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「集団に埋没するな」森達也監督インタビュー【福田村事件】

映画『福田村事件』から考える
  • 2023年09月21日

関東大震災から100年。歴史の影に隠れてきた、ある事件をテーマとした映画が公開されました。「オウム真理教」のドキュメンタリーなどを撮ってきた森達也さんが、初めて劇映画のメガホンを取った『福田村事件』です。 

当初、福岡県内での上映は当初1館のみでしたが、今後5館にまで拡大する予定。ミニシアターを中心に上映される作品としては異例のヒットを飛ばしています。 福岡での公開にあわせて舞台挨拶に訪れた森さんに、話を聞きました。

(NHK福岡放送局 木内慧・河﨑涼太)

「この国はちょっとおかしいぞ」空気を変えるきっかけに

舞台挨拶に登壇する田中麗奈さん(左)森達也さん(右)

――映画の大ヒット、おめでとうございます。全国でも連日多くの観客を動員し、福岡での舞台挨拶のチケットは前日までに完売したそうです。この反応をどう見ていますか。

 この映画がここまで多くの人びとに見てもらえる状況というのは、本当に予想外なんです。要因として考えると、まずメディアがたくさん取材してくれたことがあるのかなと思います。NHKに限らず、民放、ネットメディア、雑誌など、公開前からたくさん取材に来てくれました。そこでなんとなく気付いたのは、メディアの人びと――記者やディレクターやライターなど――が、「やっぱりこの国はちょっとおかしいぞ」と感じているのではないかということです。そういう人たちが、この映画を使って自分の違和感を表明しようとしているのではないか。それならば、どんどん材料に使ってくださいと、そういう感じで取材を受けてきました。

  映画が公開されると、今度は一般の方にも「やっぱり今の日本はおかしいぞ」と思っている人がこんなにいっぱいいたのだと驚くと同時に、心強く思っています。

 戦後の日本は、広島・長崎と終戦の日をメモリアルとする「8月ジャーナリズム」ということばが端的に示すように、戦争については被害者意識を基調にしてきました。「自分たちはこれほどひどい目にあった」を基盤にしながら、戦後からの復興をナラティブ(物語)として消費してきて、そこにメディアも教育も政治も乗じてきた。そこにアジアに対する加害責任や煩悶(はんもん)はほぼない。朝鮮人虐殺を政治家が当然のように否定することについて、「それはいくら何でも違うんじゃないか」という思いを持った人が増えてきているのだと思います。

 同様のことは、日本の映画界にも言えます。ドキュメンタリーを除いた商業映画では、日本の加害の歴史について描いたものはほぼありません。一方で、ヨーロッパではナチスやホロコーストをテーマにした映画はひとつのジャンルとして確立し、毎年量産されています。加害国のドイツでも、そのような映画が制作されている。アメリカでは、先住民虐殺や黒人差別を映画にしています。韓国でも光州事件を立派なエンターテインメントにしていますよね。日本だけがやらない。

 理由は恐らく明らかで、そんな映画を作っても誰も見に来てくれないだろうということです。でも、それは思い込みだったのでしょう。この『福田村事件』がヒットして、この日本の映画界の空気を変えることができるのであればうれしいです。

森達也さん

映画『福田村事件』で描いたこと

――『A』(1998年)や『A2』(2001年)では、オウム真理教の信者たちの日常生活が印象的に描かれていましたが、今回の作品でも加害者になる人たちの日常が分厚く表現されています。

 最初にオウムの施設に入って受けた衝撃は、僕の中でずっとくすぶり続けています。それは「普通の人が、普通の人を殺す」ということです。世の中の殺人事件も、虐殺も戦争もおしなべてそうなんだろうと思っています。

 だから、絶対的な悪を造形してはいけないと思うんです。やっている行為は極めて邪悪で、凶暴で、冷酷かもしれない。しかし、やっている人が邪悪で凶暴かというと、イコールではないと思う。何かの環境設定が一致してしまったときに、人は集団の中で邪悪で凶暴で冷酷になってしまう。

 加害者たちの日常、喜怒哀楽、いろいろな生活、それがあった上での虐殺という構成にしたかったんです。それは、僕にとって大事なテーマで、この映画でも大事にしました。

映画では 村人たちがデマを信じ込み 虐殺へと突き進んでいく

―― 一方で、人びとの生活の細かな部分は、資料として残っているものではありません。実際の事件をテーマにした上で、どのように史実とフィクションをすみ分けたのでしょうか。

 最近のハリウッド映画ではよく最後に、「Based on a true story」「Based on fact」といったクレジットが出ます。つまり、これは事実に立脚していますよ、ということです。それを見る度に僕は「True Storyって誰がわかるんだよ」って思うんです。何百年も前の話でもそうだし、どこから見るかによってもファクトは変わります。

 これは再現ドラマじゃない。映画なんです。事実を、今、再現することに価値を持たせていません。この映画から、僕たちが何を学び取り、抽出するのかが大切だと思っています。

 

――題材となった事件の「日本人が朝鮮人に間違えられて殺された」というレトリックには、あたかも「殺してもいい人」がいるかのようなニュアンスが含まれかねません。この問題を本作ではどう克服したのですか。

 終盤、ひとつのセリフがあります。そこで僕は、その矛盾が近代のゆがみなのだということも含めて、ひとつの形に昇華できたかなと思っています。いろいろと評価はあるかと思いますが、僕はこの映画の中ではクリアできたと思っています。

 言うまでも無いことです。日本人なのに朝鮮人と間違われて殺された。それはまず、とんでもない。でも、朝鮮人だってもちろん誰ひとり殺してはいけない。それは、映画の中でしっかりと表明できたと思っています。

森達也さん

集団心理の危うさ、加害の歴史を知ること

――福田村事件を題材にして映画を撮ることは、森さんにとってどのような意味を持つことだったのでしょうか。

 この20年考え続けていて、ひとつのキーワードは「集団」だと思うようになりました。集団になったときに、人はひとりではできないことをやってしまう。虐殺というのは必ず集団で行うし、恐らくはその最終形態が戦争なのだと思うのですが、ひとりの戦争というのはありえないですよね。つまり、集団・組織になったときに、人は大きな過ちを犯してしまうことがある。

 特に日本人は集団と相性がよいのだと思います。言いかえれば、非常にリスクが大きいということでもあります。そのリスクを軽減するためには、過去の失敗をしっかりと記憶しなければいけない。

 ところが最近、この国の過去の失敗の歴史を、自虐史観などと呼称しながら軽視する。目をそらす、もしくは無かったことにする傾向がどんどんと強くなってきています。これは、国として非常にまずいのではないか。 そのような僕の意識を、この虐殺事件を通して問題提起しているところはあります。

――加害の歴史を記憶することが、なぜ重要なのでしょうか。

 人間に例えればわかりやすいと思います。例えば、失敗したり、挫折したり、失恋したり、絶望したり、そうした体験を重ねながら、人は成長する。でも、こうした体験をすべて忘れて、自分の成功体験ばかりを記憶している人は、人間的に成長していないと僕は思います。そんな人、口も聞きたくないですよね。

 国も同じだと思うのです。いろいろな失敗、挫折をしながら、少しずつ成熟していく。でも、そうした負の記憶を継承しないのであれば、国も成長できないです。

 朝鮮人虐殺や南京虐殺、あるいは従軍慰安婦など負の歴史を掲げることに対して、否定したい人たちは「私たちの先祖はそんなケダモノではなかった」というフレーズを口にします。徹底的に歴史認識が浅い。人は環境によってケダモノにもなるし、紳士淑女にもなる。その認識がない。だから否定したくなる。「朝鮮人虐殺なんて、そんなことをするはずがない」、そういう発想からはみ出すことができない。でも、群れて生きることを選択したからこそ、人はそういう存在なんです。いざ虐殺の現場に立ってしまったら、たぶん僕は止められないし、下手したら加担していたかもしれない。そういう思いでいます。

 それを否定していたら、いつまでたっても正確な歴史認識を持てずにいることになる。ということは、国として成長できないままでい続けなければならない。これはダメですよね。子や孫たちのためにも、もう少し住みやすい、風通しのよい、成熟した社会環境の国を残したい。そのためにも、自分たちの負の歴史をしっかりと見つめることから、まずは始まるんじゃないかと思います。

映画『福田村事件』

――今の日本社会で、関東大震災当時と同じような空気が醸成されたとしたら、今の日本人はどのように行動すると思いますか。

  ……この問いは難しい。クワやスキをもって朝鮮人を追い回して殺すということは、さすがにもう起きないと思います。

 でも、見方を変えれば、SNSで起きていること、あるいはヘイトスピーチやヘイトクライムなど。そうしたことを含めて、「今、日本で起きたら」ではなくて、もう起きているのではないかとも考えます。実際に、あれほど多くの人を殺害するには至っていないけれども、今の社会環境は、質としてはそんなに変わらないように思う。

 もちろん、リテラシーははるかに向上していると思いたいです。でも、メディアが圧倒的に進化しているので、僕たちのリテラシーが追いついているかどうか、僕は結構微妙だなと思います。

森達也さん

今のメディアが抱える課題

――流言飛語を拡散させた主体として、メディアが印象的に描かれています。100年を経た今のメディア環境をどうご覧になっていますか。

 映画の中に出てくる「千葉日日」は、架空の新聞社です。そこで、ピエール瀧さんが演じる砂田部長と、木竜麻生さん演じる恩田楓が激しくぶつかるシーンが何度も出てきます。 恩田は、自分の目で見たことをそのまま書かせてほしいと詰め寄りますが、砂田部長はほぼ何も答えられません。

 これは、僕の中の設定なんだけど、砂田部長は「千葉日日」に来る前に、リベラルで反権力な新聞、例えば幸徳秋水がつくった「平民新聞」にいたということにしています。「平民新聞」は、世相がどんどん戦争へと傾いていくと、部数が落ち、国家に弾圧され、最後には廃刊になっている。だから砂田部長は「おまえの言っていることはわかるけども、それをやっていたら新聞は保てないよ」と内心思っているんです。彼はもちろん、それが正しいとは思っていないので、常に悩んでいます。そこを描きたかったんです。

 これは今のメディアと全く同じ問題だと思います。メディアは多様化したけども、基本的には会社ですから、市場原理にとらわれています。視聴率や部数は、メディアにとっては売り上げですから、それを無視するわけにはいかない。でも、売り上げだけでいいのか。ジャーナリズムをどうとらえるのかという問題です。その葛藤をしてほしいというのが、僕が今のメディアに対して持つ思いです。

 どのニュース項目を、トップニュースに持ってくるのか。どのニュースをはじくのか。その取捨選択をしているのは、メディア自身です。数字が上がりましたで、万々歳して終わっていいのか。時には、みんなが喜ぶもの、数字が上がるものを優先してしまうのはしょうがないでしょう。しかし、本当は今もっと伝えないといけないことがあるという思いを捨ててほしくない。引きずっていてほしいんですね。しかし、それを切り離しちゃっている人が最近増えてきたなという気もしています。そうした人には、悩む砂田部長を見てほしいなという思いがあります。 

木竜麻生さん演じる恩田楓(左)と ピエール瀧さん演じる砂田部長(右)

――NHKは、戦時中に軍や政府に統制され、国民を戦争に駆り立てました。同じ過ちを繰り返してはいけないと、私は強く思っています。そのために、どのような伝え方が求められていると思いますか。

 NHKは市場原理にとらわれていないはずなのに、特に最近は視聴率を気にしているように見えます。その傾向はどんどんと強くなってきているようにも思える。それは、自分たちは何のためにあるのかというアイデンティティーを否定することにつながるのではないでしょうか。

 視聴率が気になる気持ちは分かります。僕だって、自分の作品はより多くの人に見てほしいです。しかし、視聴率を優先して自分がやりたくないことをやってもいいのかという、いちばんネイティブなところにある葛藤は捨てないでほしい。

 「1人称単数の主語」を持って、チームの一員であると同時に、自分はディレクターであり、記者であり、カメラマンであり、編集マンであり、照明マンであるという意識を持つことが大事だと思います。そういう意識を持っていれば、上司がなにか言ってきたときに「でも、これは必要ですよ」と言えるのではないでしょうか。そういう集団の在り方というのは、メディアに限らず日本に必要なものだと思います。

 特に、NHKが公共放送という責務を負っているのであれば、安易に組織に、集団に埋没せず、一人ひとりが埋没せずに、自立し、一人ひとりが必死に煩悶(はんもん)しながら、番組をつくってほしいと思います。

森達也さんと聞き手

視聴者へのみなさんへのメッセージ

 あちこちで「メッセージをお願いします」って言われて、答えは一緒なんです。メッセージはないです。見てくださいしかないんです。

 しかし、それじゃあまりにも素っ気ないので、ひとつ言えば、100年前の事件だけど、100年前のことだと思わないでください、と。

 あと、ある人から「映画を見ながら、いろいろなところに自分がいると思いました」と言われて、おもしろい見方だなと思いました。映画の中で、自分を探してください。たぶん、いろんな自分がこの中にいるはずです。

  • 木内 慧

    福岡放送局 コンテンツセンター

    木内 慧

    2019年に入局し、福岡放送局に配属。近現代史や地域の人々の取り組みを取材しています。

  • 河﨑涼太

    福岡放送局 コンテンツセンター

    河﨑涼太

    2022年に入局し、福岡放送局に配属。学生時代から取り組んできた登山にかかわる取材を続けています。

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