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G7広島サミット小倉桂子さん「核兵器のリアリティー伝わった」

  • 2023年05月25日

3日間行われたG7広島サミットで、原爆資料館を訪れた各国の首脳たちにみずからの被爆体験を証言した広島市の小倉桂子さん。「核兵器のリアリティーは少なくともお話しできたし、みなさんは感じられたと自信を持って言えます」。首脳たちの今後の行動に、小倉さんは期待しています。

G7広島サミットでは、G7の首脳だけでなく、ほかにも9か国の首脳や国際機関の代表が原爆資料館を訪問しました。原爆資料館のなかで首脳たちに被爆体験を証言した、広島市の小倉桂子さん(85)。サミット終了後の5月22日、国際メディアセンターで報道陣の取材に応じてくれました。

首脳たちに話したこと

小倉桂子さん
限られた時間のなかで、通常兵器と核兵器の違いを伝えようと思いました。原爆資料館の中に展示されている写真やデータ、物ではあらわせないもの、それは被爆者たちが長い間苦しんだ心の傷、長い間の苦しみ、全然やけどもけがもしていない人がその日のうちに亡くなる、次の日、1か月後、1年後に亡くなる恐怖。誰に聞いても答えられない。私が8歳で被爆したとき一番のショックはそれでした。核兵器というのは心の底にじわっと不安を植え付ける。いつなにが起こるか分からない。それが突然起こったのが佐々木禎子さんですよね。それを伝えるのが私の使命だと思ったし、私は小さな8歳で彼女の不安が分かる年代でしたから、禎子さんがどんなに苦しんだか、放射線の恐ろしさをお話ししようというのがメインでした。自分の子どもがあるとき突然亡くなるなんて、たくさんのお母さんお父さんが、どんな気持ちだったと思いますか。親しい人が突然いなくなる恐怖を伝えないと、と思いました。

ゼレンスキー大統領に話したこと

小倉桂子さん
ウクライナのゼレンスキー大統領には、泣きそうになりながら話をしました。きっと彼も泣きそうだなと思いながら。佐々木禎子さんの話をしました。これが最後まで生きたかった禎子さんが折った鶴ですよと。次に私の話をしましょうと、ホワイトパノラマ(注:当時の広島の街を再現した模型に原爆投下前後の上空からの映像を投影。街が一瞬で破壊されたことを表している)の前に行きました。原爆が投下されたとき、私はここにいました、びっくりしました、こんなことを見ましたと証言しました。ゼレンスキー大統領は何もおっしゃらない。声が出ないということじゃないでしょうか。何もおっしゃらなくて厳しい顔をして、私はみんなが亡くなることが悲しいとか、自分の国と重ねて思ってらっしゃったと思う。何もおっしゃらないんです。たまらない顔をしていました。これが広島です、でもこんなに立ち直った。建物は建て直せるけど人の命は建て直せない、特に子どもたちの命を助けてくださいと申し上げました。

サミットを振り返って

小倉桂子さん
疲れたけど自分ができたこと、伝えられたことはうれしかった。核兵器の事実、これがリアリティーだということを少なくとも私はお話しできたし、みなさんは聞き取れた感じられたと自信を持って言えます。私は伝わったと信じています。知ると言うことが一番最初の平和運動、戦争をやめさせるための。それが今回だと思うんですよね。知っていただいた。彼らのやり方で早巻きで戦争を終わらせてほしい。彼らのやり方で。

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