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仕事と育児の先に見つけたもの

小児科医・MISIAの母 伊藤瑞子さん
  • 2022年11月22日
    伊藤瑞子さん

    伊藤瑞子さん(77)。長男、長女、そして次女で歌手のMISIAさんを育てながら医師として働き続けてきました。

    「ワーキングマザー」ということばもなかったころ、時代に先駆けて仕事と育児を両立するため奮闘してきた伊藤さんに、これまでの経験とこれからの時代を生きるヒントをうかがいました。
    (NHK福岡放送局 記者 松木遥希子、ディレクター 和田裕貴)

    研究と育児 ぶつかった“両立の壁”

    終戦を迎えた1945年生まれの伊藤さん。医師になった背景には、明治生まれの祖父の存在があったといいます。

    伊藤さん

    「“これからの時代は女の人も自分ひとりで生きていけるように、生きるすべを身につけなさい”というのが祖父の口癖でした。終戦で価値観が変わって、この先何があるかわからないからというのがあったんだと思います。経済的な自立なしに女性の自立はないと思い浮かべる、とても現実的な子どもでした」

    進路を考える中で思い浮かんだのは資格を取ること。医師を目指して長崎大学の医学部に進学しましたが、女子学生は1割未満でした。当時は医師になっても結婚・出産を機にやめる女性は多く、教授が授業中に「国立大学に女子はいらない。すぐに仕事を辞めるから、育成しても税金のむだになる」と公言していたことをよく覚えているといいます。

    そして、大学卒業の年に同級生の夫と結婚。学生時代から関心があった病理学の研究者を目指し、助手となってまもなく、長男を出産しました。育休制度がなかった時代、認可外の保育所に預けて産後6週間で仕事を再開しました。
    しかし、年子の長女を出産したあと、次第に研究と育児の両立の壁にぶつかるようになります。

    伊藤さん

    「病理学は基礎医学の分野です。当初は臨床と違って夜勤などもなく、マイペースでやれるかなと思ったのですが、基礎医学は研究が命。研究のためには時間がいくらあっても足りなくて、2回も十二指腸潰瘍になってしまいました。考えが甘かったのだと思います」

    「病気になってごめんなさい」と言われて

    当時、夫は外科医で勤務時間が長い上、単身赴任することもありました。いわゆる“ワンオペ育児”だったという伊藤さん。特に苦労したのは子どもが病気になったときでした。互いの両親は県外にいて、手助けを求めても到着までは夫婦のどちらかが休んで子どもを見なければなりません。

    伊藤さん夫婦
    伊藤さん

    「たいていの場合は私が休んだんですが、ときどきもめることがありました。あるとき、朝からすごい勢いでもめていたら、3歳になった長女が『病気になってごめんなさい』って泣き出したんですね。もう今考えても涙が出るくらいかわいそうで、そのときは一緒に泣いてしまいました」

    仕事を辞めてしまおうかと何度も悩んだという伊藤さん。そんな伊藤さんを支えたのは、先輩の女性医師の「あと3日、1週間頑張ってみようと思い、それが1か月、1年となって、仕事を続けてきたよ」という励ましでした。

    再スタートとMISIAさん誕生 

    めまぐるしく毎日を過ごし5年がたったころ、伊藤さんは夫が当時勤務していた長崎・大村市の病院で研修医として再スタートを切ります。仕事と子育てを両立するにあたり、いったん論文を提出して区切りを付けた上で、基礎医学から臨床へと進路を変更したのです。研修医の期間を終えたあとは小児科医として働き始めました。院内には24時間の保育所があり、ここで転機が訪れます。

    伊藤さん

    「小児科医として赤ちゃんと接したり、保育所を利用して夜勤もこなす看護師さんを見たりしているうちに、自分ももう1人育ててみたいと思うようになりました。そして産まれたのが次女のMISIAです」

    長女、MISIAさん、長男
    伊藤さん

    「上2人とは7歳から8歳離れていて、みんなで育てたという感じです。1人目、2人目のときは私たちも肩の力が入っていたと思うんですが、3人目のMISIAには何かそういう力が抜けて、のびのび育ったように思います。それで3人目がMISIAになったかと思います」

    一家で対馬へ

    MISIAさんが産まれてしばらくたったころ、離島に新しい医療を届けたいという夫の提案で、長崎県の対馬の病院に夫婦で赴任することになります。医療資源が本土の半分しかないという厳しい環境の中、365日24時間医療を提供するためにがむしゃらに働いた時期でしたが、常に家族で過ごす時間を持つようにしていました。

    伊藤さん

    「幸い住まいと病院が近かったので、夕食は必ず家に帰って作ってみんなで食べてコミュニケーションをとるようにしていました。そのときに学校のこととか子どもたちが話したいことをしっかり聞いたりして、とにかく夕食は一緒にとるというのだけは大事にしていました。話すことで子どもたちの状態もわかるし、私たちがどんな仕事をしているかも子どもたちに分かってもらえたりして。大人になってから子どもたちに聞くと、母親は病気の子どものために働いているんだから、自分たちが我慢しなきゃいけないって言い聞かせていた時もあったようです。家ではあまり仕事のことを話さないという方もいますが、親の仕事や社会に対する責任を子どもたちに理解してもらう上では、私は話してきてよかったと思っています」

    やがて長男と長女は進学のため、島を出ます。このころ、伊藤さんはMISIAさんが眠ったころを見計らって仕事に戻る日々が続いていましたが・・・。

    伊藤さん

    「いつのころからか、眠ったふりをしてくれていることに気がついて。お互いそのことにはずっと触れずにいましたが、最近本人(MISIAさん)に『眠ったふりをしていたことがあったよね』と言ったら、『うん、出かけたあとは自分で好きに本を読んだりできたから楽しかったんだよ』って答えたんです。ずっと我慢させていたのかなと思って何も言えなかったんですが、ちゃんと楽しんでくれていたんだなとほっとすると同時に、子どもってすごいなと思いました」

    24時間の病児保育を整備

    対馬にいた頃、勤務先の病院の新築移転の話が持ち上がります。診療部長だった伊藤さんは、24時間いつでも利用できる保育園と病児保育施設を院内に設けて働きやすい環境を整えることを会議で提案しました。医療過疎地域の人材確保につながる画期的な提案として県の予算があてられ、実現にこぎつけました。

    長崎県対馬いづはら病院(当時)
    伊藤さん

    「整備から30年以上たち、病院はさらに移転しましたが、24時間の保育園と病児保育は今もあるそうです。男性も女性も職員全員が働きやすい環境になったのではないかと思って、とてもよかったです」

    福岡に転居 地域に根ざす中で感じたこと

    伊藤さんのクリニック

    対馬で10年間を過ごした伊藤さん。福岡市に移って一般の病院に勤務したのち、小児科のクリニックを開業します。ちょうど親の介護も重なり、住居と兼ねた診療所にしました。地域に根ざして子どもの成長を見守る仕事にやりがいを感じる中、あることが気になるようになります。

    伊藤さん

    「ここ何年も共働きの家庭が増えているんですが、子どもが熱を出したと言って夕方駆け込んでくるのは必ず母親なんです。ほかにもきょうだいを連れてきていて、これから夕飯も用意しなきゃなんて言うので大変だと思って聞いてみると、子どもが熱を出したぐらいでは父親は帰れないと言うんです。こんな時代になっても育児が母親に偏りすぎていることを感じました」

    伊藤さんによると、最近は小児科を訪れる父親も増えてきたものの、体感としては1割ほど。背景には固定観念があるのではないかと感じました。

    伊藤さん

    「日本では“母性神話”や“3歳児神話”などと言われるものがあるなど、育児が母親に偏りすぎる雰囲気がまだ強いと感じています。そういったものには科学的な根拠がないと厚生労働省でも発表しているんですが、それでもどこかで女性が家庭にいて子育てする、というようなのがずっとあるような気がしていて。そういった雰囲気があるので父親の方も『子どものために帰ります』と言いづらい雰囲気があるとずっと思っていました。男性が育児に関わることについては、子どもの学習能力や自己肯定感に寄与するという論文もあります。父親が外で一生懸命働く後ろ姿だけでなく、半々でなくてもいいので関わるという姿勢は非常に大切だと思い、また同じ時期に読んだフランスの少子化対策についての本を参考に、“育児の共有”ということばを思いつきました」

    “育児の共有”を学びたい 大学院へ

    そうした中、近くに夜間や土曜の講義があって社会人も通える大学院があることを知ります。“育児の共有”についてもっと学びを深めてみたい。2017年、伊藤さんは公立の福岡女子大学大学院を受験し、合格。晴れて大学院生になりました。

    学内の図書館にて

    大学院では各国の育児政策について研究したり、福岡市内の住民にアンケート調査を行ったりして、どうすれば日本で“育児の共有”が進むかをさまざまな角度から考えました。そして見えてきたのは、育児の共有を進めたい人が多くても進まない現状でした。

    伊藤さん

    「アンケート調査を行ったところ、男性の育児参加の第一歩となる育児休業について、男女ともに7割以上の人が必要だと思っていると回答したんです。でも、社会や企業の理解がなくてできない。それと同時に男女の賃金格差が大きいから、なかなか男性側が育休を取れないと言うんです」

    「産後パパ育休」への期待

    そんな伊藤さんがいま期待しているのが、ことし10月に始まった「産後パパ育休制度」です。子どもが生まれて8週間以内に最長で4週間、2回に分けて、男性が育休を取得できます。育児や仕事の状況にあわせて育休を取得できる、より柔軟な仕組みに注目が集まっています。

    伊藤さん

    「とても画期的な制度で、期待しています。男性が育休を取ることは子どもの誕生時からの“育児の共有”が進む大きなきっかけになりますし、男性育休が当たり前になることで職場の合理化も進むのではないでしょうか。今までは育休は女性が取るものとして、最初からこの女性はそんなふうだなというような、いわゆる“マミートラック”のようなものがあったんですが、男性も取っていくとなると社会全体でそのシステムを考えなければならなくなります。職場の効率化も画期的に進むのではないかと期待しています。一方、韓国のように100%の休業補償を出すといった収入面でのサポートなどもまだまだ充実させる必要性があるとも感じています」

    駆け抜けてきて 家族のいま

    診察する伊藤さん

    医師として、母親として、全力で駆け抜けてきた伊藤さん。現在は長男にクリニックの院長を任せ、自身は検診や予防接種などを主に担当しています。

    小学生のころ、「私は家にいる普通のお母さんになる」と言っていた長女も、働く伊藤さんの姿を見て資格をとり、共働きで子どもたちを育てています。

    そして国民的な歌手になった次女のMISIAさんも「一生、歌い続けていきたい」と話すなど、懸命に働き続けた伊藤さんの姿勢は確実に受け継がれているようです。

    一方、ときにはぶつかり合い、ときには仕事上のパートナーとして支え合ってきたという夫は。

    伊藤さん

    「夫は子どもたちが小さいころ、こちらが両立で大変だということはわかっていたと思います。今になって『もっと自分が子育てに関わろうと思えば関われたんだけど、もったいなかったと思う』と言っていますね。ただ、対馬でも、開業してからも、仕事の上では最高のパートナーで、だからここまでやってこられたのだと思います。いつも私が夫に冗談で『もし生まれ変わったら、今度は草の根を分けても探し出して、今度は妻にしてあげる』と言うんです。すると夫は、『そのころには時代が変わって、やっぱり妻のほうがよかったって言うかもしれないよ』と答えるんですよ」

    若い世代に伝えたいこと

    伊藤瑞子さん

    「走り続けて、もうやめようかと思ったこともありましたけども、とにかく仕事を続けようっていうふうにあがきました。そういうとき、実は助けてくれる人が現れてくるんですよね。だからそういう悩む力っていうんですか、あがくっていうことが周りの力を引き寄せて続ける力になりました。若い世代に伝えたいのは、人生何があるかわかりませんから、男性も女性も経済的に自立するという意思を持って、結婚しても子どもが産まれてもどんな形でも仕事を続けてほしいということです。高校生などの段階で男女共同参画に加えて育休の制度についても学ぶ機会を持ち、育児は共有するという意識を持ってほしいですね。まだまだ子育ては母親の責任というような固定観念が根強く、いろいろ心配される方もいると思うんです。でも特に共働き家庭で母親の苦労を見て育った世代には、夫婦で育児を共有して子どもを育てていって新しい未来が開けるということを伝えてほしいですね。意志をもってあがいてもがいていただければ、きっと道は開けると思います」

    (記事の一部を修正しました)

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