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会津には映画館がない!?

新コーナー「しらべてmeet!」
  • 2023年03月03日

NHK福島放送局の夕方ニュース番組「はまなかあいづTODAY」に新コーナーが誕生。
その名も「しらべてmeet!」。福島にまつわるふとした『疑問』を徹底的に探求します。
みなさんも、ふだん感じている疑問や困りごとをどしどしお寄せください。(投稿はこちらから
NHKが全力取材でお答えします。

と、いうことで記念すべき初回は、3か月前に福島放送局に赴任したばかりの私。ディレクターの綾部が感じた素朴な「疑問」から。

福島暮らしは初めてです。
ある日、同僚からこんな話を聞きました。

「浜通り・中通りにはあるけど、会津には映画館がない」

いやいや、そんなことある?
試しに映画館がある場所を、買ったばかりの福島県の地図にプロットしてみました。
確かに地図の左側、広大な会津地方は空白地帯に。

私は映画やドラマ好きの20代。会津地方に住む同世代の人たちは、どうやって映画を見ているのだろう?と疑問がわいてきました。

そこで、調べてきました!

どうやって映画を見ている?

向かったのは会津若松市。まちの人に話を聞くと

Q:いつ映画館に行った?

「1年前くらい」

映画を見るために隣の郡山市や、さらに足をのばして福島市まで出かけていました。
中には県外という人も!どれくらい時間がかかるか尋ねてみると。

「2時間くらい」

映画館まで
片道2時間!?

映画館で映画を見ることのハードルが、ちょっと高い気がします。中にはこんな人も。

Q:いつ映画館に行った?

「・・・・・」

最後に行ったのは少なくとも5年以上前だとか

もはやいつ行ったか
記憶なし!?

ただしよくよく話を聞くと、映画そのものが嫌いというわけではありませんでした。
映画館に足を運ばなくても、レンタルやインターネット配信サービスで視聴し、
「スマホで見る」そう。

序盤の取材では10代~20代の若い世代に話が聞けましたが、もう少し年配の世代の話も聞きたい。
じっと待っていると、会津坂下町に住む70代の男性がインタビューに応じてくれました。

 

Q:映画館って行きますか?

「映画館? どこさあんべね」

やっぱり年配のみなさんも映画館に行っていないのか、と思っていると、いつしか話題は昔の会津の映画館事情に。

「元はあったんですけどね。会津若松市は商店街とかいろいろ」

かつてはあちこちに
映画館があった!!

賑やかだった映画全盛期

男性の言う「商店街」とは市役所や鶴ヶ城にほど近い「神明通り商店街」のこと。
この商店街で長年、雑貨屋を営む男性が、映画館があった時代の話を語ってくれました。

「昔はここが中心的な繁華街だったから、映画館も集中していた。市内だけで5か所くらいあった」

神明通り町内会長 木村賢二さん

聞き取りを続けていると、当時の写真も見つかりました。

かつては中心部だけでも複数の映画館が点在していたという会津若松市。
昭和30年代の庶民の娯楽と言えば、映画でした。

大人は仕事の合間をぬって、子どもは小銭を握りしめて、映画館に通う。
そんな日常があったそうです。

しかし、テレビやビデオの普及により映画館事業は斜陽に。平成の半ばには会津若松市でも閉館が相次ぎました。

この映画館は2008年に閉館
現在は取り壊され、駐車場になっている

約10年前、映画館はまちから姿を消しました。

かつて多くの集客を誇った映画館はその後、市内に進出する動きはなく、まちの「空洞化」が指摘されてきました。

市民は映画館を欲している

この状況を地元の経済団体はどう思っているのか。
にぎわい創出のための企業誘致などに取り組む商工会議所を訪ねました。

会津若松商工会議所 渋川恵男会頭

会津若松商工会議所の渋川会頭は、
映画を見るために遠方へ出かけざるを得ない状況を
「経済的ロス」と表現。危機感を抱いていました。
「人を呼び寄せるためにも映画館は必要」と力説します。

市民は映画館を求めていないのか―。
実は面白い調査結果があることがわかりました。

 

商工会議所は2021年夏、市民に「まちなかに欲しい施設」を尋ねるアンケートを実施。
約2000人から寄せられた答えの結果は、なんと!

「映画館」が多くを占めたのです。

市民は映画館を
欲しがっている!?

同じころ、民間企業が会津若松市に映画館進出⁉との報道もあり、機運が高まっていました。

当時の報道では、具体的な建設候補地も記され、
「早ければ翌年末には開業」とも言われました。

しかし、そんな明るいニュースも思うように進みませんでした。

進出のネックとなっていたのは建設場所。

渋川会頭
映画館って敷地面積が広く必要なんです。
敷地の一部に民家が含まれていたり、必要な駐車場の確保が難しかったり。
建設場所が決まらず今に至っている

映画館の新たな誘致には、候補地の地権者との交渉や、
周辺にある施設との関連など解決しなければならないことが数多くあり、商工会議所と企業だけでなく、自治体との連携も不可欠です。

商工会議所は引き続き誘致交渉を続けています。

会津若松市の映画館事情を探る中で、
昔の映画館を復活させようとの動きがあるとの情報が!!

懐かしのシアター復活へ

やってきたのは会津美里町。

路地を抜けて進んだ先にあったのは、およそ50年前に閉館した映画館「新富座」
時代を感じさせる外観ですが、
これこそが「復活プロジェクト」の舞台でした。

映画館「新富座」 開業は大正5年

内部を案内してくれたのは地元に住む白井祥隆さん。
映画館復活を進める「会津新富座と歩む会」のメンバーです。

最初に向かったのは建物2階にあるかつての映写室。
扉は当時のまま。

営業していた頃に使用されていた映写機が、そのまま残っていました。
いまは動きませんが、新富座の歩みを物語る資料として展示しています。

壁には、往年のヒット映画のポスターなどがずらりと掲げられています。
館内は映画愛に満ちあふれた空間となっていました。

ポスターは東京から移住してきた男性の私物だそう
展示品を見るために県外から訪れる人も

白井さんが紹介してくれた、この写真。
そこに写っていたのは。

渥美清さん演じる、あの「寅さん」です。
エキストラとして参加した地域住民が活写していました。

会津地方がロケ地になった1985年12月公開「男はつらいよ第36作 柴又より愛をこめて」撮影時のオフショット。

30年以上の時が経過したいまも大事に保存されています。

町内にある会津高田駅でのロケ時に撮られた写真からは
大勢の住民が集まっていたことがわかります。

当時の駅舎は建て替えられ「ロケの思い出」は住民の記憶からも薄れつつありますが、白井さんはこうした記録で「まちの文化を語り継ぎたい」と語ります。

映画文化の灯を会津に

復活に向けた取り組みは館内の掃除から始まりました。

「新富座を映画館復活の拠点に」と意気込んで立ち上がったメンバーでしたが、長く物置になっていたため、最初は電気すら点かない状態でした。

しかし、さまざまな職業の住民がそれぞれの得意分野で修復に貢献。上映に欠かせないスクリーンは、模造紙を横幅約12メートルもの長さまでつなぎ合わせて自作しました。

作業はほとんど手作業で行った

そしておととし、ようやく映画の鑑賞ができるまでに。

白井さんが最後にここで映画を見たのは50年以上前。
父親の肩車に乗って見たこと、映画のタイトル。今でも鮮明に覚えています。

約半世紀ぶりの映画鑑賞に
「感動ものです」と笑顔を見せました。

営業再開も間近かと思われましたが、
実際に観客を入れての上映には、避難経路や消火設備の整備などが必要になります。
寄付を募っていますが目標額には届かず、さまざまな課題を抱えています。


それでも白井さんは
「新富座がいつか、会津の映画文化の拠点になる」と信じています。

「映画のまち」へ返り咲く事例も

映画館が復活した地方の事例はないのか―。

調べてみると、会津地方と同じように、一時は「映画館ゼロ」となりながら復活を果たした場所がありました。

それは「広島県尾道市」

2008年に開館したシネマ尾道

大林宣彦監督の「尾道三部作」、小津安二郎監督の「東京物語」の舞台にもなった尾道市。
2001年に一時、まちから映画館がなくなりましたが、
有志が復活の運動を開始し、4年後には映画館が再建されています。

「シネマ尾道」支配人の河本清順さんに成功の秘けつを尋ねると、
やはり最大の要因は「資金」でした。

河本さん

そもそも映画館がなくなったのは
「市民が映画に関心を持たなくなったため」
映画館の再建、そして運営資金集めは簡単ではありませんでしたが、市内の空き店舗や公共施設で上映会を重ねながら、会場でカンパを募りました。

地道な取り組みに多くの人が共感するようになり、4年がかりで目標額を達成。
機材を譲り受けるなど費用を抑える努力をしましたが、それでも復活には2700万円もかかりました。

シネマ尾道の館内

海に囲まれた尾道市と山に囲まれた会津美里町。
2つのまちは、環境も人口も異なりますが持続可能な映画館の形を模索すれば「どんなまちでも映画館はできる」と河本さんは断言します。

地域にとって映画館とは

駅前や商工会議所、復活への取り組みなど様々な場所や人を訪ね歩いた今回。取材を終えて、インタビューに応じてくれた人たちがそれぞれ、過去に映画館で見たもの、感じたことなどの温かい記憶をいまも抱き続けていることが印象的でした。

映画館は、作品そのものを楽しむだけでなく、
「誰といつ」「どんな作品」を見たのか、
大切な思い出を与えてくれる場所なのだと、あらためて感じました。

会津に、再び映画文化の灯がともることを願っています。
 

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  • 綾部庸介

    NHK福島放送局 ディレクター

    綾部庸介

    2022年12月入局。前職は新聞記者で福岡・熊本県にて勤務。いじめ問題や熊本地震・豪雨災害を取材。映画化された小説は本と映画で2度楽しむ。

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