中頓別で全力人生!町に支えられ、町を支えるお菓子屋の店主
- 2023年7月21日
札幌駅から電車とバスを乗り継ぐこと6時間半。やってきたのは、中頓別町。人口約1500人の町で、1カ月の滞在記が始まりました。
甘いものが大好きな札幌局の佐藤耀ディレクターが、今回のローカルフレンズとの待ち合わせ場所としてやってきたのは……町の中心街にある菓子店。
どんなお菓子があるのだろうと妄想を膨らませていると、勢いよく車が走ってきました。
車から降りてきたのが、今回のローカルフレンズである中野巧都(なかのたくと)さん、27歳。この菓子店、中野商店の店主です。朝から忙しそうで、中野さんの後をカメラで追いかけるのが精いっぱい。
なにを作っているのだろうとのぞき込むと、そこにあったのはお菓子じゃない! 思わずお腹が鳴ってしまうほど、おいしそうなカレーでした。
大きな鍋とともに、車に乗せられて着いたのは稚内。2時間かけて300食ものカレーを運んできたのです。
フードトラックで開店準備をしていると、なんとオープン前から行列が! オープンと同時に次々とカレーが売れていきます。「SNSで知って、駆けつけました」「おいしいと聞いて、食べてみたら衝撃で」と若い人を中心に大人気です。
お菓子屋さんと聞いていたのに、今、目の前には美味しいカレー。そして、130キロ離れた稚内で300食のカレーを売りまくる。これは一体……?
現在27歳の中野さん。8年前、札幌から単身で中頓別町へやってきました。19歳のときでした。
それまで、柔道に打ち込んでいた学生時代。高校を卒業するとともに、柔道も引退。次なる夢中になれるものを探していたところ、偶然見つけたのが、中頓別町の地域おこし協力隊だったのです。
町に飛び込んで3年目。70年以上続く菓子店が廃業すると聞き、「みんなの大事な味なんだから、俺が守ります」と手を挙げました。けれどお菓子作りは全くの未経験。さらに、職人さんが店を手放すまでに残された時間は、わずか1カ月。焦るばかりで、技術は思うように追いついていきません。紅白まんじゅうはこの通り……。
「ひどかった、とにかく。お菓子もまともにつくれない。そんなに簡単なものじゃないからさ」と当時を振り返ります。
それでも、中頓別町で出会った妻・未琴さんと二人三脚で開業に向けて準備。心配した中野さんの両親も、札幌から駆けつけてくれました。
こうしてなんとか迎えた開業の日。奇跡が起こります。
用意したお菓子は、3日間で完売。中野商店の開業を喜んだ町の人が、お世辞にも上手とは言えないお菓子を次々と買ってくれたのです。
中野商店の近くにある文房具店の米津和美さんも、お菓子を買って中野さんを支えた一人。
米津和美さん「シャッター通りになったらさみしいし。若い人が来てよかったという感じで、私たちはすごく喜んだ」
中野商店の開業は、町の人にとっても嬉しいニュースでした。
中野巧都さん「できないなりにも、応援しようと思って(店を)使ってくれたんだと思うし、その時間があったから成長したり、チャレンジしたりすることができた。それがなかったらとっくに終わっていたな。自分だけの力でやっていたらね」
町の人にあたたかく支えられ、スイッチがはいった中野さん。引き継いだ和菓子に加え、洋菓子やパン作りまで、YouTubeを見て、次々と習得していきました。
ここまで貪欲に「食」を追求する理由は、中野さんのある思いがありました。それは、「宗谷にソウルフードをつくりたい」というもの。冒頭に紹介したカレーも、帯広のソウルフードであるカレーを目指し、つくったものでした。努力が実を結び、今では行列ができる人気商品になったのです。
もうひとつ、中野さんの思いがこもった商品がこちら。
米津という名前のレモネード。あの有名な楽曲、米津玄師さんの『Lemon』がモチーフかと思いきや……、店を閉じようかと悩んでいた、文房具店の“米津さん”へのエールが込められていたのです。
米津和美さん「そんなこと言わないで僕たちと一緒にがんばろうって」「そんな感じで今があるわけさ、まだ辞めないで」
町の人に支えられて開業した中野商店。開業から5年たった今では、こうして町の人を支えるようにもなりました。
極めつけは、このお茶漬け。
驚くことに、腕を振るうのは中野さんのご両親です。
息子を見守っているうちに、自分たちもお店を出したいと中頓別町へ移住。素敵なお店をオープンさせたといいます。
中野規さん「息子が『近くに土地があるよ』って言ったから、じゃあ行くよって」「夢がわーっと広がって」
町の人を支えるだけではなく、ご両親まで町へ惹きつけてしまいました。
中野巧都さん「やることがあるじゃん、やることがなくならない」「なんでもできるようになっちゃったらつまらない」
忙しいのが楽しくてたまらなくて、型破りで破天荒。町のみんなを元気づけ、みんなから支えられる中野さんは『宗谷にソウルフードを』という壮大な夢を今日も追い続けています