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【チエノバ12月】春名風花さん「ネットを規制することは問題の解決にならない」

2017年11月20日(月)


春名風花さん「ネットを規制することは問題の解決にならない」


こんにちは、春名風花です。
この事件について思っている事は松本先生がすべて仰って下さっているのですが、ぼくも同じく、ネットを規制することは問題の解決にならないし、むしろギリギリの人から最後の命綱を取り上げてしまう事になるのでは、と考えています。

想像して欲しいのですが、現実世界で実際に『死にたい』と口にしたところでまともに話を聞いてくれる人が果たしてどのくらい居るでしょう。 被害者の周囲の人がインタビューを受けているのを見ましたが『悩んでいるようには見えなかった』『部活を頑張っていた』などと言っていました。近くて親しい人であればあるほど、まさかこの人が・・・と軽く受け流してしまい、なかなか他人の痛みには気づきにくいものです。

ネットの向こうの知らない人だからこそ、真剣に話を聞いて貰える。知らない人だからこそ、誰にも言えない悩みを打ち明ける事が出来る。きっと、そんな事もあるのでしょう。

ですが今回のように、そこにつけ込んで『どうせ自殺しようとしている人間だから、殺してもバレないだろう』という人が今後もあらわれないとは限りません。
誰が信用出来て、誰が信用できないのか。傷ついている人は疲れ果てて判断力も落ちています。少しでも危険な目にあう可能性があるなら、ネットそのものを規制してしまおう。そういう意見も分からなくはありません。

このまま犯罪者に対して無防備なのも良くないし、かと言って死にたい人が最後に掴んだ『つながり』をバッサリと絶ってしまうのもぼくは怖い。どうすれば良いか、番組で皆さんの意見を聞かせていただけたら嬉しいです。

春名 風花(声優)


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 ハートネットTV WEB連動企画"チエノバ"「座間事件とSNS」
 2017年12月7日(木)夜8時生放送[再放送:14日(木)昼1時5分]

【特設サイト】自殺と向き合う / #8月31日の夜に。
相談窓口はこちらからご覧いただけます。【お役立ち情報】自殺

コメント

私は、規制することに意味をあまり感じません。
むしろ、死にたい人の気持ちを蔑ろにする可能性があると思います。

実際、私もSNSで、助けを求めたりもしたことがあります。
通称病み垢も持ってます。
その中で、同じ悩みを持つ人と繋がれる。
その安心感は、私には必要でした。
そして、支え合うことも。

こういう事件が起きたこと、心が痛みました。
もっと規制すべきことがあると思います。
病み垢凍結は、その人達の唯一の居場所までもを奪い、逆効果だと思います。

投稿:あこ 2017年12月07日(木曜日) 18時48分

普段「死にたい」という気持ちを隠しにしながら生きておりますが、SNSの規制は無意味に感じています。隠語のような新しい言葉が生まれることと、死にたい人はそんなこと関係なく死にたいからです。

「SNSでそんなこと言わずに、悩んでるならカウンセラーなど専門家を頼ればいい」と思う方もいるかもしれません。
しかし、普段はそんなこと隠しているため、カウンセラーを頼ることができないことと、そもそも精神疾患があるわけでもないので、これは自分の気の持ちようだ、もっと大変な人がいると思う自分がいるため、専門家を頼ることができません。
結果、匿名で死にたい気持ちを投稿することに留まります。

投稿:三佳 2017年12月07日(木曜日) 13時32分

死にたくならないような社会になるのが一番だけれど、正直に言ってそんなまともな人が増えるような世界ではないでしょう。机上の空論です。

そもそも今死にたいと思っている人は今まで誰かを救ってたのか?誰かの叫びに耳を傾けてたのか?してない人がほとんどだと思う。だから考え方に偏りがあり自分を救えない。

ほとんど全員が自分の目先の幸せや快楽しか考えないからこうなる。
気持ちや自分を受け入れて欲しいのならまず自分が他人を無条件に愛してみたらいい。そうしないといつまでも苦しいままだ。

投稿:りこ 2017年12月07日(木曜日) 12時52分

リアルで口に出した所で誰にも解決出来るものではないと思います。ネット(例えば吐き出す為に作ったアカウントなど)で吐き出して、また日常を生きて、また悲しくツラい事を吐き出す。
この繰り返しでなんとか今を生きてきました。
「死にたい」とまでは書かないものの離人症などもあり現実感がなく「消えたい」と書くことは多々あります。私など居なかった、何もなかった事にしたくなるのです。
私には家族がいますが、家族に言っても困らせるだけなんです。
「そんなこと言わないで」など心に負担をかけるので出せないのです。ネットを規制されても感情が変わるわけではないですし、「あ~話合わせてくれてるな~」から「なんかおかしい」と1歩引いて引っ掛からないようにする啓発は必要かもしれません。
自分がネットを使ってて言うのはなんですが、我が子たちにはどこかに吐き出す場所、自分がいても違和感のない場所は必要だとも思います。ネットの繋がりを本気にするなとは言ってあります。

投稿:のの 2017年12月06日(水曜日) 23時51分

「死にたい」と親や友人、知人には軽々言えない。言ったら傷つけてしまう、そんなこと言うなよと言われる、きっと困ってしまう。だから大切な人たちには言えない。SNSで「死にたい」「消えたい」つぶやくことは気持ちを外に向けて表現できる唯一の場。知らない周りの人も生きずらさを感じてるんだって思うと少し気持ちは楽になる。それを規制しても、自殺者は減るのか…逆に追い込まれるだけじゃないか…疑問に思う。

投稿:匿名 2017年12月03日(日曜日) 04時41分

私はメンタル疾患の療養中でSNSで随分助けられています。病気のせいで「死にたい」と思う「希死念慮」がある事も考慮しなくてはならないと思います。そして、実生活の中で辛い事があり「誰か助けて」という言葉が「死にたい」という言葉として呟いている場合もあると思います。その時「どうしたの?」と自分に目を向けてくれる人の存在は凄く大きい。なので、ただ「死にたい」「自殺願望」を思わせる言葉だからと言って規制はしない方が良いと思います。しかし今回の事件の様に、そういう弱った心につけこむ人間は居る訳で、どちらかといえばそちらの方に目を光らせるべきじゃないかな?と思います。

投稿:りこぴん 2017年11月29日(水曜日) 16時03分

もう今はほとんどしませんが私がSNSに自分のもやもやした気持ちを投稿していた時、誰でもいいから誰かに見てほしいという思いがありました。別にコメントや反応はいらないのです。自分をよく知っている人ならとくに。自分の人間関係のしがらみをよく知っている人にほど弱音というのはこぼしにくい。
そんな時にリアルでは知らない第3者が自分の気持ちを聞いて手を差し伸べてくれたと感じたら、その人と会ってみたいと思ってしまうのでしょう。
きっと、死にたいと本当に思っている訳ではないのです。人とつながっていたいのです。だれかと関わっていたいのです。
この問題の解決策がどこにあるのか、どうすれば1人1人が少しでも生きやすくなるのか私にはわかりません。でも、自分の手の届く範囲では友人とも機会があれば積極的に会っていろいろ話したいなって思います。定期的に話していれば、話せる内容はどんどん広く深くなっていくのではないでしょうか。
SNSに投稿することで人とつながっていることを実感できる瞬間もありますが、自分が後悔しないためにも実際に会って話すことを大事にしたいです。
実際に会って話して、人からもらった言葉が1番自分の中に残っていくものだと思います。
話せなくなってからでは、遅いのです。

投稿:とむ 2017年11月29日(水曜日) 12時53分

今回の殺人事件の問題は、執行猶予中の人間の犯行ですね。しかも、有罪犯罪で行っていた女性への接触を行っている。ここで、再犯可能性ありとして検出できなかった。この問題を考えてほしいのです。人を色眼鏡で見る危険性はあるが、執行猶予中なら監視があってもよいのではないか?まずこの問題を考えてほしいです。
次に、SNS上の一般的な規制に関しては、希死念慮の発生をSNSで訴える。これに対してメール等で支援する、このような動きもすこしはできているれいもあります。色々な可能性を探る。しかし、一方で問題となる行動には厳しく対応する。これが必要ではないでしょうか。
インターネットはアメリカ的な文明です。本来規制は緩い。しかし、権利侵害には毅然として立ち向かう。このように実例の積み上げで線を引いていく発想にナルノデハと思います。

投稿:snsの一住人です 2017年11月28日(火曜日) 13時57分

私は辛い時ネットで呟くのではなく自分が辛いことを検索キーワードにかけて
同じことを思っている人のコメントや質問を読んでいます。
そうしたら私だけじゃないんだとかそれに対して良いコメントがきていたら
私も励まされたような気持ちになって頑張ろうかなと思えた時もありました。
実際に呟かないのは怖いという気持ちが強いからです。私はネットに詳しくないし
知らない所で変な事になったら…と思ったらできないのです。でも今回の事件は他人事の
ようには思えない所もあります。そう思っている人も多いはずです。こういうことが起きたからといってネットを規制しても代替できるものがなければ同じだと思います。
人によって傷つけられても人は人にしか救えないのだから。

投稿:いりこ 2017年11月27日(月曜日) 21時26分

コメントというよりは自分語りします。すみません。自己満なのでスルーしてください。
私は大学進学をきっかけにツイッターを始めました。
理由は一人暮らしを始め、しかも大学では周りに馴染めず"ぼっち"だったからです。
当初誰もフォローせず一人でひたすら呟いていましたが、ある時自分に似た状況の人を見つけました。
大学までネット文化に触れてこなかった私にはとても衝撃でした。
周りに馴染めず"一人も"友達がいない人間なんて自分だけだと思っていたからです。
実生活では、周りの人全員が楽しそうだったり充実した日々を過ごしているようにしか見えませんでした。
しかし日本には自分と似た状況の人が他にもいる、という事実を知りとても救いになりました。
次第にツイッターのフォロー数も増え、コミュニティを形成していきました。
皆さん人生が辛そうでした。
特に会話をする訳でもなく一人で呟いたりひたすら相手のツイートを見ていただけでしたが、実生活のキラキラした空気に馴染めない私には、人生が辛いツイートばかりが流れてくるタイムラインが安心出来る居場所になっていました。
ただ、周りに影響を受けやすい私はこのタイムラインのおかげで余計に憂鬱になっていたかもしれません。
今は無事大学を卒業し社会人1年目をしています。この時のコミュニティのツイッターもやめました。当時のツイッターで出会った人と同棲しています。
私は彼に人生を変えてもらいました。
出会った当初は彼も人生を辛がっていたのですが、彼の方が先に精神を治していきました。
そしてその彼に私のツイッター依存断ちを手伝ってもらったり、彼と健全な充実した日々を過ごす内に陰鬱した日々から脱却する事が出来ました。

私自身の体験から言うと、SNSでの"死にたい"という気持ちの共有はメリットとデメリットがあるなぁと思います。
私はこのようなツイッターのコミュニティのおかげでリストカットやODを覚えました。
軽度ですが実際にやってみたりもしました。辛い現実にぶつかった時にやっていたのですが、辛い気持ちと同時にこの人生が辛い人々のコミュニティの輪に入れた気がして少し嬉しがってたと思います。
気持ちの共有は多大な安心感があります。私もその安心感に救われました。
しかしその相手の気持ちに引きずられることもしばしばありました。
このようにやはり良くない情報が入ってきてしまったり気持ちが引きずられることがあるのはデメリットかなと思います。
しかし、やはり私はSNSでの死にたい気持ちの共有は必要であると思います。
実際、私自身がSNSで救われたから言えるだけかもしれませんが。
実生活での人間関係は限られています。その人間関係に運悪く恵まれなかった人もいると思います。
しかしその人間関係だけで人生を決めて欲しくない。
世界中にはいっぱい人間がいます。その中で自分と価値観や相性が合う人は必ずいます。
自分と合う人と出会える確率が一番高いのがSNSだと思っています。
私はツイッターのおかげで、どんどん病みに陥っていった時期もありましたが、ツイッターのおかげでそこから救ってくれた人とも出会えました。
病みに陥った時期があったからこそ、ハートネットTVの存在を知ることも出来たし、色んな人の色んな悩みの存在も知ることが出来ました。
だからこそ色んな人を受容したいと思えるようにもなりました。
今回の座間事件のように、SNSが悪い方向に繋がることもあるかもしれませんが、それでも私個人としてはSNSは"死にたい"と思っている人の救いのツールになると感じています。
実際私が救いになりました。
どうか"死にたい"という気持ちの共有の場を奪わないでほしい。

投稿:ゆずる 2017年11月26日(日曜日) 18時38分

ネットで出会うことが必ずしも悪いこととは限りません。
よく言われますが、昔は雑誌で文通友達ができたものです。それの体制が置き換わっただけですね。

ただ、自分がしていることのリスクを自覚できないまま行動するのは、SNSに限らず危険な行動でしょう。リスクを承知し、対策を取った上で、責任を持って行動することです。

ここまではネットの話。
ここからは希死念慮のについて書きたいと思います。

私は精神科に通っていて、死にたいと思うことも自殺したいと思うことも、実際に死のうとしたことも何度もあります。
弱者を排斥し差別する社会は何も変わっていないと感じています。
どこにも行き場などなく、もはや諦めるしかありません。
働いても体調は不安定、勤務を継続するのは難しい。
若い人は、親が精神科に偏見を持っていて、病院に行かせてくれないことも多いです。
精神的肉体的性的虐待の話もよく聞きます。
親がお金をくれないから、売春をしなければ病院にかかれないという子からも話を聞いたことがあります。

若い子が死んでいくのは今の若者が云々、ではありません。
私も含め、若い子たちをバックで支える大人の問題です。
これは私たち大人の問題です。
何かあった時に、少しでも困った、不安な時に、周りに相談できる大人に私たちがなれているのか。
なれていれば、今の若い子は相談してくれるでしょう。
それがそのまま大きくなれば、大人同士でも相談しあえるようになるのではないでしょうか。

そして、相談された時。暗い話をされた時。
きちんと相手の話を聞けていますか?それは違うと、遮って否定したりしていませんか?
相手の辛い気持ちを、「そうか、君は今こういうことがあってとても辛いんだね、それで死にたいと思っているんだね」と受け止めてあげてください。
死ぬなんてダメ、と言ってしまうのは、死にたいほど辛い相手の気持ちや感情、そう言った思いを抱く心そのものを、否定して圧殺しているのに等しいです。
傾聴、という言葉をご存知ですか。
しっかりと、耳を傾けてあげてください。
説得するのではなく、気持ちをただ受け止めてあげてください。

これはきっと理想論なのでしょう。
あまりに、世の中には無意識の差別や偏見や悪意がはびこっています。
世の中を変えるのは現状無理でしょう。
これを読んだあなたが、自分のふるまい、人への心の注ぎ方について少し考えてくれれば私はいいです。

最後に、ネット規制に関して一言。
今のネットは、疲れ切った人の駆け込み寺になっている一面もあります。
対人恐怖で、文面のやりとりしかできない人でもコミュニケーションが取れます。
ネットを規制するのではなく、ネットで人を助けようとする公的機関があればいいのにと思います。そう言った相談窓口は、自分の足で向かうか電話です。
家から出られず、電話もできない人はどうすればよいのでしょう。
規制規制と上から目線にならず、同じ目線に立って欲しいです。

投稿:ミスト 2017年11月26日(日曜日) 08時45分

かみこみや、辛さを、書くのは、良いと思います、
ただ、会うのは、辞め
やはり、病院や、ソーシャルワーカーさん
おすすめの団体さんを、知るとか?


病院へ行けない方?は
市町村での相談窓口
または、電話帳の相談支援先、を探すのが安全かと。

このような、事件は、無くさないと、と感じます。

投稿:たぬき 2017年11月23日(木曜日) 10時51分

政府の仕事は、自殺したいと思う人が少なくなるような世の中を作ることであって、ネットを規制することではないと思います

投稿:gunji 2017年11月22日(水曜日) 10時04分

確かに、今インターネットには明確な「ルール」がありません。
現実世界では、「刑法」や「民法」などの法律、また都道府県ごとの条例などさまざまなルールがあります。これは、みんなで過ごしやすい社会を築くために話し合って決めた「規制」です。だから、「みんなで過ごしやすいインターネット」を築くためには「規制」も必要でしょう。
でも、一度失われた自由を取り戻すことはとても大変なこと。その自由を犠牲にできるほど、私たちは話し合ってきたでしょうか。その場しのぎで自由を犠牲にしようとしていないでしょうか。
これは誰かが決めてくれるものではなく、私たち一人一人が真剣に向き合わなければならないことなのです。

投稿:seok 2017年11月22日(水曜日) 00時17分

現実の世界で、いくら死にたいって言っても誰も聞かない。だから、自傷行為や自殺未遂で、ほんとに苦しいんだよ!つらいんだよ!ってsosを送っても誰かに拾われることはない。そんなこと言うなとか、バカなことするなって言葉は聞き飽きた。現実の世界がこれだから、ネットの世界で助けを求める。それが、いけないことなの?それを、規制されたら、次はどこへ助けを求めたらいいの?規制することも時には必要なのかもしれないけど、規制されることになってつらい思いをする人が増えます。ネットだから自由に思ったこと言える。それだけでも、救いになるんです。共感してくれる人がいるから。

投稿:…suna… 2017年11月21日(火曜日) 23時28分

春名さんのコメントには賛成です。自殺の問題に限らず、困っていることについて聞いてもらったり、一緒に喜んでもらったりと、世界中の人の心をつなげるツールとして誰もが使うことができるツイッターは、良いものとして使うべきものとしては今の時代なくてはならないものだと思います。しかし危険をはらんでいるのも事実です。大人が子供たちに安全なツイッターの使い方を指導する必要性を感じます。

投稿:ちい 2017年11月21日(火曜日) 22時34分