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広島からパリを目指す パラ陸上レジェンド中西麻耶選手 STU48諸葛望愛さんがインタビュー

  • 2023年09月11日
中西麻耶選手 諸葛望愛さん

パリパラリンピック開幕まで1年となる8月28日、パラ陸上のレジェンド・中西麻耶選手がコイらじに出演。中西選手は去年、東広島市に移住し、広島を拠点に活動を始めました。「自分に限界を作らず、明日が一番輝ける一日になるかもしれない」と信じることが原動力と語る中西さん。広島から5回目のパラリンピックを目指す思いを、STU48の13歳、諸葛望愛さんと伺いました。

(広島放送局 アナウンサー 武本大樹)

パラ陸上のレジェンド 中西麻耶選手

世界選手権の銅メダルを手に

中西麻耶選手は、大分県由布市出身の38歳。中西選手は右足の膝から下に義足を付けて、競技を行っています。パラリンピックには2008年の北京大会から4大会連続で出場。東京大会では、走り幅跳びで6位入賞を果たしました。去年、東広島市に移住し、広島を拠点に活動しています。7月には、パラ陸上の世界選手権で、銅メダルを獲得。来年のパリパラリンピックに向けて、大きな弾みをつけました。

諸葛)銅メダル獲得、本当におめでとうございます!今回の世界選手権はどんな大会になりましたか?
中西)ひやひやの試合展開でしたが、最後の1回で手ごたえのある跳躍ができました。でも、銀メダルまで2センチ足りなかったのはすごく悔しかったですね。
武本)世界選手権は7月8日~17日までパリで開かれていました。中西選手は2019年大会に続いて連覇がかかっていました。決勝に進み、最後の跳躍で、今シーズンの自己ベストとなる5メートル38センチをマーク。銅メダルを獲得しました。
中西)パリでの大会ということで、来年の予行演習という気持ちもありました。パリの町並みも少しだけ楽しみながら、またこの場所に1年後、戻ってこられたらいいなという思いも強くなりました。
武本)世界選手権の結果で、この種目に来年のパラリンピックの日本の出場枠がもたらされました。
中西)まだ私が行けると決まったわけではないので、熾烈(しれつ)な1年がまた始まりますが、広島からパリを目指して全力で頑張りたいですね。

広島からパリへの挑戦

諸葛)改めて去年から広島で活動されるようになったのは、どうしてですか?
中西)コーチに合わせて自分が環境を変えるということを15年くらい続けてきたので、少し疲れてしまったところはありますね…。もちろん故郷である大分もすごくいい場所なのですが、やっぱり住みたいところは自分が好きで、その場所に帰りたくなる場所に住むべきだなと思いました。いろんな土地に行きましたけど、もともと東広島で合宿を組んだこともあったし、広島にたくさん知り合いもいました。広島という場所がとても好きで、東広島もとてもいい場所だったので、思い切って移住してしまいましたね(笑)。
武本)コロナ前まではアメリカで活動された時期もありましたし、コロナ禍になってからはコーチに合わせて大阪に拠点を移し、東京パラリンピックを迎えました。コーチ不在で新しい環境に移ることに勇気はいりませんでしたか?
中西)もともと知り合いが多いので広島に来ること自体は、安心感はありました。ただ、今まではすごくコーチを頼りにして競技をしていました。いくら個人種目とは言え、世界的に見てもコーチと二人三脚でチームを作っている選手が多いです。私自身、最後のパラリンピックになるかもしれない、パリに向けてと考えた時に、自分なりの新しいやり方をするのもひとつのチャレンジなんじゃないかなと。あとは、何か節目、節目で広島の方にお世話になっているんですよ。だから、恩返しがしたかった。広島からパラリンピックに出て、メダルを取ったっていうことをしたいという気持ちが大きかったですね。

中西さんの広島愛

諸葛)広島での生活はどうですか?もう慣れましたか?
中西)慣れすぎてなじんでいますね(笑)。ご近所の方から畑で取れたキュウリやトマトをいただくこともありますし、酒蔵通りが近くにあるんですけど、私の大好きな日本酒がおいしくて、おいしくてね(笑)。とてもいい場所だなと思いながら過ごしていますよ。
諸葛)きのうはマツダスタジアムにも応援に行かれたと?延長12回の試合。
中西)いや~、熱戦でしたね!ハラハラする場面もありつつ、最後まで諦めない姿に感動しました。森下投手は大分出身ですし、田中広輔選手もファンですね。地元に球団があるっていうのは素晴らしいです。広島の皆さんが地元愛にあふれて応援されている意味がわかりますよ。
武本)中西さんは2018年10月のクライマックスシリーズで始球式もされましたね。
中西)当時、アメリカのサンディエゴで練習をしていたのですが、その時のスタッフの方が黒田博樹さんのサポートをされていました。そのご縁で、人生初の始球式を広島でさせていただくという不思議な体験でした。黒田さんのグラブも使わせていただいて。気持ち良かったですね!マウンドに立つと。ちゃんとミットにズバッと投げ込みましたよ(笑)。もともとテニスをしていたので肩だけはいいですから。
武本)パリでメダルを取られたら、また実現するのでは?
中西)させていただけるんですかね?だったら最後、始球式!と思って跳びますからね(笑)。
諸葛)中西さんの大好きな一曲がHIPPYさんの「君に捧げる応援歌」。HIPPYさんとの出会いも印象的だったと聞きました。
中西)ちょうどHIPPYさんがメジャーデビューする時に、山口でのジャパンパラリンピックという大会に共通の知り合いの方がHIPPYさんを連れて来てくれたんですよね。私は跳ぶ前にスタンドの拍手をあおるんですけど、スタンドに見慣れないリズム感のいい方が拍手をしてくれていた。すごくありがたかったですね。年齢を重ねてから挑戦すること、HIPPYさんとは共通することが多かった。この曲は僕の衣装のようなものだとHIPPYさんは言っていました。これから音楽活動がどうなるかわからない時に作った曲だと。やっぱり人は窮地に立った時に、美しくて人の心を動かすことばが出てくるのだなと思います。

6メートルへの挑戦

武本)中西さんが走り幅跳びで使っている義足を持ってきてくださいました。
諸葛)人生で初めて見ましたが、思ったよりも軽いです。
中西)フィットしていればすごく走りやすいですし、もとの足が戻ってきたような感覚が出る時もあります。フィット感を出すために職人さんも試行錯誤してくださっているおかげだと思いますよ。
諸葛)付ける部分は痛くはないのですか?
中西)痛くない構造になっています。痛みが出るということはフィットしていないということなので、その都度調整を重ねて痛みが出ないように工夫していますね。
武本)中西さんの自己ベスト5メートル70センチは、日本記録でもあり、アジア記録でもあります。年齢を重ねながら少しずつ、少しずつ伸ばしてきた大記録ですが、どこまで伸ばしたいと思っていますか?
中西)走り幅跳びをしていれば、オリンピックでもパラリンピックの選手でも関係なく、6メートルというのがひとつの壁。そこをクリアしたいとこだわってやっています。景色が全然違いますよ。5メートル70センチを跳んだ時もそうでしたが、こんなに空中を楽しめるんだと。それが6メートルとなると、もっと味わえるわけですから。見ている皆さんにとってもすごく見応えがあると思う。やっぱり跳んでみたいですね。
諸葛)鳥になったような気分ですね!着地する時におびえてしまいそうですが…。
中西)いい跳躍がはまると、ほわっという感覚がするんですよ、浮き上がりが。これがまたすごく気持ちいい。着地で砂をさっと散らした瞬間にスカッとしますよ。
武本)6メートルの大台を目指して、今取り組んでいることは?
中西)私も年齢を重ねてきているので、走力を今からつけるのは難しい。逆に言うと走力は落ちてきているので、それをカバーするために技術の部分を研ぎ澄ませること。何回跳んでも同じ飛びができるようにベースを作る。そこからもう一段階ギアを上げることができるように。再現性を高くする作業を今一番やっています。
武本)リスナーの方から「練習方法は選手によって違うものですか?」と質問が来ています。
中西)同じ義足のクラスでもどこから先に義足を付けているかによっても特性が変わってきます。だから個性を生かして跳ぶことが大事。自分にあった練習方法をどんどん作り出していかなければいけないんですよ。例えば、バレーボールのジャンピングサーブを跳ぶ時にゼロから上への推進力をどうやって出しているのか、サッカーの足先の技術は走り幅跳びの踏み切りにもつながるのではないかなど、いろいろなところからヒントを得ながらやっています。
武本)スポーツ以外からもヒントを得ることも?
中西)もちろんですね。HIPPYさんにも相談しているのですが、何か心地よいなとか、耳障りだなとか、音がパフォーマンスに影響する部分は大きいと思う。一番自分に合う音を作ってもらい、それを聴きながら練習すればもっと質の高い練習ができるのではないかなと。いろんな人にとにかく話を聞いて、やってみて吸収することを私は常に意識しています。

広島の人たちもパラスポーツを

武本)広島からパラリンピックを目指す意義は、どう感じますか?
中西)東京や大阪などもっと大きな都市に行かなければ、夢って叶わないのかというとそうではない。やっぱり今あるものを大事にして、それを生かせば誰にでもチャンスがあることを証明したいなと。さっきもご近所さんから野菜をいただくこともあるという話をしましたが、人との距離が近い。身近な人たちと一緒に目標を叶えることができるというのは地方でやっている特権だと思います。私は人を大事にしながら、広島で活躍したいなと思っています。
武本)9月30日、10月1日には東広島で「インクルーシブ・スポーツ・フェスタ」というパラスポーツのイベントが開かれます。このイベントに中西さんも参加されます。どんな思いからですか?
中西)義足の人がどういう動きをしているのか、どういうものを履いているのか。やっぱり知ってもらいたいというのがありますね。自分たちが前に出て見せていかないといけないと思うんですよね。人の目に触れて、人と触れ合う場所をたくさん作っていきたい。義足を貸し出す「ギソクの図書館」も行うのですが、地方では初開催です。ちなみに、のあぴ、その競技用義足は1本いくらすると思いますか?
諸葛)…100万円くらいですか?
中西)すごい!130万円するんですよ。競技をするにはそれを購入しなければいけない。「ギソクの図書館」では一時的にレンタルできたり、いろんな種類の義足を実際に装着したりできるので、いろんな方々に興味を持ってほしいと思っています。いいきっかけになったらいいなと思って、私も全力でサポートしたいです。
諸葛)パリを目指す中西さんの姿をどこに行けば見られますか?
中西)東広島の運動公園で午前中に練習していることが多いので、そこに見に来ていただいても良いですし、今はシーズン中なので、県外が多くはなりますが、大会も多くあります。日本パラ陸上連盟のホームページに大会スケジュールも出ていますので、ぜひ皆さんにチェックしていただきたいです。そして、10月には国体と合わせて開かれる「全国障害者スポーツ大会」に広島県代表で参加します!紅葉の入ったユニフォームを着て出させていただくので、ぜひ注目してください!
諸葛)楽しみです!私の生まれる前から世界の第一線で活躍されている中西さんに最後に質問したいことがあります。これだけ長くトップを走り続けられる原動力は何ですか?
中西)やっぱり私も人なので、いろんなことに悩みながら、一人の女性としての人生も大事にしたいし、いろんな葛藤がありながらやっています。でも、やっぱり人っていつ輝けるのかわからない。誰かの思い出に残るのであれば、へこたれている自分よりも、一番きれいに輝いている自分を残してほしいなと思う。自分に限界を作らず、明日一番輝けるかもしれないという期待を毎日寝る前に自分の中で持ちながら次の日を迎える。4年後の自分を想像することよりも、明日もっと良い自分でいたいなと思いながらコツコツ積み重ねてきたら、なんと15年も経ってしまったという感じですね。
諸葛)私もSTUの活動を始めてまだ約1年半ですが、実は私も同じようなことを思っていました。明日もっと輝けるかもしれないと夜寝る前に思うこともあります。とても共感しました。
中西)いいですね、13歳。若さっていいですね!(笑)。

中西さんと初めてお会いしたのは、2017年のことです。中西さんはその年の9月に日曜夜に放送しているサンデースポーツの「マンスリーキャスター」を務めていました。中西さん最後の出演日に普段担当しているアナウンサーに代わって“代打”を務めたのが私でした。番組終了後に「今度、練習を見に行かせていただいても良いですか?」と言うと、「そう言う人はだいたい来てくれないんですよ(笑)」と中西さん。1か月たたないうちに、勤務していた宮崎から中西さんが練習拠点にしていた大分に向かいました。一人で競技場を借り、黙々と跳躍する中西さん。自然に私はとんぼを持ち、砂場をならしていました。「あんなにきれいな砂場に跳んだのは初めてです」と言ってくださった中西さんは、日本一とんぼの使い方のうまいアナウンサーとして私のことを覚えてくださっていました。広島で再会させていただけたことは大きなご縁です。中西さんのパリへの挑戦を全力で応援します。

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