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能登半島地震1か月 災害関連死をどう防ぐか

福島の医師が訴える東日本大震災・原発事故の教訓
  • 2024年02月02日

「当たり前にできていたことを続けることが、自分の命を守るためにはとても大切であることを忘れてはいけない」

こう訴えるのは、福島県立医科大学の坪倉正治教授です。13年前の東日本大震災と原発事故による災害関連死が520人と、全国で最も多かった福島県南相馬市で、医師として活動しながらこの関連死について、およそ10年にわたって調査・研究(詳細はこちら)を行ってきました。

診察する坪倉医師

南相馬市では、災害関連死で亡くなった人の平均年齢は82歳、全体の半数余りの267人が被災時点で要介護認定を受けていました。
能登半島地震の発生から1か月。命を守るために何が大切なのか、聞きました。

福島の教訓を訴える坪倉教授

① ケアが必要な人たちの正確な把握を

災害弱者と呼ばれる子どもや妊婦、障害のある人や高齢者。
南相馬市では、震災・原発事故後、被災した高齢者施設がバスで10時間をかけて入所者を県外に長距離避難させたり、障害のある人やその家族が避難所での周りの目や環境の変化が体に与える影響を考慮して、自宅にとどまったりするなど、さまざまなケースがありました。
被災した地域が広範囲にわたる能登半島地震では、どういった人たちがどこで、どんな生活を強いられているのか、坪倉教授は、まずは広く正確に把握することが重要だと指摘します。

「南相馬市で災害関連死と認定されている人の多くが要介護4とか5の認定を受けていたことは事実です。ただ、注意しなければいけないのは、要介護認定を受けていた人だけに災害関連死が集中しているわけではなく、例えばさまざまな体の障害を持っている人であったり、自分で自分のケアをするのが難しい人、さまざまな人がいるが、全体の災害関連死の人数を減らしていくためには、そういった人たちを広く見ていかなきゃいけないというところが一つ教訓だと思います」。


② 平時の医療・介護の継続を

坪倉医師は、要介護者や障害がある人、それに持病がある人などリスクが高い人たちが、これまで通りの医療や介護を受けられなくなることは災害関連死に直結するとしています。
このため、こうした人たちがふだんと同等の医療や介護を受けられる環境を整えることが最優先だとし、2次避難などを進める際には、一人ひとりの病状や健康状態、必要な薬やケアなどの情報を、次の避難先に共有することが不可欠だと指摘しています。

平時にずっと行われていた医療や介護が途中で中断されたりストップしてしまったりとか、提供が全くできなくなる、これが被災者の命を最も奪ってしまった。能登半島地震の被災地では、人材や物資が圧倒的に足りない上に、医療や介護のスタッフ自身も被災している中で、そういったものをどれだけ早く取り戻すかというところが一番の課題。現場でそれを取り戻す方向にいくのか、それをいったん外に出て、被災地域から外に出て、そこで同じような医療や介護というのをできるだけ早く提供するか、どちらかに尽きるんだと思います」。


③ たび重なる生活環境の変化“揺さぶり”に注意

南相馬市の調査では、被災から3か月までに災害関連死で亡くなった人は全体のおよそ4割。3か月から6か月までが2割あまり、6か月以降がおよそ4割となり、被災から死亡までの期間は、平均して230日となりました。
坪倉教授は、関連死は被災直後の問題ではなく、1年や2年がたっても起こりうるとして、長期的な視点で命を守るための対策を打つ必要があるとしています。

「何度も何度も生活環境とか社会環境が変わることを被災者の人たちは経験するんですね。例えば仮設住宅ができて避難をしたり、違う場所に移動したり、また住む家族であったりとか一緒に生活する人が変わったりという形で、数か月に1回ぐらいのペースで何度も何度も生活の揺さぶり、環境が変わることを経験してしまうんですね。そのたびに一番弱い方からふり落とされてしまうみたいな状況を経験していった。仮設住宅に入居する人もいれば自宅にとどまる人もいる。避難先の確保ができたから安心という話ではなく、そこには生活環境の変化が繰り返しあり、その度に被災者の生活そのものが揺さぶられてしまうということを忘れてはいけない。いま、いろいろなケアが必要で、一生懸命そこをやってるんだと思うんですけれども、揺さぶりが被災者に及ぼす影響は、長期的に見たら非常に大きく、環境の変化が繰り返しある度にケアが必要な人が増えていく。その中で、継続できる息の長いサポート体制をしっかり確立することが求められている」。

そのうえで、坪倉教授は、南相馬市での調査を踏まえ、住まいや生活環境が劇的に変わることで、若い年代を含め、食生活の乱れや運動不足などから生活習慣病に陥り、糖尿病などの病気を発症するリスクが高まるとしています。


④ 避難は“悪”ではない

石川県では、避難生活が長引く中、被災した人たちの生活環境を整えるため、地元を離れてホテルや旅館などへの「2次避難」が進められています。一方で、一度避難したものの、自宅に戻る人もいます。
とりわけ、高齢者施設や障害者施設では、職員自身が被災している中、入所者のケアやサポートをどう維持するかが課題となっていて、住み慣れた環境で耐えるか、もしくは県内外の施設に避難するかで判断に迷うケースが出ています。
坪倉教授は、福島での教訓をもとに、次のように指摘しています。

「避難することによって影響が出たという話が福島でもよく言われるが、それは避難自体が悪いわけではなくて、避難に伴ってケアであったりサポート体制であったり、そういったものが劇的に変わってしまったことが影響したのであって、避難することが悪いことではない。どうやってケアとか介護の質を落とさずに支援の手が必要な人たちを、見続けられるかが大事で、それができる環境はどこかで判断する必要がある。福島のデータから言えるのは、避難の距離が長ければ長いほど、例えば死亡率が高いといったような情報はない」。

また、全国各地で被災者の避難の受け入れ体制が整う中、被災した自治体が注意すべき点があると言います。

「福島での事例から住民の避難先がバラバラになってしまうと、コミュニティーの再構築が難しくなるほか、仮設住宅や公営住宅などさまざまなところに散らばることで健康対策をどうするかとか、そういったところが後手後手になったり、弱くなってしまう構造になりやすい。日本の災害対策は、基本的に市町村をベースに考えられてるので、その市町村単位の中で、できるだけバラバラになりすぎないように避難先を考えることが中長期のことを踏まえると非常に大事だ。住民がバラバラになればなるほど、その人たち全体のケアや巡回などの業務で自治体職員自身が疲弊してしまう。現場は大混乱してるが、そうならないように市町村がイニシアチブをとって進める必要がある」。


⑤ “自分自身”ではなく“周り”が被災者のケアを

被災地では、生活拠点の自宅が壊れ、まちの景色が一変し、一緒に住んでいた家族が離ればなれになるなど多くの変化が起きています。被災した人たちは、生活再建に追われるあまり、自分自身の体の異常や健康を顧みる余裕がなくなりがちです。
具体的には、緊張状態が続くことで、ふだん飲んでいる薬を飲まない・忘れがちになる、定期的な通院をやめてしまう、必要な治療や健康診断を受けなくなるなど、当たり前にできていたことができなくなる人もいます。
南相馬市での事例をもとに気をつけるべきことを聞きました。

▼急激な薬の断薬や生活環境の変化などで、南相馬市では最初の3、4か月で脳卒中で搬送される人の数が2.3倍に増えた。
▼被災から半年間ぐらいは、精神的にハイの状態になり血圧が跳ね上がる。研究データでも血圧の薬を飲み始める人が10%近く増えている。
気づかないうちに血圧が非常に高くなったり、薬が本当は必要なのに突然やめてしまったり、そういったことが一般の人に多く起こりやすい
被災者自身が自分で自分の健康を管理するのは難しい。外側から多くの人が入って、サポートする側がそれを意識して、一人ひとりに声をかけながら見ていく必要がある


⑥ 災害関連死は“氷山の一角”

坪倉教授「支援の手がどこまで継続できるかにかかっている」

災害関連死の定義について、内閣府は「当該災害による負傷の悪化又は避難生活等における身体的負担による疾病により死亡し、災害弔慰金の支給等に関する法律(昭和48年法律第82号)に基づき災害が原因で死亡したものと認められたもの(実際には災害弔慰金が支給されていないものも含めるが、当該災害が原因で所在が不明なものは除く)」としています。
具体的には、亡くなった人の家族などが、医師の診断書や診療記録、それに避難生活の経緯書などを準備して、申立書とあわせて市区町村に提出し、市区町村が設ける審査委員会で認定基準に照らし合わせて災害関連死に該当するかどうか、判断されます。
この現状について、坪倉教授は次のように指摘しています。

災害関連死は申請主義となっていて、1人暮らしの人が災害関連死で亡くなったとしても誰も災害関連死だと申請しない。つまり、関連死だと言われているものというのは、氷山の一角なんです。一生懸命、関連死の申請をしっかり文章で書いて出せる人しか申請できないので、それができなかった人もたくさんおられた、申請されていなかった人もたくさんおられたというのが福島の事例からわかっています。南相馬市は、ことし1月、これまで公表してこなかった認定基準を初めて公表しました。基準の内容や南相馬市での調査結果も含め、災害関連死というものは、今後の防災対策や間接的、二次的な影響を防ぐためのとても重要な情報であり教訓でもあります。どういった人たちをより守り、どのようなリソースを使っていくべきかなど、関係機関がさらに議論し、関連死を防ぐ取り組みを絶えず進めていく必要がある」。


取材後記

元日の午後にテレビから響いた緊急地震速報とその後の大津波警報。
一夜明けてあらわになった倒壊した家屋、焼失した町並み、津波の痕跡。
東日本大震災を思い出さずにはいられませんでした。

私は、震災・原発事故後の2013年~2016年まで、NHK南相馬支局の記者として勤務しました。
原発事故で避難するかどうかの選択肢さえ奪われた福島の状況と違うとは言え、半島の広範囲で甚大な被害が出ている状況から避難が長期に及ぶことが懸念されます。

これまで、災害関連死で亡くなった人の遺族を取材してきて、忘れられない言葉があります。
・「自分の命、暮らしを守ることで精いっぱいで自分の親の命を守ってやれなかった」。
・「知らない間にお父さんに無理をさせてしまっていた。突然の出来事で今でも信じたくない」。
・「関連死とは言葉では聞いていたが自分の家族がそうなるとは全く想像もしていなかった」。

いつ自分が、自分の家族が関連死のリスクにさらされるかは誰にもわかりません。
ただ、これまでの関連死の事例から何を学び、どう備え、命を守っていくべきか。
この重い課題に医療や介護、行政だけが取り組むのではなく、私たち一人ひとりがどう向き合って防いでいくかが問われていると思います。

  • 金澤隆秀

    NHK福島放送局・記者

    金澤隆秀

    2010年入局。福島県鮫川村出身。初任地・鹿児島局で東日本大震災発生。2012年福島局に異動し県政・南相馬支局担当。その後、社会部で震災取材・環境省担当。2019年~再び福島局。

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