変化続ける美術館の“壁”
- 2023年01月17日
福岡市美術館の館内にある白い壁。高さおよそ3メートル、幅13メートルのこの壁を使って、福岡を拠点に活躍するアーティストが作品づくりに取り組んでいます。キーワードは「変化」。いったい、どんな作品になるのか取材しました。
(NHK福岡放送局記者 松木遥希子)
美術館の一角で・・・
ことし1月5日。福岡市美術館を訪れると、午前中から1人の女性が白い壁に向かっていました。
福岡市在住のアーティスト、田中千智さんです。田中さんはこれからおよそ1か月間にわたって美術館に通って壁画を仕上げます。
独特の世界観に多くのファン
黒い背景とそこに浮かび上がる色鮮やかな人物や景色が印象的な田中さんの絵。自分が育った福岡の夜や港の情景が影響を与えているといいます。
幻想的な絵は国内外で高く評価され、多くのファンを引きつけています。
描かれている人物の、怒っているとも笑っているともつかない独特な表情も特徴です。多くの絵で、特にモデルはいないといいます。
「フラットにして、見た人が印象を言ってもらえるようにしたほうが面白いなと思っています。性別やどこの国の人か、あるいは絵の場所がどこかはもともと決まっていないことが多いんですが、見た人が『友達に似てる』とか『ここは自分の地元の港みたい』、『あのとき行った旅行先みたい』などと話してくれるのってとても面白いんです。全然知らない方が物語を作ってくれるようなときもあって、それぞれが見たときに自分の近いところに引き寄せて見てもらえるのはすごくいいなと思います」
美術館も期待!
田中さんの仕事は絵画にとどまらず、ベストセラー作家の本の装丁や舞台美術、さらにウイスキーのラベルのデザインなど多岐にわたります。美術館では、従来の来場者とは違う層にもアプローチできると期待しています。
「田中さんはとても幅広い活動をしていますので、いわゆる美術館の美術が好きな方だけでなく、幅広いファンの方に来ていただけるのではないかということでお願いしました」
「変化する壁画」とは?
今回、田中さんが手がける壁画のキーワードは「変化」。壁画は2025年までの3年間、毎年1月に新しい絵が加えられるということです。いったい、どういうことなのか?田中さんがこの先3年間の変化をイメージして描いたスケッチを見せてもらいました。
田中千智さん
「最初はポツンと人物がいるところから少しずつ人や森の木が増えていきます。2023年の段階では人と少し木や風景が見えているぐらいかな、と今は思っています。最終的には、海や港、町の風景や荒れ地などのイメージを広げていきますが、真ん中の人については、増えたり減ったりすることもあるんですけど、変わりなく存在しているという形ですね。人が産まれてきたり、亡くなったりというようなことが絵の中でも起きているようなイメージを持っています」
生活しながら描く
福岡市で1歳、3歳、5歳の3人の男の子を育てながら活動している田中さん。地元で暮らす中で人や街の変化も感じながら作品を作っていきたいと話しています。
田中さんの作品づくりのようすは近くで自由に見学や撮影ができます。また、壁の隣の展示スペースでは3月21日まで田中さんの作品展も開催されていて、こちらも撮影自由で、SNSへの投稿も自由にできます。美術館を訪れたさまざまな人にSNSなどを通じて広く発信してもらうのがねらいで、美術館としても画期的な取り組みだということです。
福岡で暮らし、これから3年をかけて変化させていく壁画。田中さんは、ぜひ見に来てアートを身近に感じるきっかけにしてほしいと話しています。
「“亡くなったあとに評価される”という画家の古いイメージみたいなものがあると思うんですけど、私も日々生きていてみなさんと同じように生活をしています。今回の壁画制作も日常としてやっていけたらと考えています。壁画の今後については2年後、3年後の話になるので、描くときにまたどのように絵を変えていくのかを考えていくと思います。2年後の自分が感じたものとか、3年後の社会の状況なども変わってきて、絵はおそらく多少スケッチとは変わるのではないでしょうか。来場者の皆さんには来たときの絵の変化も楽しんでほしいし、もし私が描いているところにいらした方は声をかけてもらって話せたらいいなと思っています。人と話すことでまた絵が変わるかもしれないのは面白いですね」
制作開始からおよそ2週間がたった1月17日。美術館を訪ねてみると、真っ白だった壁は一面が黒く塗られ、田中さんの世界観が広がりつつありました。
【追記】壁画、完成しました!
そして迎えた完成予定日の1月31日。閉館時間が迫った美術館で「ちょっと色にむらがあって・・・」と、田中さんが作業を続けていました。
午後5時すぎ、壁画はついに完成しました!
真っ黒に塗られた背景に、木々や人、動物の姿。
丹念に重ねられた色が鮮やかに浮かび上がり、幻想的な雰囲気です。
細かいところまで丁寧に表現された「田中ワールド」が広がっています。
1月5日の作業開始以降、閉館日を除いて毎日通って描き続けた田中さんにお話を聞きました。
「終わっての感想は・・・楽しさときつさが半々でした。こんなに毎日描き続けたのは浪人生のとき以来でしたが、当時とは体力が違いました(笑)。絵を描いているといつも終盤になって“もっとどこか描けそうな気がする”と考えてしまって終わるのが難しいのですが、この壁画は期限が決まっていたので終えることができました。また来場者の方に感想を聞きながら描けたこともとても励みになりました。来年、再来年も1月に新しい絵を描き加えることになりますが、こうした作品は最初のものが一番よかったと言われやすいと思うので、自分が自分に打ち勝っていかないといけません。できれば見た人に『前より面白くなった』と言ってもらえるよう頑張っていきたいですね」
今の壁画が1年を通してどのように美術館になじんでいくのか。そして来年、再来年にどう変化するのか。興味は尽きず、これからも見続けていきたいと思います。