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中村哲さんとともに 発足40年ペシャワール会の原動力とは

  • 2023年11月28日

 

アフガニスタンで長年、農地の再生や医療活動などの人道支援に取り組んだ福岡市出身の医師、中村哲さん。2019年、現地で銃撃されて亡くなりましたが、中村さんを支えてきた福岡市のNGO「ペシャワール会」は活動を続け、ことし、発足から40年を迎えました。中村さんの死去、戦争、大地震など多くの困難を乗りこえ、前に進む原動力になっているものとは。(福岡放送局記者 宮本陸也)

発足40年記念の講演会で…

福岡市で行われた講演会

2023年11月、ペシャワール会発足40年を記念して、福岡市早良区の西南学院大学で講演会が行われました。

講演会の参加者たち

講演会には、ペシャワール会の会員や支援者などおよそ480人が参加しました。

村上優会長(中央)と藤田千代子理事(右)

この日は、まず、村上優会長や藤田千代子理事などペシャワール会の幹部がアフガニスタンでこれまでに行われた人道支援の内容や2023年10月に発生した地震の被害などについて説明しました。

中村哲さんとかつて一緒に仕事をした人たち

そして、中村さんと一緒に仕事をした経験のある人たちが登壇し、活動に参加したきっかけを語り合いました。

翻訳業務を担当する沢田裕子さん

沢田裕子さん
「1989年から90年にかけて、先生と一緒に現地で働きました。先生の発言、ことばにどんどんひかれていって、今のように白髪になるまで続いているわけなんです」。

樋口孝さん(中央)

樋口孝さん
「中村哲さんという有名な方とお知り合いになれて、中村さんが一時帰国した時にお会いするきっかけが出来たので、ちょっとでも喜んでアフガニスタンに帰ってもらえたらという思いで活動を始めたのがきっかけです」。

こう語ったのは、久留米市の建設コンサルタント会社に勤める樋口孝さん。川から農業用水をとる施設「取水ぜき」などが専門で、アフガニスタンの農地再生を技術面から支援してきました。現在は、ペシャワール会の理事に加え、テレビ電話会議などで工事の進め方などについて指示を出す技術アドバイザーも務めています。

2人をつないだ取水ぜき

活動前の大地(画像提供:ペシャワール会/PMS)

荒野を、緑豊かな農地へ。

活動後の大地(画像提供:ペシャワール会/PMS)

アフガニスタンの乾いた大地を生まれ変わらせるためには、大きな川に取水ぜきを築く必要がある。そして、それはアフガニスタンの人たちだけで作り、維持・管理できるシンプルなものでなくてはならない。そう考えた中村さんが2017年に訪ねたのが、樋口さんでした。樋口さんの会社が管理などで携わった朝倉市の「山田堰」を、アフガニスタンに築く取水ぜきのモデルにしたいというのです。

山田堰(画像提供:株式会社テクノ)

江戸時代に作られた山田堰が電気や機械を必要とせず、自然の力だけで筑後川から水を引いて農地を潤し続けているというのが理由です。

中村さんから協力を求められた樋口さんは当初、「自分なんかには出来ることはほとんどない」と、断り続けていたといいます。すると、中村さんは会社にやってきて社長に協力を求めて直談判しました。その時、中村さんの人柄に触れて協力を決意したといいます。

樋口さんの会社を訪れた中村哲さん
山田堰の近くで当時のことを語る樋口さん

樋口孝さん
「中村さんに直接会ってみて、本当に偉ぶることはないし優しい方だなと思いました。これほど気のよさそうな優しいおじさんから『ちょっと』って頼まれたら、ほとんどの人が断れないと思いますよ」。

現地の人たちとともに

協力を決めた樋口さん。いまも忘れられないのは、「現地の人たちとともに」という中村さんの強い思いだといいます。

最初に中村さんから頼まれたのは、現地の人たちが一目で山田堰の仕組みを理解できる模型を作ることでした。模型は当時の文献などを参考にして、山田堰にある実際の小石や樹木を使うなどして忠実に再現しました。

樋口さんが作った山田堰の模型

1年かけて作った模型を見た中村さんはとても喜んでくれたといいます。模型は現在、アフガニスタンにあるペシャワール会の事務所に展示され、現地で取水ぜきの工事を行う際などに参考になっているということです。

模型を見る中村さんたち

中村さんからの次のお願いは「現地の人たちが独り立ちできるよう直接、指導してほしい」というものでした。現場を重視する中村さんならではのお願いです。

中村さんから要請を受けた樋口さんは、中村さんが亡くなる2019年までの3年間、毎年、「山田堰」で研修を開催。現地での取水ぜきの建設に欠かせない正確な測量のしかたなどを教えました。

測量機を見る中村さんと樋口さん

中村さんは研修中、熱心に質問をするアフガニスタン人と樋口さんたちの間に入って、丁寧に通訳をしてくれたといいます。

通訳をする中村さん
当時を振り返る樋口さん

樋口孝さん
「先生(中村さん)自身もこうした機械を扱うのは珍しいから『ちょっとやってみますか』ということで、実際に触って感動していました。現地の人たちの施工能力がものすごく上がってきていた時代だったので、先生もいろいろとチャレンジしたいことがあったんじゃないですかね」。

測量機を使うアフガニスタン人の1人

研修に参加したアフガニスタン人の1人は、研修で学んだことを生かして現場責任者の重責を担うまでに成長したといいます。

さらに、中村さんはできるだけできるだけ簡単な技術を使う方法を常に追い求めていたといいます。研修中には、山田堰の「砂利吐口」に注目していたといいます。

山田堰の砂利吐口

「砂利吐口」とは、川底の勾配を調整することで水の流れを変え、用水路に流すきれいな水と土砂をわける取水ぜきの肝となる部分です。

樋口孝さん
「砂利吐口などに電気系統の最新型のゲートをつけてしまうと、壊れた時、現地で誰も作れない。そういうところは現地で応用がきくように全部やりかえている。現地の人たちでずっと、全部を維持・管理ができるようにということで。中村先生はそこに一番こだわっていました」。

このほか、中村さんは人材育成に力を入れようと、土木工事などの専門性を身につけてもらう訓練所も設置しました。訓練所には、現地のエンジニアなどが取水ぜきの建設ノウハウを学びたいと多く訪れているといいます。これまでの受講者は400人に上ります。

訓練所で指導(画像提供:ペシャワール会/PMS)

そして、「現地とともに」という中村さんの思いが実を結んだのが、2023年8月です。

増水で陥没した護岸(画像提供:ペシャワール会/PMS)

アフガニスタンを流れるクナール川という大きな川が増水し、取水ぜきの周辺で被害が出ましたが、土木工事のノウハウなどを習得した人が中心となって、みずから復旧工事を始めたというのです。

取水ぜきの完成を喜ぶ(画像提供:ペシャワール会/PMS)

戦争や大地震、そして中村さんの死去。ペシャワール会が発足してからの40年間、多くの困難が立ちはだかりましたが、中村さんが残した思いを原動力に今後も活動は続いていきます。

樋口孝さん

樋口孝さん
「荒廃した国の中でも、『光』じゃないですけれども、それが本当に広まっているのは実感としてはあります。人のために人生かけた人がいたっていうことはどっかに少し思ってほしい」。

取材後記

ペシャワール会によりますと、アフガニスタンでの活動で、これまでに11の取水ぜきが築かれ、福岡市の「PayPayドーム」およそ3400個分の乾いた土地が緑豊かな農地に変わりました。今では65万人以上の暮らしが支えられています。また、中村さんが亡くなった後もペシャワール会の支援者は1万人余り増えているということで、中村さんの思いを受け継ぎ、広がっていく活動をこれからも伝えていきたいと思います。

  • 宮本陸也

    NHK福岡放送局

    宮本陸也

    2018年入局/大分→福岡
    国際ニュースを日々取材

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