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【チエノバ12月】雨宮処凜さん「"死にたい"気持ちを生きてきて、今思うこと」

2017年11月20日(月)


雨宮処凜さん「死にたい気持ちを生きてきて、今思うこと」


20代の頃、自殺系サイトや自傷系サイトのオフ会によく参加していた。
そこで、惨めで弱い自分を晒せるかけがえのない友を得た人もいれば、その後、自ら命を絶った人もいた。
私自身、リストカットやオーバードーズをしながらなんとか生きてきて、40代になった今、死にたい気持ちは大分薄れたけれど、その一番大きな理由は、「自分以外の死にたい人」にたくさん出会ったことだ。
そんな人たちと「生きづらいよね」と弱音を吐ける場があるから、生きられる。

私が「死にたい」と言っても引かない人がいる
という安心感があるからこそ、死なずにいられる。

「死にたい」とネットで呟く人は、リアルな人間関係でそう言える相手がいないのかもしれない。
死にたいほど辛いと安心して愚痴れる場がないのかもしれない。
事件を受けて、ネット規制の話も出ているが、禁じるべきは「死にたい」という言葉ではなく、弱音を吐くことを禁ずるような圧力ではないか。
「死にたい」と普段から言える相手がいれば、意外と生きられる。

雨宮処凛(作家・活動家)

 

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 雨宮処凜さん「“死にたい”気持ちを生きてきて、今思うこと」
 #8月31日の夜に。ディレクター「"目に見えないつながり"によって、私たちは救われることがある」

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 ハートネットTV WEB連動企画"チエノバ"「座間事件とSNS」
 2017年12月7日(木)夜8時生放送[再放送:14日(木)昼1時5分]

【特設サイト】自殺と向き合う / #8月31日の夜に。
相談窓口はこちらからご覧いただけます。【お役立ち情報】自殺

コメント

続投失礼致します。
刑事 が啓司になってました。おっちょこちょいなんです。失礼致しました。
正直、雨宮さんのメッセージを拝読しても、何も心に響かず、救いになるわけでもなくで…。こんなこと言って申し訳ないのですが
心に残ることもなければ爪跡さえ残さず でした。

ごめんなさい。正直な気持ちです。残念です。ただ、雨宮さんには同じ気持ちを抱えた気持ちの人と会い、ありのまま話すことができ、受け止めてもらえたことが、合っていた のだと思います。
自分に合った救いの道は人それぞれ。千差万別で、一人ひとり違う。自分に合った方法や場所、話す相手やお医者さん、カウンセラーが見つかればいいなぁ、と思います。
大好きなカウンセリングの先生と会って話しても、その時は少し心が軽くなっても、その時だけ。後は苦しくてたまらない。

投稿:ふわもこチャーモ 2018年03月25日(日曜日) 16時38分

こんばんは。夜分遅くに失礼致します。
毎日毎日死にたいなぁ、生きてくのはしんどいなぁ、でも、家族を悲しませたくない。そんなことをしては可哀想だ。だって自分が自死遺族の気持ちを誰よりもわかってるのに…
頭の中を常にループしている状態です。まさに今、この時も。
父が自死してからずいぶん経つのに、家族の中で私だけが何年たっても立ち直れずにいます。私は父の生前、ひとりキツく当たられ、『死んでくれ』と言われました。断ると、『じゃあ一緒に死のう』と。
『一緒には死にたくない』と言ったら『ダメだ。死のう』

車の中で言われた時怖かったです。
その後、私が元気になり働け生き生きと生活できるようになったのと裏腹に父が鬱になり、数年闘病生活を送っていましたが…自殺しました。

切符の買う場所もわからなくなるくらい、電話で母からその事実を告げられてから、心臓がドキドキして信じたくない気持ちともうどーしよぉもなく、
動揺して、電車の中でぽろぽろ涙が後から後から溢れてきて、いつもは歩く家までをタクシーで、でも落ち着かなくて、途中で降り、泣きながら、全速力で走りました。家に着いて、母と会い…本当なんだ!と二階にかけ上がったら啓司さんが3人ほどいて、父が倒れていました。一瞬触れるのが怖かったのですが触ると温かく、バカな私は実感がわかなくて『生き返るんだ』なんて淡い期待を持ったりして、、、でも本当に死んじゃったんだ!って我に返った時、大泣きしました。お通夜も葬儀中も冷静で手続きなど警察へも一人で行き、てきぱきと母の代わりに動いていました。職場は辞めて、しばらく
母の近くにいようと家の中で二人でパンダみたいにゴロゴロしてました。
その後はバイトなど経てまたフルに仕事に戻り、明るく元気に働いていましたが毎晩一人で泣いていました。『私のせいだ!』という気持ちが頭から離れず・・・長くなって申し訳ありません。その後、紆余曲折あり、私は今はメンタルクリニック処方の薬を飲み、通院することさえままならない、ほとんど引きこもり状態です。父の自殺がきっかけで双極性障害になったとの診断です。

誰かしんどいと話せる人は家族、友人、恩師、先輩、後輩、知人など優しい人たちには恵まれていても、私はしんどくてたまりません。どんなに本当の気持ちを心の中から話しても、カウンセリングの先生には誰にも話せない、家族にも言えないことを全て話せて、とてもいい先生です。けれども、私は

つらくて、死にたくて、でも死ねなくて、しんどくて、泣いてばかりで、、死なないようにするだけで精一杯です。

投稿:ふわもこチャーモ 2018年03月23日(金曜日) 03時12分

不安障害で精神科に通院しています。通院してもう5年以上経つかと思われますが症状が良くなったり悪くなったりの連続のなかで今は実家の家業の手伝いをしてます。27歳の男です。もう将来などと言えるほどの年齢でもなくなり、自分の未来が全く見えず、最近は自殺をよく考えたりします。大好きな主治医とカウンセラー(両方とも女性)に支えられながらなんとか今は生きてます。でも二人の先生ともあまり自殺に関して踏み込んだ意見を言ってくれず「死ぬのはもったいないですよ」とか「深く考えすぎないでください」と別の話に持っていこうとするところがあり僕としては何か逆に辛くて悲しいです。でも先生たちのことは大好きなのでなかなか意見できません。もっと自殺をオープンに語りたいです。

投稿:とも 2018年02月13日(火曜日) 20時13分

死にたいと思うことは生きたいということの裏返し。

投稿:みえこ 2017年12月19日(火曜日) 14時10分

「死にたい」という言葉の中には「助けて」とか「生きたい」というメッセージが込められているのではないかと思います。
誰かに対して言えないからこそSNSに吐き出す。それで自分自身を何とか保とうと…。
今回の事件で感じたのは「死にたい」と思っていても実際は「生きたい」という叫びだったのではないかと私は思いました。

投稿:あお 2017年12月08日(金曜日) 02時26分

50代です。「話せるところが、ない」私は、精神保健センターに、相談電話があると 広報があり 2年前かけたら、職員が、「ここに電話しても相談はできません」保健所にかけてください。。。と言われました。10円しかなく 大変な思いで、もし電話かけたら、どう思うでしょうか
ここにかける人が、簡単に、電話かけてると思いますか 私は、こういう事実が、自殺を、おこしてる 人が人を、苦しめてる どこも そうなのです。行政もどこも
人が亡くなろうが、首にならないし そういう理由でしょう これを、市議が読んでも 関係ない こんなことが、山ほどおきてて それが、行政が 動いてるのです。自分が 生きてる 意味は、ないと
保健所さん こんなことで、くじける 事実です。だれか 市職員の体質を、変えてください。だれのために 仕事してるのかな 上司にいうまま 仕事して 「ここにかけないでください」と言えばいいのですから これは 詐欺ではないでしょうか。

投稿:ねこ 2017年12月07日(木曜日) 05時02分

はじめましてー僕も20代の時は、生きていてもつらいことがあり乗り越えられない悔しさと両親が自分の気持ちが分かってくれないと思い居場所を探したり、死にたいと思ったこともありました。でも僕は本当に死にたいのじゃなく気持ちを分かってくれる人を求めて分かち合いたかっただけだと思います。なぜなら死ぬことが怖かったから。うつ病になっていればまた話は別とは思います。今は死にたいと思う気持ちはなくなりました。今は一人暮らしをしています。何がそうさせたのかは分かりません。ただ自分自身とちゃんと今は向き合うようにしています。今もまだまだ未熟で自分自身と闘い日々努力しています。イヤになることは少なくなりました。

投稿:たかちゃん 2017年12月06日(水曜日) 22時25分

座間で発生した事件。
ただただ……私は怒りで込み上げるばかりだ。

Twitterでつぶやいた言葉
それは自分の漠然としたキモチを露にしただけなのに
それを利用して殺害された。。

知らない人についていってしまうのは一般的に考えたらおかしいかもしれないけど,でもそれはそこまで追い詰められていたからですよね、

彼らは今 自分のつぶやき・キモチに後悔していないのかな。

今はご冥福と共に来世での幸せを願っています

投稿:Hiro:n 2017年12月06日(水曜日) 12時22分

30代になり、周りは家庭があり、仕事もある。学生時代の友人からたまに食事に誘われても、結婚や仕事、そういう話を聞かなければいけないことは苦痛でたまらない。働きたくても働けない、恋愛も出来ない。私は何もない空っぽだなと思う。誰だって悩みを抱えて生きているのだからと言われたら、誰にも相談出来なくなった。まだまだ若いし、病気が治れば…って周りに言われても限界しか見えない。毎日「死にたい」気持ちはある。これから先のことを考えるより、「死」を考えた方が希望がある。私には絶望を分かち合えるような人はいない。座間の事件は衝撃的だった。誰かと繋がれる、話を聞いてくれる、一緒に死んでくれる。私ならついて行くだろうなと思った。

投稿:Riryka 2017年12月03日(日曜日) 04時29分

私は双極性障害とPTSD 摂食障害などを複数抱えています。
小さい頃から肉体的にも精神的にも虐待があり、見かねた近所のお婆さんに育てられました。
男兄弟だけは可愛がることと外面がいいこともあり、周りは私の言葉などに聞く耳を持ってはくれず嘘つき呼ばわり。

自殺をして病院に運ばれた後も父からは「お前より苦労しているやつは大勢いる」「意思が弱いから……」と責められ、母も「どうせ本気で死ぬ気はないんでしょw」と死んでしまえと言わんばかりに怒鳴り付けられました。

そんな私が生きていられるのは、クローズドのLINEグループに出会ったからです。
様々な人が様々な悩みを打ち明けあい、答える方も真剣に答えてくれます。
そんな人達に触れて、ネットですら出来なかった簡単な挨拶や、気後れして踏み出せずにいた就労支援も前向きに見当出来るようになり、生まれてはじめて希望が見えています。

すべての場所が事件に繋がるような危険な場所ではありません。
最期の砦まで奪うようなことにはならないで欲しいです。

投稿:雪 2017年12月01日(金曜日) 14時28分

自分も鬱っぽかった時期があったので、少しわかります。救われた理由の一つとして、(1)似た境遇の方が本を書き、(2)それを読んでイベントでお会いして(読者から見た存在としては雨宮さんに似てる)、(3)その方が立ち上げた少人数の非公開SNSに加えてもらいそこで吐き出せた、ことが大きい。まさに雨宮さんの「いちばん大きな理由」に似たパターンです。
確かに公開SNSは無防備過ぎて、今回みたいな最悪の刑事事件から、嫌がらせコメント、無理解でむしろ有害な反応と、危険がいっぱいだとは思います。私のいた非公開SNSでは、オフで知り合って会話した方だけ入ってもらう方式でした。似た境遇の方だけなので安心して話せる、と皆さん口にしてました。それですら中にはもめごと起こす方もいて、空中分解みたいになっちゃったのですが。
だから公開SNSが最適解とは思いませんが、行政が保護者面して規制という話でも全くないと思います。政府も「ゲートキーパー」の広報なんかを(一時はタレントまで起用して)やってたじゃないですか。規制して事故だけ防ぐフリをしても、ゲートキーパーの役割のほうはどうするのという話で。保護者ならそもそもそっちを何とかすることを考えないと。

投稿:アダルト・チャイルド 2017年12月01日(金曜日) 08時06分

ネット以外で、しにたいと言える相手はいません。その場合、どうしたらいいでしょうね〜。

投稿:スリッパ 2017年11月30日(木曜日) 22時57分

雨宮処凛さんの意見に賛成です。
問題は、「弱音を吐けない世間」であって、
弱音を吐く場としてのSNSを奪うことは、
彼らを一層追いつめるだけで、
何の問題解決にもなってません!

投稿:leon 2017年11月30日(木曜日) 22時44分

私は20代の視覚障害者です。
死にたいと思うことは何度もあります。
実は今も思っています。
目が見えないからとか、親やガイドヘルパーと一緒じゃないと出かけられないからとか、そういう理由で出かけられない環境から抜け出したいのにそれができない、だったら死んだほうがマシだという考えがよく脳内を巡ることがあります。
でも、私の身近にそのような話をちゃんと打ち明けられる相手は一人も居ません。
かといって、心療内科に行くとか警察などに電話をするとかそういうことをする勇気も出ません。
私と同じような環境にいる人はきっとまだまだ居ると思います。
そんな人達のために、ネット上でも現実でも、気軽に悩みを打ち明けられるツールや場所、弱音を全部気兼ねなく吐き出せる場所が増えたらいいなと思います。

投稿:みゆう 2017年11月30日(木曜日) 21時47分

私は死にたいという気持ちを持っています。
そう思っていることを前に両親に知られ怒られたことが
あるため今はなにも誰にも自分の気持ちが言えなくなりました。
死ぬことはいけないことだとは分かっています。
だから怒られても仕方ないのかも知れない。
けれど一つも話を聞いてくれなかった。
今もどうしたらいいか分からず辛いです。
死にたいという気持ちを受け止めてくれる人って
なかなかいないですよね。

投稿:いりこ 2017年11月27日(月曜日) 21時35分

私は人に、苦しいとか悲しいとか、死にたいとか…、言えません。

子どもの頃からずっと親には、基本的に意見や感想を否定されてきました。
自分の思いを言うと、「それは違う」「それはオカシイ」でした。
泣いたら「泣くな‼‼」と言われ、感情否定されているようでした。
否定、批判ばかりで、もう自分の気持ちを言うのは、恐怖となりました。

1、2回、近しい人に、どうにもならなくて、「しんどい」と漏らしたことがありました。
その時に返ってきた言葉は、
「みんなしんどい」「悲劇のヒロインぶるな」でした。
ショックでした。

「死ねないから生きてるだけ」と言った友だちもいました。
そしたら、リアルの周りの人は、「え。」と言ったきり、笑って流して、それで終わりでした。

私は、また自分の気持ちを否定されるのが怖くて怖くて、
どんなコメントが返ってくるのか怖くて怖くて、
ネットでも、自分の苦しみをなかなか出せません。
こういう極めて安全なサイトで、チラチラとそれとなく出せるだけ。
でも、リアルよりネットの方が出せるし、
出せなくても、みんなの苦しい気持ちを読んで共感することで、
なんとか自分を保っています。

規制なんて、絶対止めて欲しいです。 
何を言っても、引かないで受け入れてくれるリアルがあればいいけど、
そんな保証はないから。
一方通行の要素が強いサイトでは、コメントがつかないことで、何を言っても許してくれる、となんとか思えます。

投稿:まんまるまんまる 2017年11月26日(日曜日) 16時50分

共に生きる友がほとんどなくなっている。リアルな場づくりができないかなあ!!

投稿:おかもとけんじろう 2017年11月26日(日曜日) 13時11分

こんにちは。私は、知的障害があります。いじめられたことがありました。その時は、死にたいと思ったり、リストかっとしていました。なぜ、障害のせいでいじめられなきやならないのか、すごく辛かったです。今でも泣いたりしています。障害をもっていても生きやすい社会になってほしいです

投稿:みい 2017年11月26日(日曜日) 11時43分

私が死にたいと感じるようになったのは、中学二年であったいじめやカツアゲからです。相談出来る場所はありませんでした。親に話すのはカッコ悪いとか思っていました。それから二十年経ちましたが、未だ死にたい気持ちにとらわれます。あの時弱音を吐く場所があれば少しは変わっていたのかもしれません。

投稿:とむ 2017年11月24日(金曜日) 22時39分

わたしも同じく、自殺を真剣に考えていた頃に多くの仲間とネットで出会って、今こうして生きながらえています。
今回の事件、この、貴重な空間に入り込んで、自分の性欲を満たすためだけに、迷える魂を食い物にしてきたからこそ、怒りと哀しみが絶えません。
頭ごなしに居場所に柵を張り巡らすのではなく、苦しんでいる魂の目線にまで降りてきて、寄り添ってほしいものです。

投稿:やそっち 2017年11月23日(木曜日) 23時16分

私は、22年前に勤務していた病院に、長男が救急車で搬送されてきました。私は、事もあろうに、看護師として彼を迎えました。そして手術後13日で天に召されました。私は、その後、最愛の息子の突然の死を受け止めることが出来ませんでした。自分を責める日々が続き、うつ病になりました。何度も死にたい!と感じました。私の苦痛を共感してくれる人はいませんでした。家族でさえ、同じ想いにはなれません。そんな時に、私の支えになってくれたのは、物言わない大地でした。ただ黙々と畑を耕して、花や野菜などを作っていることで、心が癒されました。今でも、心がしんどい時に、庭仕事をしています。どこにも持っていけない苦痛を共感して傾聴してくれる場所や人は、簡単には見つからないのです。日本の臨床心理士さんが単独で開院出来たら良いのにと思います。日本は、欧米と比べたら、臨床心理士さんの活動の場所と立場の保証が無くて活躍する場所と機会がないと思います。臨床心理士の資格者は、以前と比較したら人数も増えてきました。この方たちが、今回のような被害者と繋がり易いシステムを構築して欲しいです。

投稿:まねきブタ 2017年11月22日(水曜日) 21時57分

双極性障害を発症してから、診察やカウンセリングを通して、人を頼ること、人に弱みを見せることができない自分に気づいた。社会復帰直後、カミングアウトしていた友達には体調イマイチ、とか言えていたけど、数年経つとやっぱり言いにくくなってしまい。闘病中に知り合ったほかの精神疾患をもった友人とLINEグループを作り、辛い時はそこで吐き出しあってます。歳も近くて会ったりもするからほどよい距離感で、自分の仕事の話なども含めて話ができるので本当にありがたい存在です。
でも、そこでも顔を知ってるからこそ、言えないこともやっぱりあって、そのためにTwitterはなくてはならないものになっています。同じ障害の人とつながって、情報交換しながら、もうダメだ、死んじゃう、消えたい、と時に何度もつぶやきます。周りにもそんな人がたくさんいるので、そうだよね、とみんな分かるよ、という空気感が、今の私の精神バランスを保ってくれています。なかったら、私の回復はもっともっと遅かったと思います。

投稿:ぐら 2017年11月22日(水曜日) 21時52分

死にたいとネット上でしか言えない人はたくさんいらっしゃると思います。とても優しい人なのではないでしょうか。
よく自殺を思い留まらせる時に使いがちな「あなたを大切に思っている人が悲しむ」という言葉、それを誰よりも分かっているからこそ、家族や大切な人には言えないこともあるでしょう。悲しませたくない、がっかりさせたくないという気持ちが、辛い状況から脱出する脚を止めさせてしまうこともあるでしょう。誰も悲しませず、がっかりさせず、自分で助かる糸口を探りたいと思って書き込みをするのではないでしょうか。死にたいと言えない人からそういう機会すら奪ってしまっては、その人は自分ひとりで苦しんでいる八方ふさがりの世界から出られなくなってしまうのではないでしょうか。単純に書き込みを規制するだけ、というのはそういう事だと思います。

投稿:カメパパ 2017年11月22日(水曜日) 21時30分

「死にたい」気持ちを抱えて、本当に死のフチまで行ったこともあります。
SNSで「死にたい」と零す方の気持ちも、全てではありませんが私なりに理解出来ます。
死にたい、と際まで歩みながら、誰かに手を握っていて欲しいんです。
もがいている最中のメッセージだと思うんです。
もがく事も許されなくなったら、息苦しくなって八方塞がりになる人で溢れる気がします。
「死にたい」は「助けて」の裏返しの発信メッセージとして、受け止めて対策を考えてほしいです。
そういう環境に置かれている人達の、救済方法が別にあるはずなんです。

投稿:ゆき実 2017年11月22日(水曜日) 20時46分

コメント失礼します。終活カウンセラーのSと申します。
私も死にたいという気持ちは悪い事だと思いません。
むしろ良い事だと思います。
死にたいという希望を持ち、何かから解放されたい
と言う気持ちはその先に明るい何かを感じるから死にたいと
思っているのではないかと私は考えます。
その、死にたい気持ちを大切に1つ1つ紐解いてあげたら
きっと素敵なものを持っていると思います。
死にたいと思っている人達がSNSで吐ける事
は心が生きたい!と言っている事だと考えます。私も死を考えて生き方が変わった1人っす

投稿:ワラウ 2017年11月22日(水曜日) 07時04分

私の知り合った少女は何度かSNSの場で「死にたい」と言った趣旨の発言をしていました。あまりに度を超えた発言を繰り返すため、ある日「その言葉で貴方を心配してくれる人が何人もいる。貴方が死にたいという度に心を痛める人が何人もいる。死にたいと言うならばその理由を言って、誰かに話を聞いてもらう方が楽ではありませんか?もちろん私もどんな話だって聞きます。」とメッセージを送りました。それから彼女とやり取りを始めました。最初は頑なだった彼女も今ではだいぶ本音を聞かせてくれるようになり、私に対してわがままも言ってくれるようになりました。確かに同調して、慰めることも必要かもしれませんが、たった一人「貴方の話を聞く。絶対にあなたの味方でいる。」と手を差し伸べ、ネガティブになった思考を引き上げてあげるのも必要なことだと思います。

投稿:夏華 2017年11月21日(火曜日) 20時47分