれることもある。魚は、われわれが小さいころは主食でした。国は「救済地域外に住んでいた人は有機水銀の暴露は受けてない」と考えているわけだからどうにもならないと感じた。納得できない。

専門医“明らかに水俣病の症状”

冨田さんは月に2回、水俣市の病院に通って専門医の診察を受けています。

 

診察を受ける冨田さん

長年、水俣病の診察を行ってきた高岡滋医師は、冨田さんの症状は、明らかに水俣病によるものだと指摘します。

冨田さんの場合の、手と足が同じように感覚が低下するとか口の周囲のしびれは、普通の人はほとんどない。そういう意味でも水俣病であることは間違いない。それに魚を食べていらっしゃるしね。同じような症状を示している人が本当にたくさんいる。

病院から帰宅する途中、冨田さんは、突然車を止めました。

足がけいれんする「こむら返り」に襲われたのです。

 

もういきなりくる。寝ている時でもところかまわず、時間かまわずだもんね。どうにもならない、これは。

1人残らず、救済して欲しい

冨田さんは救済を求めて県に申請しました。しかし、「対象地域」外に住んでいたため、日常的に水俣の魚を食べていたことを証明する必要があり、申請は却下されました。

司法に訴えるほかないと考えた冨田さん。2013年に国やチッソなどを相手に裁判を起こします。

しかし、国などは「対象地域外では、水俣病を発症する程度の水銀を摂取したとはいえない」などとして、主張は真っ向から対立。裁判は長期化しました。

 

最初の提訴からすでに11年が過ぎました。

原告団の平均年齢は74歳を超え、1400人のうち、170人以上が亡くなりました。

認められずにあのまま悔しい思いをして亡くなっていったんだなと思うと、かわいそうでもあり気の毒でもあり、なんと言えばいいかわからない。ただ腹立たしい。

地域による「線引き」の不当性を訴えてきた冨田さん。

1人残らず救済してほしいと願いました。

過去のことと言わずにきちっと向かい合って、水銀の暴露を受けた人間がどういった暮らしをしているのかを考えてもらって、みんなの救済をしてほしい。少しは人間らしい心で考えてほしい。

判決は・・・

迎えた3月22日当日。熊本地方裁判所前には、原告団やその支援者、報道陣など多くの人が集まり、一般の傍聴席10席に対して、185人が並びました。

午前11時の判決の言い渡し。

“原告らの請求をいずれも棄却する”

原告側の敗訴でした。

裁判所は「水俣病を有機水銀の汚染があった期間に、八代海の魚介類を継続的に多く食べたあと、おおむね10年以内に発症している場合だ」としたうえで、▼公的な検診の記録がない原告や、▼ほかの病気による症状の可能性がある原告は、水俣病との因果関係があると認められないという考え方を示し、原告のうち119人は水俣病と認められないと判断しました。

一方、25人については、水俣病と認めましたが、損害賠償を求めることができる20年間の「除斥期間」が過ぎていると指摘し、いずれも訴えを退けました。大阪地裁と判断が分かれた形です。

“実態をもっと知って欲しい”

判決を聞いた冨田さんは憤る気持ちを抑えられませんでした。

 

ショックでした。事実を全く無視した判決で、実態をもっと知って欲しい。残念な判決で許せません。

原告団は4月4日、高等裁判所に控訴していて、今後も裁判は続いていきます。

取材後記

鹿児島局に着任して2年がたちますが、取材をするまでは恥ずかしながら水俣病は熊本県のイメージが強く、鹿児島県の問題だと考えていませんでした。しかし、取材を進める中で水俣の周辺以外にも多くの場所で症状に苦しむ人がいて、今も現在進行形で続いているものだと実感しました。冨田さんのほかにも水俣病の症状で人生を大きく狂わされたと感じている人は多く、そうした被害者に救済がなされるのか、今後の動きも継続して取材していきたいと思います。

  • 熊谷直哉

    NHK鹿児島 記者

    熊谷直哉

    2020年入局 事件・事故や経済を担当。

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