『わたしの桜物語』~福岡に咲く桜の思い出~
- 2023年04月07日
この春、みなさんはお花見を楽しめましたか?NHK福岡放送局では、視聴者のみなさんに“桜にまつわるエピソード”を募集したところ、たくさんのお便りやメールをお寄せいただきました。高校時代を思い出す桜や、家族と一緒に眺めた桜など、どれもみなさんの思いがたくさん詰まったものばかりでした。その中から4つの“桜物語”を紹介します。
1.“青春の桜”(福岡市城南区)
「私は去年まで城南高校に通っていましたが、高校の横にある通りの桜並木がきれいです。その下を自転車で通り抜けて登校するのが好きで、桜の花びらを浴びる時に『青春してる!』という感じがしていました」
渋谷実花さん
3月下旬、福岡県立城南高校前の通り沿いの桜は満開で、時折風が吹くと花びらがひらひらと舞っていました。春休み期間中でしたが、部活動や勉強のため多くの高校生が桜並木の下を自転車で登校していました。
メールでエピソードを寄せてくれたのは、城南高校卒業生の渋谷実花さんです。渋谷さんは去年3月に卒業するまでの3年間、この道を自転車で通学していました。高校では吹奏楽部に所属し、週末や春休み期間中も、練習のため登校していました。
渋谷さんの高校生活は、楽しい思い出ばかりではありませんでした。1年生の終わりごろに新型コロナウイルスの感染が急拡大したため、高校は休校になり、大好きだった部活動も中止となりました。およそ3か月後の授業再開の日には、渋谷さんはこの通りにあるベンチに座って登校してくる友達を待ち、久しぶりに会うみんなと喜び合ったそうです。
「高校生活では楽しいこともたくさんありましたが、コロナの影響で悔しい思いをすることも多かったです。修学旅行や体育大会、吹奏楽部の定期演奏会も中止になりました。この通りで友達と一緒に悔し泣きをしたことも思い出します。でもいろんな経験をしていろんな感情があるからこそ、充実した3年間でした」
渋谷実花さん
多くの高校生がコロナ禍でも勉強と部活動に励み、つらい思いをして仲間とともに涙を流したはずです。でもその経験があるからこそ、当たり前の日常を大切にして、これからさらに充実した人生を歩んでくれると思います。
2.“感じる桜”(久留米市)
「私は弱視のため、桜をはっきりと見ることはできませんが、毎年、近所の桜並木を訪れて花びらや木の幹を触ったりして楽しんでいます」
長谷部寿子さん
エピソードを寄せてくれたのは、佐賀県みやき町に住む長谷部寿子(はせべ・ひさこ)さんです。長谷部さんは、生まれた時から視力がほとんどありません。満開の桜をはっきりと見ることはできませんが、毎年この季節を楽しみにしてきました。
ことしの3月下旬、長谷部さんは次女の希(のぞみ)さんと、盲学校時代からの友人と一緒に、久留米市にある桜並木にやってきました。ここは長谷部さんが子どもの頃に家族でよく来ていた思い出の場所です。希さんが真ん中になり、2人と腕を組んで、ゆっくりと歩いて桜並木のまわりを歩きます。
長谷部さんは桜の木に近づくと、花びらをそっと触ったり、花の香りをかいだり、大きな木の幹を両腕で抱きしめたりして、桜を感じていました。桜は眺めるだけでも満足してしまいますが、長谷部さんのように花や枝を傷つけないように手で触ったり、香りをかいだり、心と体で“感じる”ことで、桜の楽しみ方がさらに広がります。
「抱きしめるとその木が持つパワーを感じられるような気がします。どうしてここにこの桜があるのだろうとか、昔の人はどうやって桜を楽しんでいたのだろうとか、そういうことを想像するのが私は大好きです。この桜たちは、これまでにいろいろな人たちを見てきたんだろうなと思うと、とても感慨深いです」
長谷部寿子さん
3.“ふるさとの桜”(筑紫野市)
「筑紫野市むさしヶ丘は、およそ50年前に開発された700戸の団地です。団地が出来てすぐ、周囲にサクラの苗木を植えました。その桜が今では大木になり、桜の季節には、空中の城郭の様になります」
末永邦夫さん
1970年代に住宅団地として開発された、筑紫野市のむさしヶ丘地域。この地にマイホームを構えた人の多くは、他の地域から移り住んで来た人でした。住民たちは「子どもたちのふるさとをつくりたい」と考えて、およそ250本の桜の苗木を団地を取り囲むように植えたそうです。
それからおよそ50年の時を経て、大木となった桜の木々が見事な花を咲かせています。地域の中心を通る幹線道路を使う人たちにとっても、なじみのある桜の名所になっているようです。
取材中も、たくさんの方が桜を眺めに訪れていました。ある住民の方は「歩いて来られるところでこんなに素敵な桜が見られるので、幸せな気持ちになります」と満面の笑みで話してくれました。子どもが小さかったころには、桜の下に敷物を敷いてお花見をした思い出もあるんだとか。
人々の暮らしを見守ってきた桜は、この団地を巣立っていった子どもたちにとって大切なふるさとの風景として心に刻まれていることでしょう。
4.“被災地の桜”(東峰村)
「私は高校時代、JR宝珠山(ほうしゅやま)駅から始発列車に乗って通学していました。毎年春には、桜が見えるホームで列車を待った思い出があります。九州北部豪雨で被災して線路はなくなりましたが、桜は今もきれいに咲いてくれています」
森山美織さん
古い駅舎が残り、満開の桜に囲まれるのは、JR日田彦山線の宝珠山(ほうしゅやま)駅です。東峰村の桜は、例年だと福岡市内よりも4~5日ほど遅れて満開になりますが、ことしはほぼ同じ時期に満開になっていました。
エピソードをいただいたのは、東峰村で生まれ育った森山美織さんです。同じく東峰村出身の寛二郎さんと結婚し、去年5月に長女の美華瑠(みはる)ちゃんが生まれました。この日は思い出の桜を美華瑠ちゃんに見せるため、家族3人で宝珠山駅にやってきました。美織さんは高校時代、この駅から朝6時半に出る始発列車に乗って、大分県日田市の高校まで通っていました。いつも乗り遅れないように早めに来て、駅のホームで本を読んだり音楽を聴いたりしながら列車を待っていたそうです。
春になると駅のホーム前にある桜並木が満開になり多くの人を魅了していたJR宝珠山駅ですが、6年前の夏に起きた九州北部豪雨でその景色は一変してしまいました。駅舎やホーム、線路にも土砂や流木が流れ込むなどの大きな被害を受けました。JRは鉄道の復旧を断念、BRT(バス高速輸送システム)での再開が決まり、今は線路やホームを撤去する工事が進んでいます。
かつて列車が走っていた桜並木の前からは線路が撤去され、ホームの一部だけが残っていました。木の幹には“つた”のような植物がびっしりと巻きついていましたが、桜の花はきれいに咲いていました。美織さんはこの桜を見ると懐かしい気持ちにもなるし、変わり果てた景色を見るとさみしい気持ちにもなると言います。それでも初めて3人で一緒に桜を見ることができて、とても幸せそうでした。
「私が高校の時とは風景が変わってしまいましたが、桜は今も変わらずきれいに咲いてくれていますし、懐かしい気持ちになります。ことし、家族3人で一緒にこの桜を見られたことは本当に幸せなことだなと思っています。美華瑠はこの村で生まれたので、自然豊かな気持ちを持つ、優しい子に育ってくれたらうれしいなと思いますね」
森山美織さん
取材後記
今回本当にたくさんのエピソードをお寄せいただきましたが、私たちが何気なく見ている美しい桜の風景の中に、こんなにたくさんの人の特別な思い出が詰まっているのだと気づかされました。私たちが桜を見てうれしい気持ちになったり、懐かしく感じたりするのは、毎年かならず花を咲かせてくれる桜とともに、思い出を積み重ねてきたからなのかもしれません。ことしの桜はもう散ってしまいましたが、また来年、新しい思い出とともに桜を見るのが楽しみです。
(取材)NHK福岡放送局
鶴田幹人・木内慧