呉市 大崎下島 二足のわらじでみかん農園守り続ける
- 2024年01月26日
かんきつの栽培が盛んな呉市の大崎下島に、120年以上の歴史があるみかん農家があります。二足のわらじを履きながら農園を守り続けようという男性の思いを取材しました。
(NHK広島放送局記者 十石泰誠)
呉市大崎下島にある、「はつかで農園」。
広さおよそ20アールの畑では、150本の「大長みかん」を栽培しています。
豊かな自然のなかでみかんを味わってもらいたいと、毎年、みかん狩りを開催しています。この日は、およそ30人の家族連れなどが参加しました。
廿日出庸治さんです。実家の近くにあるこの農園を管理しています。
廿日出庸治さん
「ほんとうにこういうところに実際に足を踏み入れるのが初めての方とか、逆にここまでみかんが育つまで手伝ってくれている方とか、一緒に混ざっている様子を見ると、農園を維持することをやって良かったなとすごい思います」
廿日出さんの本業は、整骨院の経営。みかん農園の管理を始めたのは2年前です。
長年、農園を営んできた父が倒れたことがきっかけでした。
父の國秀さんが倒れる4か月ほど前、農園をPRするために撮影した動画です。この年もみかん狩りを楽しんでもらおうと意気込みを語っていました。
父・國秀さん
「手でもいで、はさみでもいで、かご入れて、あの一番おいしいみかんを食べてもらいたいの」
父が倒れ、一時は農園をやめることも考えました。
しかし、そのとき浮かんだのは、4人の子どもたちを育てるために暑い日も寒い日も農園で作業を続ける父の姿でした。
農園を守りたい。廿日出さんは引き継ぐことを決めました。
廿日出さん
「絶やしたくないというのが、1番大きいところかな。こういうことになって初めて、自分が生きてきた、そして、生きている、そして生きていく時に何を選んで、何を置いていくのか考えていたら、農業というものが1つ自分の中にあってもいいなと」
廿日出さんは、整骨院が休みの週2回、車で1時間20分かけて大崎下島の農園に向かいます。
途中、父が入院している病院へ立ち寄ります。脳溢血で倒れてからは寝たきりの状態で、みかんについての相談もできないでいます。
廿日出さん
「どこどこの畑で何々やってきたよと、理解してるかどうかは分かりませんけども、そうやって声はかけてます。害虫とか、対策とか、そもそも見分け方が分からないんですよ、これは何にやられているのかとか、なぜこれだけ傷が付くのかとか、そういうのがわからないので、そういうとこを教えてほしかったなと思いますね」
父とともにみかんを育ててきた母の幸子さんです。右も左も分からなかった廿日出さんに作業のやり方を教えてくれるなど農園を継いだ廿日出さんを支えています。
母・幸子さん
「喜んでいます。まだ自分が続けて、作りたい言うから、今倒れている主人も喜んでいると思います、よくしてもらってるからね、もうありがたい事だったんです」
趣味のランニング仲間も、作業を手伝ってくれています。
ランニング仲間
「休みの時しか応援はできませんけど、そういう形でちょっとでも力になればという気持ちで、お手伝いさせていただいてます」
ランニング仲間
「お父様がされていた農園を受け継いでされているので、大切に守って頂けたらすごくいいなって、来させて頂いて改めて感じました」
父が見てきたこの景色をこれからも見続けたい。たくさんの人に支えられながら農園を守っていきます。
廿日出さん
「こういう環境を残してくれてたということ、これは僕の人生の中でも非常に大きな転換期といいますか、分岐点の1つになったと思いますね。瀬戸内海の環境と先祖がやってきた、力を借りてるだけですので、その力は私も受け継いで、しっかりやっていきたいと思っています」
廿日出さんは、来シーズンもおいしいみかんを作りたいと意気込んでいます。