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追跡!神社の謎のプロペラ

その正体、突き止めました!
  • 2024年02月27日

バリサーチLINEにこんな画像と投稿を頂きました。

「筑紫野市の神社の建物の天井になぜか飛行機のプロペラがつり下げられています。なぜこんな場所にあるのか、調べてもらえないでしょうか」

一見おしゃれなカフェでつり下げられるファンのようにも見えますが…。まずは現地に見に行くことにしました!

筑紫野市の山間部に位置する山口地区
筑紫野市山口地区 大歳神社

謎のプロペラがあるという、筑紫野市山口地区の大歳神社を訪ねると…。本殿の横にある、絵馬堂の天井に、確かにプロペラらしきものがぶら下げられているのを見つけました。

そもそも、これは本当にプロペラなのか? 
実はこの神社には神職がいないため、詳しい事情を知る人がいませんでした。
神社は地区で管理されており、責任者の1人に話を聞いてみました。
 

筑紫野市山口地区 高原要次区長
高原さん

本当のプロペラではないと思います。詳しくは分かりません。

そこで、高原さんにも協力してもらい、詳しく調べることにしました。

天井までは高さ3m以上、近くで見るとかなりの大きさです!

かなり大きくて迫力があります。プロペラの全長はおよそ282cm。木で作られているようですが、縁の部分は金属で覆われています。さらに、中央には文字らしきものが刻まれていました
 

刻印が手がかりになるかもしれないので、撮影しました

何か知っている人はいないのか? 神社の周りで聞き込み調査をしたところ、地域の歴史に詳しいという1人の男性に出会いました。

山口地区で生まれ育ち、商店を営んでいる末岡正敏さん(84)※放送当時
末岡さん

小学校上がる前から遊び場だったんです、お宮が。お宮で遊んでいるときから、もうプロペラがあったんです。奉納された品物じゃないでしょうか、ということくらいしか、あのプロペラのいきさつは分からないんです…

残念ながら詳しいことはわかりませんでしたが、少なくとも、プロペラは昭和20年の終戦より前から神社にあったようです。
他に詳しい人も見つからず、取材班はプロペラに刻まれた文字から謎に迫ることにしました。


そこで訪ねたのは、隣町にある大刀洗平和記念館。本物の戦闘機が展示されているここなら、何か分かるかもしれません!

学芸担当の福岡幸博さんに写真などの資料を渡しました

すると、なんと、文字の意味が判明しました!

上から…
▼「いかりのマーク」
▼「単葉」     
▼「ヒ式 . 200. H.P」
▼「愛知 . NO. 180」

「いかりのマーク」は「旧日本海軍」を意味し、「単葉」は飛行機の主翼の数、「ヒ式. 200. H.P」はエンジンの種類と馬力、「愛知. NO. 180」は製造会社を示していました。
これらの手がかりから、最も可能性が高いのは「ハンザ・ブランデンブルグ水上偵察機」のプロペラではないかと推測されました。第2次世界大戦よりも前の大正時代に、旧日本海軍が使っていた機体に実装されていた、本物のプロペラだったようです!

「ハンザ・ブランデンブルグ水上偵察機」

しかし、一体なぜ大正時代の海軍機のプロペラが、筑紫野市の山間の神社に残されているのか?
取材班は旧日本海軍について詳しい専門家を探しました。
そして訪れたのは、北九州市平和のまちミュージアム。2年前に開館し、戦時下の暮らしを今に伝えています。ここで学芸員を務めている小倉徳彦さん、旧日本海軍の研究が専門です。

北九州市平和のまちミュージアム 学芸員 小倉徳彦さん
小倉さん

当時海軍から払い下げられた兵器は、記録が海軍の公文書に残っているので、そちらの方を調べていきたいと思います。

小倉さんが注目したのはプロペラに刻まれた文字の一番下、これを「大正13年12月20日」とみて、近い年代の資料を調べようと考えました。

プロペラに刻まれた文字の一番下(黄色部分)
「大正13年12月20日」なのでしょうか?

実は大正時代の海軍の公文書の多くが残されており、デジタルアーカイブでも公開されています。

小倉さんが、大正13年前後に海軍の備品が払い下げられた資料を検索していくと…

小倉さん

ありました!

発見したのは大正14年、海軍で不要になった兵器の払い下げを願う書類です。送り主は、まさに大歳神社がある筑紫郡山口村の当時の村長、宛先は海軍大臣です。

防衛省防衛研究所所蔵「海軍省公文備考」より

手紙の中で、「飛行機用牽進器(けんしんき)」、つまり飛行機のプロペラの払い下げを願い出ていたのです!

防衛省防衛研究所所蔵「海軍省公文備考」より

大歳神社や小学校で海軍思想の普及や教育の参考資料にしたいので、無償で譲って欲しいと書かれており、海軍がこれに応じた記録も残っていました。

防衛省防衛研究所所蔵「海軍省公文備考」より
小倉さん

小学校とかの段階から海軍に対する理解を深めてもらうことを狙っていたんだと思います。

さらに大正10年頃から昭和にかけ、山口村と同じように、不要になった兵器の払い下げを軍に願う申請が全国でも急増していたことも分かりました。

防衛省防衛研究所所蔵「海軍省公文備考」より

当時日本は第1次世界大戦を経て、中国大陸に進出。国をあげて戦争に突き進んでいきました。このプロペラはその時代を象徴するものだったのです。

いわゆる軍国主義教育のため 当時の村長が海軍から無償で払い下げてもらった本物の軍用機のプロペラでした!
小倉さん

ああいった兵器を見て軍に関心を持って、軍隊に志願し、その後戦争に出向いていった方も一定数はいたと思います。


筑紫野市山口地区の末岡さんに、調査の結果を報告しました。すると、末岡さんが自身が経験していた当時の教育について話してくれました。

筑紫野市山口地区で生まれ育ち、長年商店を営んでいる末岡正敏さん(84)※放送当時
末岡さん

家族を守るために、国を守るために、大きくなったら戦争に行くということを、もうそれが当たり前のような世の中だった。

大歳神社の一角には、地区から第2次世界大戦に出征し、命を落とした人たちの慰霊碑も置かれています。40人ほどの名前が刻まれていました。

末岡さん

「戦争はだめだ、してはいけないよ」って、今の子どもでも分かってもらえるのがありがたい。(プロペラは)子どもも見てもらったらいいかなと思って、「今のじいちゃん、ばあちゃんたちは大変な思いやったよ」と…

今回、この筑紫野市山口地区の大歳神社につり下げられているプロペラ以外にも、神社などに兵器の一部が残されているケースが結構あることもわかりました。第二次世界大戦より前の時代、日本が戦争に突き進む中、地方の村などが軍に対し「教育のために」と無償で軍用品の払い下げを願っていた、当時の流行の名残といえそうです。そうした兵器は、過去には戦争を後押しする役割を果たしていたかもしれません。しかし、世界で再び戦争がおこっている今の時代こそ、そのことを重く受け止め、逆に平和に繋げていくことが大切なのではないかと感じました。


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