整形外科医院10人死亡火災10年 選択迫られる有床診療所 福岡
- 2023年10月24日
福岡市にあった整形外科医院が全焼し、入院患者など10人が死亡した火災から、10月11日で10年になりました。
当時、医療機関として平成以降で最悪の被害が出た火災。現場は、地域で「かかりつけ医」として親しまれていた有床診療所でした。
この火災は医療機関の防火対策を見直すきっかけになりましたが、今、地域医療の現場は、経営と安全管理の両立という課題に直面しています。
(福岡放送局 記者 郡司幸耀)
“平成以降で最悪”火災は未明に発生
平成25年10月11日の午前2時20分すぎ。
福岡博多区にあった整形外科医院「安部整形外科」の1階から火が出ました。多くの人たちが眠る未明の時間帯で、消防車などが駆けつけ、JR博多駅から南西に1キロほど離れた住宅街の静寂は喧そうに変わりました。
この火災で地下1階地上4階建ての鉄筋コンクリートの建物が全焼しました。
煙は、上の階までいっきに広がり入院患者8人と前の院長夫妻を合わせた10人が亡くなったほか、5人が重軽傷を負いました。当時、医療機関の火災としては平成以降で最悪の被害でした。
火元は、1階にあった処置室のコンセントに差し込まれた電源プラグで、ほこりがたまってショートする「トラッキング」と呼ばれる現象が起き、タオルに引火したことが原因とされました。
警察は、各階に設置された防火扉が旧式のタイプで正常に閉まらなかったことなど、医院側の安全管理に問題があったと見て捜査。当時の院長が業務上過失致死傷の疑いで書類送検され、後に不起訴になりました。検察は、防火扉の設置などをめぐる一連の対応について「起訴するだけの証拠がなかった」と結論づけました。
建物は、発生からおよそ1年半後に解体され、医院は別のビルに移転しました。
現場は“有床診療所”
防火対策の見直し進む
安部整形外科は、有床診療所と呼ばれる医療機関でした。
ベッドを備え、必要があれば入院して治療を行うことができる小規模な医療施設のことで、法律によりベッド数が19以下と定められています。
犠牲になったのは70歳から89歳の高齢者で、多くが自力で避難することが難しいと考えられました。
そのため、有床診療所では「避難のために患者の介助が必要」な場合、床面積にかかわらず、スプリンクラーの設置が義務づけられることになりました。
総務省消防庁によると、全国でスプリンクラー設置義務のある2213の有床診療所のうち、80%を超える1800の施設で設置が完了しているということです。
設置のための補助金もあり、対象となる診療所の設置期限は2025年6月末までとされています。
※特定の13の診療科(歯科、皮膚科、泌尿器科、乳腺外科、肛門外科、形成外科、美容外科、産婦人科、産科、婦人科、眼科、耳鼻いんこう科、小児科)や、13床あたり職員1名以上を配置するなど「避難のために患者の介助が必要」ではない診療所は、設置義務の対象外。
スプリンクラー設置に踏み切れない
一方、取材を進める中で有床診療所のある医師に話を聞くと、こんな声が聞こえてきました。
「有床診療所はもともと診療報酬が安いうえ、コロナ禍で収益はさらに落ち込み、経営的な厳しさにさらされている。設備投資に踏み切る余裕がなく、無床化を考え始めているところも多い。再来年の設置期限と同時に相当数の診療所が閉院したり、ベッドをやめたりするかもしれない」
取材したのは福岡市中央区にある有床診療所です。
腰を骨折するなどした高齢患者の入院を受け入れ、術後のリハビリも提供している整形外科で、昭和44年の開業以来、50年以上にわたり入院治療ができる地域の「かかりつけ医」としての重要な役割を果たしています。
有床診療所はよく“地域の駆け込み寺”と言われます。『何かあったときにあそこにいけばなんとかなる』。そういう存在でありたいなと思っています。『ここが空いてて良かった』と言ってくれる方もいて、患者さんに感謝されることがあるからやっていけています(松本光司院長)
この医院では、10年前の火災を受け、翌年には、簡易型の水道連結型スプリンクラーを設置しました。
同じ有床診療所の整形外科で痛ましい火災が起きたことを重く受け止め「患者とスタッフを守りたい」という思いを強めたからだといいます。
しかし、設置の2年後に消防法施行令が改正されると、この政令で定められた基準を満たさないことが発覚。毎年受ける消防の査察は「不合格」が続いているということです。
有床での診療を継続するためには、1000万円以上を自己負担して新たにスプリンクラーを設置し直すか「看護師1人の1年分の給料」に相当する約600万円をかけて防火扉を追加購入する必要があるということです。
さらに、収益の中心だった外来患者がコロナ禍で減少し、ここ数年で経営状況は一層悪化。国の補助金も当初の半分ほどに下がっていて、設置を決断すると防火対策の費用負担が重くのしかかります。
設備投資か、無床化か。再来年6月末の設置期限まで2年を切る中、難しい判断を迫られているのです。
10年前だったら何てこともなかったかもしれませんが、コロナ禍でかなり収入が減って、外来の収入は2割から3割は落ち込んでいます。有床診療を続けるなら防火対策をしなければいけないし、そうでなければ有床診療をやめるしかない。経営上、非常に厳しく、決めかねているところです(松本光司院長)
「医療レベル落とさぬ防火対策を」
有床診療所を取り巻く厳しい環境について、福岡県有床診療所協議会の原速 会長に聞きました。
原会長ははじめに、苦境に立つ有床診療所で深刻な火災が起きたことを「起こるべくして起こった」と振り返りました。
設備投資ができない、建物が老朽化しても手を入れられない経営状況で、収支に余裕のない有床診療所で起こるべくして起きたと思います
(原速会長)
また、有床診療所は、病院に比べて診療報酬が低くなっているうえ、社会保障の財源枠は大きく広げられないとし、この先も経営が抜本的に回復する兆しは見えないといいます。
その上で、診療所の安全を守りつつ、経営を続けられる対策の必要性を指摘しました。
10年前の火災が呼び水となり、もともと必要とされた安全対策がより徹底されるべきだという共通の認識になった思いますが、物価が高騰して人件費も上がる中で、防火対策の費用も上乗せされるのは、非常につらい。医療のレベルを落とさず現状を保ちながら実行できる防火対策を考えていただき、できれば補助もお願いしたい(原速 会長)
消えゆく有床診療所
今後の防火対策は
有床診療所の数は減少の一途をたどっています。
厚生労働省によると、火災があった平成25年10月の時点で9181あった有床診療所は、ことし7月末には5731と、施設数は10年で4割近く減っているといいます。
背景には、経営難や後継者不足などがあげられ、そこにスプリンクラーの設置義務も加わったことで、閉院したり無床に切り替えたりする診療所が後を絶たないのです。
原会長も、その深刻さを強調していました。
いまスプリンクラーを設置していない診療所は、設置期限が過ぎたら有床をやめて無床化にする予定で設置していないんだと思います。全国の有床診療所は再来年に一気になくなる。非常に厳しい状況に追い込まれています。
一方で、「老老介護」「独居老人」で表される日本の現状を踏まえると、地域医療の受け皿として有床診療所に求められる役割は増しています。
地域に必要とされる医療提供サービスを維持しつつ、防火対策との両立をどのように図っていくのか。身近な医療の現場が抱える課題に目を向ける必要があります。