“サミットの島”の町内会長 被爆者としての思い
- 2023年06月12日
ロシアが核戦力の使用も辞さない構えを見せる中、ウクライナのゼレンスキー大統領が突然の来日。いつも以上に世界中の注目を浴びた広島でのG7サミット。そのメイン会場がある地区の町内会長は被爆者でした。厳重な警備による住民への影響も出る中で行われたサミット。その成果は、彼の目にどう映ったのでしょうか。
(松江放送局記者 浅井和人)
激動のサミットが終わって

G7サミットの舞台となった「グランドプリンスホテル広島」のある宇品島。東京ドーム10個分ほどの広さの島に、世界中の要人が集結しました。サミットが終わって、島への立ち入り規制が解かれたのは6日ぶりのこと。町内会長を務める門隆興さん(80)は、安どの表情を浮かべていました。

元宇品町の町内会長 門隆興さん
「大きな間違いが起きずに終わり、ほっとしています。会議場の直近に住民がいて、何か間違いがあれば、もろに住民にふりかかることもありえたから。お巡りさんは24時間態勢で警備されたと聞いています。ありがとうございます」
父を亡くし、自身も被爆

門さんは、サミットの開幕が8日後に迫った5月11日、ある場所を訪れました。広島市中区の「広島第二陸軍病院」の跡地。医師だった父親の英雄さんが勤めていた場所です。1945年8月6日、英雄さんは爆心地からおよそ1キロのこの付近で被爆したとみられています。いつも明るい門さんが、重い口調で語りました。
門隆興さん
「母が残した手記には、この近辺で父親が被爆したように書いてあります。即死ではないですが、遮蔽物がなかったので、やけどはひどかっただろうなと」

英雄さんは被爆した9日後、終戦の日に亡くなりました。当時3歳だった門さんは、父親の記憶はないといいます。
門隆興さん
「とにかく優しい父だったと聞いています。医師を目指して人の役に立ちたいという意志が強く、医師になったと思いますから、ここで死んでしまうのは残念だったと思う。治療にあたらないといけない人間が、治療を受けて亡くなるのは残念だったんじゃないかな・・・」

英雄さんが亡くなった翌日、門さんは葬儀に参列するため、母親と一緒に広島市中心部に向かい、入市被爆しました。
サミットの成果は
核兵器を保有するアメリカ、イギリス、フランスなどを含めて各国首脳が平和公園を訪れ、被爆者と対面したG7サミット。核軍縮に焦点をあてた首脳声明「広島ビジョン」は、核軍縮への機運を再び盛り上げるきっかけになるという意見がある一方、核兵器の抑止力を肯定するものだという見方もあり、評価は分かれています。被爆者である門さんの目に、今回のサミットはどう映ったのでしょうか。

門隆興さん
「一定の成果が出た会議だったと思います。いろんな面で極めて難しい時代で、大きな転換点にもなりえるのかなという気がします。核兵器はあっても使わない、使えないような形にしていただきたいね、当面は。最終的にはゼロにする形が理想なんだけど。こういうものは、ずっと続けんと実現しませんから」
「なかなか思うようにいかんだろうと思いますが、諦めずに繰り返し、繰り返し続けんといかん課題。世界平和に貢献するような会議を、何回でもこの場所で開催していただきたい。平和な世の中になるように願っています。それが地元の人間の一番の喜びになると思います」