クローズアップ現代

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2020年2月26日(水)
「虐待後」を生きる ~癒えない“心の傷”~

「虐待後」を生きる ~癒えない“心の傷”~

いま“虐待後”を生きる若者たち=「虐待サバイバー」という言葉が注目を集めている。ひきこもりや自殺未遂‥。大人になっても心に刻まれた傷が癒えず、社会から孤立するケースが後を絶たないのだ。今回、虐待後を生きる若者たちの日常に密着、彼らがいったい何を抱えて生きているのか取材した。今月発表された虐待の通告件数(2019年)は過去最悪を更新(9万7千人 警察庁)。国も4月から虐待を受けた子供たちが社会で自立できるよう新たな支援策を打つ。彼らをどう支えればいいのか、社会はこの問題にどう向き合うべきか考える。

出演者

  • 石井光太さん (作家)
  • 武田真一 (キャスター) 、 高山哲哉 (アナウンサー)

「虐待後」を生きる

毎週土曜日、マンションの一室で開かれる夕食会。
集まったのは、子どものころ虐待された経験がある若者たちです。

「今日は人数が多いので、カレーは一箱半つくっています。」

孤立しがちなため、支援団体が開いています。

ユウスケさん、21歳です。
周りの人と目を合わせず、会話の輪に入ろうとしません。

ユウスケさんは、子どものころ、どのような虐待を受けたのか。
精神的な負担をかけないよう、細心の注意を払って取材しました。
ユウスケさんは今、生活保護を受けて1人で暮らしています。
取材を始めて2時間。

取材班
「ちょっと聞きづらいこと聞いちゃうかもしれないけど、自分は虐待されたなと思う?」

ユウスケさん
「そうだったみたいなんですよね。BGMとか流しちゃおうかな。」

話をそらされてしまいました。

この日、ユウスケさんは近所のスーパーに買い物に出かけました。外出すると人の視線を感じて疲れてしまうため、1週間に1度まとめ買いしています。
スーパーに向かう途中でした。

ユウスケさん
「俺どこで生まれたんだろうな。あまり詳しい場所、覚えていないんだよな。なんか父親がDVだったらしく、でもちょっと覚えていないことだから。」

幼いころに虐待を受けたユウスケさん。しかし、自分では全く覚えていません。虐待による強い心理的ストレスで、記憶が失われることがあるのです。覚えているのは、小学生になってからのことです。
取材中、電話がかかってきました。

ユウスケさん
「電話がかかってきてる。隠しちゃう。」

ユウスケさん
「ちょっと電話、怖くないですか。僕、不登校だったんですけど、めっちゃ学校から電話かかってくるじゃないですか。もう完全に電話、トラウマなんですよ。電話怖えー。布団の上で生活が完遂している。」

高校卒業後、就職したユウスケさん。しかし、人間関係がうまく築けず、すぐに会社を辞めざるを得ませんでした。今の暮らしから抜け出したいと考えていますが、自信が持てません。

ユウスケさん
「将来への不安。結局どうしたら良いかわからなくて、なにもしないみたいな状況が続いちゃって。不安感は拭い去れない。」


虐待後、苦しみ続ける中で犯罪に手を染めてしまう人もいます。
サトルさん、21歳。
半グレ組織の元メンバーで、去年、違法な薬物を使用した罪で実刑判決を受けました。

サトルさん
「あれはまずかったっすね。いま思うと、ヤバかったなみたいに思いますね。俺やんちゃしてたな。」

サトルさんは、なぜ半グレ組織に入ったのか。
虐待について聞くとパニックを引き起こすリスクがあるため、支援団体の職員に取材に立ち会ってもらいました。

小学生のとき両親が離婚し、父親に引き取られたサトルさん。毎日のように激しい虐待を受けていました。

サトルさん
「死ぬかもって思った経験を何度も何度もしているんで、(家の)外に出されたり食事を抜かれる。父親から恐喝じみた、日常茶飯事に暴力的な行動が多かった。」

高校卒業後、工務店に就職。上司に叱責されたとき、父親から虐待された記憶がフラッシュバックして意識を失いました。後日、虐待が原因だと会社に説明しましたが、理解してくれませんでした。

サトルさん
「こういうもの(虐待)を抱えていますって誰かに打ち明けたとき、だいたい返ってくる言葉って、もう決まっている。『それ過去のことじゃん』」

仕事を辞め、ネットカフェで寝泊まりしていたとき、声をかけてきたのが半グレ組織に入っていた友人でした。「自分の居場所はここしかない」と考え、組織に入りました。

サトルさん
「(人間)関係が壊れていくつらさを知っているからこそ、切りたくない。だから誘いには乗るし、応えられることは全部応えるし、やれることは全部やるみたいな感じになりましたね。」

支援団体の職員は、半グレ組織に関わらないよう、携帯電話から仲間の連絡先を消すよう言いました。しかし、いつまた裏社会に足を踏み入れてもおかしくないと、見守り続けています。


虐待の過去を乗り越えられない若者たち。
支援も一筋縄にはいきません。

養護施設を出た若者たちの生活を支援している宮崎市の自立援助ホームです。九州各地からやってきた10代5人が共同生活しています。
施設長の串間範一さんです。この日、門限の10時を過ぎても帰ってこない女性のことを心配していました。

施設長 串間範一さん
「今いない子は17歳。一番新人さんです。事件事故に巻き込まれる心配は当然します。心配。」

最近、施設に入った17歳のミユキさん。SNSで不特定多数の男性と知り合い、性的な関係を繰り返しているといいます。

2日後。
ミユキさんが帰ってきました。
精神的に不安定なため、インタビューはしないという約束で撮影しました。
このとき、ミユキさんは妊娠5週目でした。父親が誰かは分からないといいます。
串間さんは心配して何度も注意してきましたが、ミユキさんは変わりません。

施設長 串間範一さん
「帰り、待ってるんだよ。心配してるんだよって。メッセージをいっぱい送るけど、(本人は)ピンと来んわけですよね。心配しているとか、待っている人がいるっていう経験をしていないからですよね。」

なぜ危険な行為を繰り返すのか。

串間さんは、この日、大分県に向かいました。
ミユキさんが以前暮らしていた養護施設の職員に彼女の生い立ちを聞くためです。
ミユキさんが生まれてすぐ両親は離婚。その後10年にわたって、母親から育児放棄を受けてきました。養護施設に入った後も寂しくなると施設を抜け出し、不特定多数の男性と関わっていたことが分かりました。

施設長 串間範一さん
「親とうまくいかなかった。愛してほしかった。抱きしめてほしいというのはあるんだと思いますね。ギュっとしてもらえていない子たちって、満足するんじゃないですか。一瞬だったとしても。」

今月、ミユキさんは中絶手術を受けました。
もっと自分を大切にしてほしい。串間さんは、ミユキさんと話をすることにしました。

施設長 串間範一さん
「正直どう?同じ経験したいと思わんやろ。キツかったもんね。私もキツかった。やっぱり命やからね。そこは身をもって感じたやろうから。本当に大事にしてください。」

ミユキさん
「本当にまわりの人に迷惑かけたし、心配もかけたし、たくさん動いてくれてありがとうございました。」

30分の話し合いでミユキさんが口にしたのは、このひと言でした。
また自分を傷つけてしまうのではないか。不安が募ります。

施設長 串間範一さん
「ちっちゃいころに無条件で愛着を感じられた時代というのは空白になっているからですね。うちに来て1年や2年で、それを癒しきれるかっていうか、愛着の再体験ができるかというと、なかなか難しいですよね。17歳やったら、17年かかるのかなと思いますね。」


虐待による心の傷。どう乗り越えるか。
都内に暮らす、橋本隆生さん、41歳。子どものころに虐待を受けていました。

現在、会社員として働き、妻と2人の子どもを養っています。

橋本隆生さん
「これ(写真)は動物園に行ったときですね。上の子の誕生日で行ったのかな。うれしいですもんね、これ。こういうのもらった瞬間、生きててよかったと思います。うれしいなと思って。」

自分が幸せな家庭を持てるとは思ってもいなかったという橋本さん。
幼いころに受けた虐待は過酷なものでした。

橋本隆生さん
「弁当残したぐらいで、めちゃくちゃ思い切り殴られていた。ベルトでひっぱたかれたりする。それがほんと痛かったし。ここ、わかります?殴られて出血したんですよね。縫ってないです。病院に行っていないですからね。」


橋本隆生さん
「弟と写っている写真ですね。これ一枚しかないんですけど。」

橋本さんには2歳年下の弟がいました。隆君です。
隆君に起きた、あの日の出来事を今も忘れることができません。

食事を残した隆君に父親が激怒し、風呂場で暴行しました。

橋本隆生さん
「僕はリビングにいて、動くことができずに怖くて、止めようもんなら自分がやられるって思っていたんで、動くことができなくて。」

橋本さんが風呂場に行くと、隆君は浴槽に浮いていました。
その後、病院で死亡が確認されたのです。

心を引き裂かれるような虐待の経験。
橋本さんの、その後の人生に影を落としました。

高校卒業後、介護の仕事に就いた橋本さん。上司に叱責されたことをきっかけに職場に行けなくなりました。

橋本隆生さん
「小さい頃にさんざん否定されて生きてきているじゃないですか。仕事で何か注意されたり、叱られたりしただけでも、すごい落ち込んでしまうから。最終的には孤立してしまい、仕事場にいられなくなってしまう。」

転機が訪れたのは、34歳。

橋本隆生さん
「これは『自分史』といって、自分の年表ですよね。」

市民セミナーで、これまでの人生で起きた出来事「自分史」を書く機会がありました。

“虐待激化
包丁で刺されそうになる。
首を絞め、マンションから突き落とされそうになる”

これまで誰にも語ってこなかった虐待の過去を、人前でカミングアウトすることにしたのです。

橋本隆生さん
「理解してもらえないよなとか、うそみたいな話ですもんね。でも、それが全然そんなことなくて。『よく生きてきたね』とか『ここまで立派になられましたね』とか。自分のこれまで生きてきた道は無駄じゃないのかなとか、いていいのかなとか、そういうことを思えた瞬間でしたね。」

この経験をきっかけに、橋本さんは変わりました。
世の中から虐待を減らしたい。
自分の経験を、講演会などで積極的に語るようになったのです。
ペンネームは「隆生」亡くなった弟・隆からとりました。

橋本隆生さん
「きょう皆さんにお願いしたいことは1つだけあります。今後、親にたたかれていそうな子どもや問題行動を起こす子どもと接することがあったら、まずは精いっぱいの笑顔で、優しい言葉をかけてほしいと思います。僕があのときに飢えていたのは、すべての感情を受けとめて、優しい言葉をかけてくれる大人の存在を求めていたんだなと、今となって思います。」

橋本隆生さん
「一人でも多くの人に何かを持ち帰ってほしい、ヒントを得るなり、お役に立ちたいという思いなので。知ってほしいという気持ちもあるし、役に立ちたいという気持ちもあるし、そういう気持ちで臨んでいるので。」


武田:虐待で傷つけられた上に、その後も長い間、苦しみ続けるという若者の姿に本当に胸が潰れるような思いがします。取材に当たった山浦さん、こうした人たちと直接話をしてきたんですよね。何を感じましたか。

山浦ディレクター:私自身も、虐待後の人生がここまで過酷なものだということは全く知りませんでした。20人以上の若者に直接お話を聞けたんですけど、目を合わせてくれない、コミュニケーションがうまくできなくて就職ができない、中には精神疾患を抱えていたり、自殺未遂までしてしまう人もいました。虐待の問題は、親から逃れればそれで解決するというふうに思っていたんですけど、現実は違いました。教育も受けられず、仕事も得られず、福祉や医療の支援も十分でない。虐待後の問題は、これまで光が当たっていなかった大きな課題だというふうに感じました。

武田:幼いころに虐待を受けた人が、すべて社会からこぼれ落ちてしまうわけではありません。専門家の支援で自立して暮らしていける人もいると思うんですけれども、何が別れ道になるのか。現場を多く取材してこられた石井さんは、どういうふうに感じていらっしゃいますか。

ゲスト 石井光太さん(作家)

石井さん:僕はたくさんの虐待を受けた子どもたちと会って、共通していたのが、「社会とつながることが怖い」というような言い方をするんですね。彼らは虐待を受けて心に傷を負って、そして学校でもうまくいかず、社会でもうまくいかず、否定されてきた。そうすると彼らって、社会とすごく断絶を感じてしまうんです。なぜ断絶を感じるのかというと、結局、僕たちって児童福祉の人たちに彼らを任せてしまっている。彼らがいるということすら考えないで、ずっと無関心だったんですよね。その無関心が断絶を生んでしまって、彼らに「社会に出るのが怖い」というふうに思わせているのではないかと。虐待するのは親がもちろんいけないんです。だけども、彼らだって社会とつながることはできた。でも、僕たちがきちんとコミットしないから、つながることができなかったという部分があるんですね。僕たちの責任でもあるんです。そう考えたとき、先ほどのVTRの子どもたちのように言わせてしまっていることを、僕たちは恥ずかしいと思わなきゃいけないんじゃないかなというふうに思いますね。

武田:私たちもまた、見過ごしてきた当事者だというふうに思うべきだということですね。高山さん、こうした人たちの支援ですけれども、これまでどうなされてきたんですか。

高山:われわれもそうなんですが、虐待というと、虐待が行われている現場に問題があると考えがちです。国も、関連する法律を見直して改正をして、さまざまな体罰を禁止したりとか、児童相談を強化するだとか、早期の発見、子どもの命を守るということにつなげてはきています。ただ、ここで傷を負った虐待後の若者たちについての対策はほとんどなされず、実態も全くと言っていいほど把握されていないというのが現状なんですね。

そういった中で、みずからの過去に受けた虐待をカミングアウトするという動きが今…。書店に行くと、「自分はこんな虐待を受けました」というさまざまな苦悩をつづった本が出版されていまして、話題になっています。こうしたものの認知度が上がったことによって、国は近々、ようやく全国規模の調査を行うことにしているんです。

武田:虐待から子どもを救うだけではなく、その後をどう支えていくのかという議論をもっとしなければいけないというふうに感じますけれども、いかがですか。

石井さん:僕自身の知り合いでも、虐待を受けた経験があって、保育士になって、自分はその経験があるから今、(虐待を)受けている子どもたちを必死に捜そうと、自分のマイナスの虐待の経験を、どうにか社会で生かしていこうというように頑張っている人もいます。社会の中で生きるには、そのマイナスのところを、どうにかプラスにして変えていこうという意見はかなりあると思うんですね。ただ現状として、全員が全員そういうことができるかというと、僕はそうではないと思っています。それには、人それぞれの時間がかかる。そこに行くまでに10年、20年と、例えばリストカットをしてしまったり、お酒に溺れてしまったり、暮らしを転々としてしまったり、そういった人たちはたくさんいるんですよね。僕たちが、社会の中でこうやればうまくいくよって彼らに言って、自己肯定感をもってコミュニケーションしようよというふうに言うことは、僕たちの社会に合わせろと彼らに言っているのと同じなんです。そうではなくて、それができないからこっち側にいるわけなんです。であれば、この人たちのペースで、この人たちが必死になって、失敗しながら幸せを見つけようとしているわけですから、僕たちは自分たちのペースに引きずり込むのではなくて、彼らのペースで一緒になって、仕事がうまくいかなかった、とりあえずそれもいいんじゃない、お酒飲もうよとか、彼らと同じペースで歩んで、彼らの幸せを一緒に見つけてあげるような動きというのも必要なんじゃないのかなというふうに思っていますね。

高山:寄り添うことに先進的な取り組みをしている例をご紹介したいと思います。主に虐待を受けた子というのは養護施設で過ごすわけなのですが、ここを出ると、社会に出てからほとんど支援を受けることができないというのが現状なんですよね。そこで、養護施設を出たあとに、「企業」と「地域」という視点で支え続けようじゃないかという取り組みを、京都中小企業家同友会が始めているんです。まず養護施設を出ると、参加する70の企業が子どもたちを受け入れます。ここでは就職先を用意して、まずここに就職をしてみてくださいと。仮に仕事を辞めたくなったら、参加するほかの企業に転職してオッケーという仕組みを設けているんですね。地元の中小企業ですから、多くの皆さんが地域の住民なんですね。ですから、養護施設時代から連係をもって、地域の皆さんは親代わりとして接し、ちょっとした相談に乗ってあげるということを社会で続けているんです。

それが、どういったことにつながっているかというと、こちら。結婚式なのですが、幸せな新郎新婦を囲んでいるこちらの皆さんが、地元の企業の皆さん。まさに親代わり。家族のように祝福するという形で実を結んでいるんです。

武田:社会にもできることがあるとしますと、私たち、一人一人はどう向き合えばいいのでしょうか。

石井さん:今でも覚えているんですけど、僕が小学生のときに、思い返してみると虐待されていたなという子が何人かいるんです。先ほどのVTRの中で、「すべての感情を受けとめて、優しい言葉をかけてくれる存在がほしかった」と言っていたんです。じゃあ僕はかけていたかというふうに考えると、かけていなかった。分からない。何かあったんだけどもスルーしてしまった。彼はそのままどこかへ行ってしまったんですよね。そう考えてみると、僕自身も無縁ではなかったということに改めて気付かされましたし、恐らく皆さんも、そういう経験は何かしらの形であるのではないかなと思っています。

武田:私もあります。

石井さん:本当に今、虐待の取材をしていて思うんですけど、虐待のニュースってすごいたくさんあるじゃないですか。その中でわっと、そのときだけは話題になるんですけれども、それが終わった瞬間に誰も関心を持たなくなってしまうんですね。でも、ある虐待をされていた子が言っていたんですけど、「私は虐待をされていたときよりも、その後のほうがつらかった」と。その後を生きたほうがつらかった。でも、誰もそこを見てくれなかったんだというふうに、ずっと言っていたんですね。それって、虐待と僕らの無関心というのが、彼らにそういうふうに言わせてしまっている。彼らは何も悪くない。僕たちの無関心で、虐待が悪い。そこをきちんとして、社会として考えなければならないのかなと思っています。

武田:山浦さん、最後に一言。

山浦ディレクター:虐待を受けた若者に対して、私たちは本当に何も知らなかったし、社会の不寛容が彼らを孤立させていると思うんですね。知ることから、そして、それが第1歩となって社会が変わっていくのではないかと思っています。

武田:知ること、そして、何ができるかを一人一人が考える。大きな問題だということですね。