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【特集】震災関連死 ~福島で起きたこと~

福島 シリーズ震災・原発事故12年 第4回「震災関連死」
  • 2023年03月20日

震災関連死 「突出して多い福島県」

震災関連死とは、東日本大震災と原発事故に伴う長引く避難生活やたび重なる引っ越し、大きな生活環境の変化などで、病気が悪化したり体調を崩したりして死亡したケースを指します。

過酷な避難状況や体調の変化など、死に至る経緯を日付ごとに詳細に記した「経緯書」などを遺族が市町村に提出して、審査・認定する仕組みで、自殺したケースが含まれることもあります。

その数は、去年3月末時点で全国で3789人に上り、突出して多いのが福島県の2333人、次いで宮城県が930人、岩手県が470人などとなっています。全体の6割余りを占める福島県。原発事故という予想だにしない事態が、一度は地震や津波被害から免れた人たちの命を奪っていきました。


自治体別で最多の「南相馬市」 実態は・・・  

福島県内で震災関連死が520人と最多の南相馬市。市のほとんどが東京電力福島第一原発から30キロ圏内に入っていて、原発事故に伴う避難で7万1000人余りいた人口は一時、8000人ほどにまで減ったとされています。子どもからお年寄りまで大勢の人が県内外への避難を余儀なくされ、過酷な避難の過程で命を落とす人が相次ぎました。

しかし、この南相馬市に関する「震災関連死」について、亡くなった人の当時の状況や経緯など、詳しいことは12年が経とうとする中で明らかになっていませんでした。

そうした中、福島県立医科大学の研究チームが南相馬市で関係機関や施設などへの詳細な聞き取り調査を行い実態が判明しました。

大きな事実として、被災当時、関連死全体の51%余りの267人が「要介護認定」を受けていたことがわかりました。このうち、介護なしでは生活が困難とされる「要介護4」と「要介護5」の人は185人にのぼっています。

また、全体の半数ほどが、高齢者施設や病院で被災したあと、避難中などに亡くなっていたこともわかりました。たんの吸引など、適切なケアが受けられずに亡くなった高齢者もいたということです。

(坪倉正治 教授)
「原発事故の発生で、当たり前にできていた日常の医療や介護が止まってしまうことによる高齢者の健康への影響が非常に大きかったことを意味している。福島で起こったことを全国レベルで共有し、次なる災害への備え・対策につなげることがいま求められている」。


南相馬の高齢者施設 当時何が・・・

特別養護老人ホーム 福寿園

原発事故の発生を受けて、南相馬市の高齢者施設では何が起きていたのか。
特別養護老人ホームを運営する法人の理事長が当時の状況を証言してくれました。

福島第一原発から北に20キロ余りにある南相馬市の特別養護老人ホーム「福寿園」。
震災発生当時、体の不自由なお年寄りなど130人が生活していました。

翌日、3月12日の原発事故を受けて、原発から半径20キロ圏内に避難指示が出されるなど、事態が刻々と変わるなか、施設にとどまるのが難しいと判断。

「福寿園」に加え、法人が管理する市内の2つの特別養護老人ホームの入所者をあわせて、およそ250人での避難を考えました。
ところが…。

(大内敏文 理事長)
「避難の仕方とか、どこに避難をしたらいいのか、どこに助けを求めたらいいのかという体制がまったく想定されていなくて」。

県や市に対して避難の支援を要請するも難しいと断られ、入所者の家族全員に引き取りに来られないか連絡したものの応じてくれたのは1割にも満たず。

そうこうしているうちに、施設がある地域には屋内退避の指示が出されました。
どこからも支援が受けられない状態で、経験したことがない原子力災害への対応を迫られることになりました。

施設で働く人たちは、放射能や放射線に関する知識がなかったため、瞬時の判断で空調を止めたり窓ガラスにガムテープを貼ったりするなどして、屋内に放射性物質が入るのを防いでいたと言います。

身動きがとれない中で、次に直面したのが物資の不足です。
施設の周辺では、大勢の住民が市外へと避難し、ガソリンスタンドには長蛇の列ができるなど混乱していました。病院や薬局は機能せず、市内への物流が完全にストップしたため、必需品の薬や介護用品、それに食料までもが手に入らなくなりました。

発災の5日後には、食事を朝・晩の2回に減らして乗り切ろうとしましたが、もともと3日分しかなかった食料や水の備蓄は底をつき始めていました。

転機となったのは1週間後。
報道で施設の過酷な状態を知った横浜市の施設が受け入れを表明したのです。

バスが手配されたものの、介護が必要な大勢のお年寄りを300キロあまり離れた場所へ避難させるなど経験がなく、簡単なことではありません。

結果的に、法人全体の市内の3つの特別養護老人ホームのお年寄り、あわせて230人がバスに乗り込み、10時間をかけて避難しました。

介護ベッドで安静にしなければならない入所者を、福祉車両ではなく観光バスの2人分の座席に寝かせるなど、身体的に大きな負荷がかかったと言います。


守れたはずが「震災関連死」

経験のない原子力災害を前に、判断を次々と迫られ、最悪の事態から脱したものの、その後およそ半年のうちに44人が亡くなり、大半が「震災関連死」に認定されました。
過酷な避難や急激な生活の変化が影響したとみられています。


経験から何をすべきか

予想だにしない大規模な災害が発生してからでは、命は守れない。
大内さんたちは、「次なる災害」や「長びく避難」を想定した備えに、力を入れています。

まず食料品や介護用品などの備蓄を1週間分に増量。
 

また、長距離避難の教訓から身近な避難先を確保するため、県内や東北各県の福祉施設間での協定を結び、大規模災害時の受け入れ態勢を整えました。

(大内敏文 理事長)
「体が弱い避難弱者と呼ばれる介護者を避難させるためにどういう方法をとるか。長距離の避難というのはやっぱり無理であり、近くて安心で温かいベッドから温かいベッドに避難できるよう、何か所も転々とするような避難ではない、そういう避難ができることが大切です」。

施設がある南相馬市では、去年は震度6強、おととしは震度6弱を観測する地震が起きたほか、4年前には台風19号による水害が発生するなど、災害への対応が今も問われています。
大内さんは、決して人事だとは思わず「守れる命を守るための備え」を訴えています。

(大内敏文 理事長)
「南海トラフ巨大地震が本当に起こってしまった場合に、九州・四国・近畿・東海という広範囲でいったいどんな対応ができるのか、危惧しています。原発も各地にあり津波以外に原発を含む複合災害が起きないとは限りません。福祉施設の人たちは、1か月や2か月にわたり帰ってこられないことを想定した具体的な避難計画を作っておかないと、単純な計画や避難訓練だけでは対応できないということを考えてほしい」。


いつ起きてもおかしくない

私は、震災後の2013年~2016年にかけて、南相馬支局に記者として赴任しました。
そこで耳にしたのは、「地震・津波・原発事故の三重苦」という言葉でした。
その言葉の重みや恐怖がどういったものなのか、どれだけ取材をしてもわかりません。

ただ、ひとつ言えるのは、その三重苦を経験した人たちは原発事故から12年が経ついまも、いつ起きてもおかしくない非常時に備えているということです。
「車のガソリンが半分になったら満タンにする」、「保存食はもちろん冷蔵庫には1週間分の食材をストックしておく」「車やバックには防災笛や携帯型ライトを入れておく」。
いずれも取材でお会いした人たちが普段から行っていることです。

複合災害が起きた際に、自分の命は自分で守れるのか。
その上で、命のリスクにさらされる子どもや介護が必要な高齢者をどうやって守るのか。
自分の家族に該当する人はいないのか。
家族や会社、施設などで災害への備えや具体的な避難計画について、まずは話し合ってみてください。
その「いつか」は、あすかもしれません。


  • 金澤隆秀

    NHK福島放送局・記者

    金澤隆秀

    2010年入局。福島県鮫川村出身。初任地の鹿児島局で東日本大震災発生。2012年福島局に異動し県政・南相馬支局担当。その後、社会部で震災取材・環境省担当。2019年~再び福島局。

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