「生きていた人の姿を感じてもらう伝え方を」 語り部の先輩から後輩へのメッセージ
「体験していない人には、震災の事実だけでなく、そこで生きていた人の姿を感じてもらう伝え方ができれば、相手の心を揺さぶると思う」
東日本大震災の経験を伝える24歳の語り部と、沖縄戦を語り継ぐ69歳と42歳の語り部。伝える内容も経験も違いますが、共通する思いがありました。
小学6年生のときに被災し、原発事故による避難生活などを語っている、福島県富岡町出身の宗像涼さん(24)。しかし時間の経過とともに社会の関心が薄れ、震災を知らない世代も増える中、どう伝え続けるのか悩んでいます。
そこで今回訪ねたのが、沖縄で活動する先輩の語り部たち。
対話から得たヒントとは。
東北ココから「語り部クロス 〜語り継いでいくために〜」
3月9日(木)午前2:39~放送(全国)
※放送から1週間、NHKプラスで見逃し配信をご覧いただけます
大事なのは「聞く人が何を求めているか」を知ること
去年11月、宗像涼さんが訪ねたのは、那覇市に暮らす山内榮さん(69)の自宅。山内さんは30年以上にわたり、県内外の人々に沖縄戦を経験した人の証言などを伝えています。
同じ団体に所属する北上田源さん(42)も、沖縄戦や基地問題について調査研究しながら、20年以上語り部として活動してきました。
宗像さんは語り部の「大先輩」にあたる2人に、「若い世代にどう伝えるか」という悩みを相談し始めました。
震災の語り部として二十歳から活動して4年目になるんですけど、若い世代たちにどう語り継いでいくのかとか関心を持つような伝え方とか話し方っていうのを、何かヒントを得られないかと思って。
対象はさ、若い世代って言っても年齢的にはどのくらい?
記憶のない世代、小中学生に対して。そういう子たちやなかなか関心を持たない人たちとかもやっぱりいたりするので。高校生でもですけど。
大体は県外の(人たち)?
県内、県外どちらもですね。被災地ツアーっていうのもやっているんですけど、あんまり関心持ってない子たちもいて。富岡の語り部からこういう話を聞いたよっていうのを持って帰ってほしいなと思って、いろいろ話しているんですけど、やっぱ聞いてない子もいるし、寝ている子もいるし。そういう人たちが「あ、こういうことなんだ」とかじっくり聞いてもらうにはどうしたらいいのかなって。僕も口下手な感じなので、ちょっとどうしたらいいのかなっていうのを思っている。
いや、口下手はいいんだよ。しゃべれる人はそれは得なんだけれども。状況を見せるだけでもいいんだよね。「11年前を想像できますか?」でもいいんだよね。沖縄の修学旅行だとか、学習旅行で来ている子どもたちだったり生徒たちだってね、みんながみんな聞いているわけじゃないよ。それ100パーセント求めちゃったらね、自分が参っちゃう、はっきり言って。くじけちまうよ。
そうですね、そうですね。
1人でも2人でもね、ポイント絞って「あ、あの子俺見てくれているな」って思ったらその子を中心にでも、それでときどきまわりに目やってみると、その聞いている子に同調してくる人たちがいるのよ。できるだけ聞いている人たちの顔を見て(話すといい)。それとね、聞いてみたらいいよ。
聞いてみる?
はっきり態度が分かる子がいるじゃん?「いまの話つまんない?」って聞いてみたらいいんだよ。
あ、そうなんですか、へー。
「じゃあどういう話聞きたい?」って。(ガイド中の)ちょっとしたときに、歩きながらでもいいから。そういうところにね、ヒントがあるかもしんない。その子はじゃあやっぱり来ているわけだから、休んだわけじゃないわけだから、何か求めて来ているんだよ。そこにやっぱり応えていける臨機応変さっていうのは大事。
そうですね。
自分の思いに対して相手がどういうふうに思っているのか分かってくるし、意外と人間の感覚の共感っていうのはあるんだよね。そうしてただ単に彼らも知るっていうより、自分事にとらえて今度その人が富岡で聞いたことを誰かに伝えていくっていう作業にしていければ一番いいよな、と僕は思う。
問題意識があって初めて見える景色がある
北上田さんは京都府出身。琉球大学に進学したことをきっかけに沖縄戦について学び始めました。
北上田さんが大切にしているのが、聞く人それぞれに「問題意識」をどのように持ってもらうかということ。さらに、ふだん大学で教育学を教えている経験から、小学生や中学生に当時のことをどう想像してもらうか、伝え方の工夫を話しました。
聞く人にとって自分の問題にできるかって、意識としては持っていても難しいじゃないですか、すごく。
そうだね。
もちろん聞く人が自分の問題にできて、その問題意識を持って帰ってくれて何かしてくれたらすごくいいなと思うんだけど、難しいなっていつも思うんですよね。でもその景色、ちゃんと現場のその風景って重要だよなって思って。
はい。
自分自身の経験なんですけど、自分は京都の出身で、もう身内に戦争体験、沖縄戦体験者もいない状態で沖縄にやって来て、大学で沖縄戦のことを勉強して、大学1年で京都に帰ったときに、家まで帰る電車からフェンスが見えたんですね。それでこのフェンス何だろうと思ってみたら、それ自衛隊の基地なんです。ずっとここに生まれて育っているから、18年間見ていたはずなんだけど、実は全く問題意識を持ってなかった。だけど沖縄で基地問題って何かみたいなことを考えたときに、その問題意識があって初めて見えるんですよね。
はいはい。
けどそれって意識的に作るのってすごい難しいので、何を見せればそういうふうになるのかって、それはもうだから一人一人違うじゃないですか。そこの難しさってすごくあると思うんですけど。宗像さんが案内されている場所って、いわゆる被災の様子とか、何が分かる場所なんですか?
町の中を全て回っていくんですけど、津波がきた駅周辺で、どのくらいの高さの津波が来てパトカーが流されてしまったとか、どのくらい亡くなってしまったのかお話ししてから夜ノ森駅(JR常磐線)のほうにいって、原発事故で避難して人が全くいなくなった場所ということで、いま人が住み始めて動いている富岡の中央の町から、そこから夜のノ森の人がまだ住んでいない更地になっているエリアを見て、震災からいまに至るまでの道筋をこう回っているような形なんですよね。
どんな人を案内することが多いんですか?
小学生、中学生、高校、大学、企業さん、団体、協議委員会とか、個人で来る方ももちろんいますし、いろんな人来ます。
聞いた範囲で思ったのは、私一応教育専門なのでその感覚で言うと、小学生・中学生には難しいなあと思ったんですね。やっぱ何が難しいかと言うと、基本的にもう震災前と様子が変わってしまったあとを見せるわけじゃないですか。
そうですね。
沖縄の場合、様子が変わってしまった、だからここは当時こうあって、それが被災をしてこうなって、いまこうなっているっていう、そのプロセスはいわゆる見ている人は分かるんだけど、そこに初めて来た人には多分そこの想像はすごく難しいだろうなって。
はい。
沖縄戦を学ぶときに、もちろんその戦場の様子がそのまま残っている場所なんてないわけですけど、当時と似た環境にある所だったり、沖縄戦の戦場がどういう状況だったのかっていうのが分かる所はある。例えばそこのガマ(※自然にできた洞窟。戦時中は日本軍の陣地や野戦病院として使われた)に入ってみることで当時の人たちが置かれた状況を体験してみるみたいなことをやっている。いま宗像さんのお話をお伺いして、多分小中学生にとってみてリアルだなって印象に残るのは、多分「津波がこの高さまできました」っていう話はすごく分かると思うんですけど、ほかの部分を伝えるのは難しいなあってすごい聞いていて思ったんですね。
そうだよなあ。震災を知らない世代もそうだし関心も薄れてくるからな。
体験者の聞き取りを重ね、語り部自身が話の“更新”を
沖縄戦の語り部を始めてから30年以上がたつ山内さん。福島の宗像さんが感じている社会の関心の薄れを、これまで当然のように感じてきたといいます。
そうしたなか大切なのは、戦争や災害を体験した人たちへの聞き取りを重ね、語る内容をどんどん更新し多面的にしていくことだと伝えました。
感覚として、子どもたちは「そんな古い話を俺らにしたってよー」っていう感覚なのよ。福島だってさ、十数年しかたってないのにそんな感覚ない?
なんか9年たったときに節目だっていう形になって、なんか。
このあとね、もっと風化が始まるからもっと苦労するよ。それから来る方々ももっと減るよ。けどね、実はそこに住んでいる人たち、住みたくても帰れてない人たちが持っている、ものすごい強い感情は逆に濃くなってくんだよな。そういう人たちとの関係をどういうふうに作っていくのか、これも実は語り部の仕事なんだよね。
はいはい。なるほど。
そういう人たちに聞き取りをするの。別に話してくださいって聞きに行くんじゃなくても、会話の中でぼそぼそっとしゃべってくれたりするんだよね。一緒にお茶飲んだりしてると。「せっかく来てくれたからね」って、「そういえばこういうこともあったんだよ」なんてね、いままで聞いたことないような話が出てくる場合があるの。これはね、伝えたくないからしゃべらないんじゃないんですよ。伝えきれないし、伝えるのもまたつらいからしゃべらないんですね。けど、どこかに伝えたいという気持ちがあるんでしょうね。だから僕らも聞き取りしててね、「亡くなる前にこれだけは伝えておきたい」っていう人たちが多くなった。このまま墓場までは持って行きたくないって。
へぇ。そうなんですね。
そういう人たちの話を聞いて、自分の経験だけじゃなくていろんな話を複合的に織り交ぜながら、富岡の将来も含めて来てくれた方々に伝えていく必要があるんじゃないかなって僕は思うんだけれども。
そうですね。複合的にって考えはあまりなかったですね。
なかなかね、聞き取りって大変なのよ。1週間以上通ったことあるよ。そのうちに「せっかくだから上がってお茶でも飲んでけ」から始まって、そのうち「もう時間もこんなになったからご飯食べて行きな」に変わってくんの。ほれで「ついでに晩酌する?」。そうなってきたらこっちのもん。
こっちのもん?
もう一挙に話し出すから。でもそれまでの人間関係作るのが難しいのよ。それもネットワーク作るの。話してくれる人、おじちゃんでもおばちゃんでもいいや。ご近所さんで集まっているときにやっぱりそういう話出てくるはずなんだよね。
へぇ。
話している中でものすごい真実があるときあるんだよな。「人にはしゃべれねえけどもね、こんなこともあったよ」ってね、意外とそれがね・・・。例えば「あの人をね、取り残して私だけ逃げちゃった」って。けどそれも人間の現実なのよ。けどそれを伝えきれないからずーっと心の中でも病むんだよな。けどそれはやむを得ない実態があるわけだからね、そういう震災のときなんていうのは。
そうですね。
目の前でさ、助けきれなかった弟がいたっていうのを僕聞いたのね、そのとき「あ、ほんとの怖さはこれだよな」って思ったんだよね。そのときの目の前の光景っていうのはまぶたの裏にずっと残っているわけだ。これが苦しめるんだよね、本人を。だから意外としゃべりたいっていうわけではないけど聞いてほしいぐらいだよな。
そういうのを聞いたら、やっぱり伝えないといけないというか、伝えたいというか、その人が自分に話をしてくれたそんときの表情とかがすごい印象に残るじゃないですか。
うん、そうなのよ。
それで、その表情とか思いみたいなものが “伝え続けないとな” と自分を後押しするような印象があって、宗像さんもそうだと思うんですけど、同じことを話しているだけだとどんどん枯れていく感じっていうか、自分の中で伝えるそのなんかもう気持ちがなくなっていくというか。
はいはい。ありますね・・・。
まあそれは僕自身は当事者じゃないからかもしれないけれど、自分みたいな当事者じゃない人間からしてみると、新しいことを教えられたり新しく出会うことによってどんどん話したい気持ちというか話そうっていう思いをどんどん更新していかないと続かないですよね。
そうなんだよ。
そうやって学んでいって更新する、話が更新されていくこと自体がなんかすごくやりがいになっていくというか、そのサイクルですね。いろんな話を聞いて話を更新していくのって大切だなってよく思いますね、話しているとなんか。
はいはい。なるほど。
いまいろんな人と接点を持って話を聞くことって本当に大事なんだと思うな。まだ11年だから。もう11年とは言わないでください、まだ11年なんだから。でもね、がんばらなくてもいいんだよ。しんどくなったらみんなで分かち合えばいい。しんどいよって。抱え込む必要もないから。
気持ちが楽になりました。
仲間がいるってそういうことだからね。自分を楽にしてくれるんだから。諸先輩にもいろいろ知恵を貸してもらったらいいと思うんだよ、知恵みんなもっているから。若いからっていろいろ任せられるかもしれないけど、分からないことはきちっと相談してみたらいいよ。
ありがとうございます。いろんな話が聞けてよかったです。
こちらこそありがとう 。
ありがとうございます。
(対話 2022年11月)