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鹿児島でも増加 高齢者の孤独死 特殊清掃に同行して考えた

  • 2022年11月07日

男性が孤独死した県営住宅の部屋に入ると、甘酸っぱい匂いが鼻を突き刺した。カーテンの隙間から差し込むわずかな光しかない薄暗い部屋。足の踏み場もないくらい、チラシや空のプラスチック容器が積み重なっている。ふと目を落とすと、床の一部が黒くなっていた。同行した特殊清掃業の男性は「遺体から出た排出物や体液が固まったものだ」と話した。

(鹿児島局記者 柳沢直己)

広報されない孤独死

私は事件や事故の取材を担当する、いわゆる「サツまわり」だ。警察は事件や事故で人が亡くなった場合に広報文を発表するが、全ての死亡事案について広報するわけではない。そのひとつが孤独死だ。

ある朝、ひとつの記事が目に入った。2021年に県内で確認された高齢者の孤独死の数が過去最多になったというものだ。その背景には何があるのか。取材を始めた。

特殊清掃業という仕事をご存じだろうか。事件や事故があった部屋の原状回復などを手がけていて、孤独死があった部屋の清掃もそのひとつだ。インターネットで検索すると鹿児島市内の特殊清掃業者は数件ほど。その1人と連絡を取り、後日事務所で会うことになった。

事務所にある固定電話

特殊清掃への尊敬の気持ち

7月13日。事務所に着くと、社長の井之上旭さん(45歳)が出迎えてくれた。

井之上さんは12歳の時、父親を事故で亡くした。そのとき知ったのが、事故現場を清掃する人たちの存在だ。人の死と向き合う仕事への尊敬の気持ちを強く抱いたという。

高校卒業後、商社に就職し、九州各地を駆け巡って商品を販売する日々を過ごしたが、子どもの頃に感じた気持ちが薄れることがなかった。平成27年に退職すると、同年、今の会社を立ち上げた。その後、3年ほど福岡県内の特殊清掃業の会社で勤務して技術を学んだあと、鹿児島で本格的に特殊清掃業者として働き始めた。当時の鹿児島では、まだ特殊清掃業者は少なかったという。

パソコンに向かう井之上さん

コロナ禍の特殊清掃

井之上さんは「3年前と比べると、清掃の依頼は1.5倍ほどに増えている」と話した。背景には新型コロナウイルスの感染拡大があるのではないかという。

孤独死の現場では、亡くなった人の親せきや会社の同僚と話すこともある。感染拡大以降、ひんぱんに耳にするようになったのが、「会う機会が減った」という話だ。そのため、健康状態や生活状況を把握できず、孤独死につながっているのではないかと井之上さんは説明してくれた。

気がつくと取材は2時間に及んでいた。私は帰り際に「どんな気持ちで仕事をしているのですか」と尋ねた。井之上さんは、まっすぐに私の目を見て、こう答えた。

「最期の場所をきれいにして、送り出してあげたい。それだけです。」

井之上さんは、現場に同行させてもらえないかと私が申し出たところ、「ぜひ現場を見て孤独死について考えて欲しい」と承諾してくれた。

過去最多となった高齢者の孤独死

鹿児島県警察本部が把握している高齢者の孤独死はどのくらいあるのだろうか。私は、刑事部捜査1課の検視室長を訪ねた。検視室とは警察署に遺体が安置される際、死因や事件性などを調べるため検視を行う部署だ。遺体の年齢や亡くなった原因についても記録している。

まず、検視した遺体の数を意味する死体取り扱い件数は、2017年から2019年にかけては減少傾向だったが、その後、増加に転じていた。増加傾向に転じはじめた2020年は、新型コロナウイルスの感染が拡大しはじめた年と重なる。

鹿児島県における死体取り扱い総数
2017ー2022件
2018ー1983件
2019ー1904件
2020ー1914件
2021ー1960件 

次に、そのうち65歳以上の独居高齢者数について見てみると増加傾向が続いている。コロナ前の2019年と比べると、去年は77件増えて過去最多となっている。

鹿児島県における死体取り扱い総数のうち65歳以上の独居高齢者数
2017ー567件
2018ー570件
2019ー616件
2020ー653件
2021ー693件 

そして、そこから自殺した人を除いた数を見てみると、こちらも増加傾向が続いていて、2019年以降はさらに増えていた。やはり去年は過去最多になったという。

孤独死の定義や統計はないが上の質問から自殺者を除いた数
2017ー545件
2018ー552件
2019-577件
2020ー616件
2021ー668件 

孤独死の現場へ

現場取材の約束をしてからおよそ1週間後。私が県警本部の記者クラブで原稿を書いていたところ、机に置いていたスマートフォンが鳴った。井之上さんだ。

「柳沢さん、現場行きましょう。清掃の下見があります。」

井之上さんはトラックの運転席で待っていた。助手席に乗り込んだ私が、これから向かう現場について質問すると、車を運転しながらゆっくりと説明してくれた。

今回の現場は鹿児島市内の県営住宅。妻と離婚後、1人で引っ越してきた60代の男性が、孤独死したのだという。発見時、死後1週間ほどは経過していて、暑さのため遺体の損傷も激しく、臭いもきついだろうということだった。現場には依頼主の息子家族がいるという。

15分ほどで現場に着いた。依頼主とみられる男性が立っている。井之上さんが車を降りて話を聞くと、男性は2階の部屋を指さした。窓からわずかに部屋の中が見えるが、物が散乱していて薄暗い。井之上さんはその様子を確認すると、乗ってきた車の方に歩きだした。車の荷台に積んでいた箱の中には、防護服や手袋、ゴーグルが入っていた。遺体から出た体液や排せつ物があるため、衛生上必要なのだという。ゴーグルによる視界の悪さや防護服による動きにくさに戸惑いながらも、現場に向かった。

防護服を着る井之上さん

「ここにいた」

階段を上がり、現場の部屋の前に立つ。外の暑さとは打って変わって、ひんやりとした空気が防護服の下からでも感じられた。遺族から借りた部屋の鍵を、井之上さんが扉に差し込む。鍵を開ける音が静かな廊下に響く。

少しずつ見えてくる室内の床には、足の踏み場がないほどものが散乱している。その中へ一歩、足を踏み入れると、甘酸っぱい匂いが鼻を突き刺した。換気が行われていなかった部屋はとても暑く、防護服の内側で汗が噴き出すのを感じた。

辺りを見回すと、キッチン横の床の一部が黒くなっている。

「ここにいたのか。」

井之上さんがつぶやく。黒くなっているのは、遺体から出た体液や排せつ物が固まったものだという。

その周りには、つえや薬が落ちていた。足が不自由で、最後にはゴミを出すことも難しかったのかもしれない。

一歩進むたびに、チラシや空のプラスチック容器が潰れる音が室内に響く。ものがたまった部屋の中央付近に、積み重なった山がくぼんだ場所があった。ここで寝ていた可能性が高いという。

井之上さんは部屋の壁をたたき始めた。壁の中身を推定し、匂いがしみこんでいた場合の対処法を考えるのだという。井之上さんは何回かうなずくと「危ないからここにいて」と私に声をかけ、壁にもたれかかったふすまをかき分けながら、さらに奥に進んでいった。

戻ってきた井之上さんは、再び黒い固まりのそばに立った。白い粉が入ったプラスチック容器を取り出すと、黒い固まりに振りかけ始めた。「固着材」というもので、汚物や体液にフタをするような役割を果たし、菌の飛散や匂いを防ぐのだという。

20分程で、現場の確認作業が終わった。部屋を出るとき、私は後ろを振り返った。薄暗い部屋からは、物音ひとつ聞こえてこない。ただ、室内の家具や積み重なった日用品などから、人がここに住んでいたことが確かに感じられた。

玄関を出ると、井之上さんは扉に向かい合って静かに手を合わせ、頭を下げた。

特殊清掃を終えた井之上さん

コロナ禍の孤独死 知られざる背景も

ことし1月から10月までに、井之上さんが特殊清掃した現場はおよそ60件。私が同行した部屋でも、10日後に特殊清掃を行った。井之上さんに、改めて現場で感じていることを聞いた。

井之上旭さん

遺体が発見されるまでの時間が長くなっていると感じます。新型コロナウイルスの感染拡大で亡くなった人と周囲の人の接触する機会が減少し、発見が遅れているのではないでしょうか。

また、孤独死が増加している理由として、賃貸住宅のオーナー側の事情もあると聞いているという。

井之上旭さん

感染拡大でリモートワークやテレワークの導入が増え、転勤する人も減っています。そうなると、賃貸の住人の流動性が減って部屋に空きが多くなるんだそうです。そのためオーナーは、これまでは受け入れてこなかった高齢者や経済的な余裕があまりない人を住まわせることもあり、その結果、孤独死が増えている可能性もあるのかもしれません。

「孤独死は遠いようで身近なこと」

亡くなった高齢者の数としては過去最多となった孤独死。その背景はさまざまだ。ただ、取材を通して、決して遠い出来事ではないように感じた。ふだん何気なく見ている団地や住宅、部屋、そして日常生活を送っている人の身近で孤独死する人がいる。私は今も、初めて井之上さんと会った日に言われた言葉が忘れられない。

「孤独死は遠いようで身近なこと。すぐ隣の部屋で起きるかもしれないし、親族かもしれない。それに、もしかしたらあなたかもしれない。」

  • 柳沢直己

    NHK鹿児島放送局 記者

    柳沢直己

    2021年入局。事件・事故担当。宮城県出身。鹿児島に来て、日本酒派から焼酎派に。

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