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京都の料理の源は福井にあり!? 鯖街道の起点「小浜」味めぐり

福井ザクザク!掘らナイト 「小浜の100年超え老舗SP」 2023年6月23日放送
  • 2023年07月11日

    福井県小浜市は、古くから若狭湾の海の幸などを京や奈良の都に運ぶ「鯖街道」の起点として発展し、豊かな食文化が育まれてきました。サバを豪快に丸ごと一匹焼いた「浜焼きサバ」や、見た目も美しい「小鯛のささ漬け」など、古くから地元で親しまれ、全国的に有名な特産品もたくさん。そんな小浜の食文化を支えてきたのは、創業100年以上の老舗たちです。伝統を守り続けてきた老舗の技を紹介します。

    創業260年 サバ専門店の浜焼きサバ

    小浜のシンボルともいえる逸品が、サバを豪快に丸ごと一匹串にさして焼いた「浜焼きサバ」です。かつて冷蔵技術が発達していなかった頃、保存のため地元で親しまれていました。それがやがて鯖街道でも運ばれるようになると、当時塩漬けのサバが主流だった中で、すぐに食べることができると重宝されたといいます。

    この浜焼きサバを看板商品にしているのが、創業260年の「サバ専門店」。見た目のインパクトもさることながら、脂が乗った身はふっくらとしていて味も絶品。様々な料理にも利用しやすいよう、あえて味付けはしていません。

    店主の益田隆さんは、なんと12代目。13代目に息子さん、14代目はお孫さんで内定済みだとか。将来も安泰ですね。店の自慢は「最高の焼き上がり」、その工程には様々なこだわりがあります。

    まずは下処理。臭みが残らないよう内臓や血合いをしっかり取り除きます。

    益田さんは、「ささら」と呼ばれる小さいほうきのような道具を使っています。このささらは、身を傷つけないように柔らかい素材を使って自作しているんです。

    串を刺す工程にも一工夫があります。分厚い背中の部分を少しずらして串を刺すことで、全体の厚みを均等にしています。こうすることでサバの身全体にまんべんなく火を通すことができます。

    火のあて方にも妥協はありません。すべてのサバをムラなくじっくりと焼くため、常に観察し、焼き加減によって火との距離を遠ざけたり近づけたりして調整を繰り返します。約20分、ゆっくりと余分な脂を落としながら焼くことで、身はふっくら、冷めてもおいしいサバに仕上がります。

    益田さん

    これを僕が焼かんことには気に入らんもんでねぇ。まだ他の誰にも任せられない。

    サバ一本勝負!

    益田さんが、もともと鮮魚店だった店をサバの専門店にしたのはおよそ30年前。「鯖街道」の起点としての歴史が改めて注目されるようになったことを機に、伝統の焼きサバで勝負することを決意しました。受け継がれてきた技を追求し、自分なりの工夫も加えて、小浜を代表する店になっています。現在は息子の友和さんにもその技を伝えています。

    息子 友和さん(左)
    益田さん

    やっぱりこだわりはおいしいもんを食べていただきたい。この若狭小浜というのはサバどころであるしね。これから先もその文化はずっと受け継がれると思うんで、やっぱりうちの息子にも孫にも受け継いでもらいたいね。

    味も見た目も一級品 小鯛のささ漬け

    小浜を代表するもう一つの特産品といえば、三枚におろした小鯛を薄塩と酢に漬け、ささの葉を添えて小さな樽に詰めた「小鯛のささ漬け」です。

    鮮魚店4代目 倉谷シゲ子さん

    ささ漬けを65年作り続けているレジェンドがいます。小浜にある鮮魚店の4代目、倉谷シゲ子さん(87)。小浜で一番長くささ漬けを作り続けています。美しい見た目と絶妙な酢のあんばいは長年貫いてきた丁寧な仕事のたまものです。

    特別にささ漬け作りを見せていただきました。「小鯛」とは日本海であがる「レンコダイ」のこと。まずは一匹ずつ、ウロコを取り除いていきます。

    続いて三枚に下ろす「へぎ」と呼ばれる作業です。レンコダイは身が柔らかく崩れやすいため、的確に包丁を入れていきます。倉谷さんが大切にしているのは「均等できれいな切り口」。口当たりがよくなるといいます。

    下処理を終えたレンコダイを塩に一晩漬け、すすいでから酢に漬けます。酢に漬けるといっても、さっとくぐらせる程度。こうすることで、きれいなピンク色が1週間程度持つとともに、素材の味を生かした刺身のような味わいになるんだそうです。あえて酢を利かせすぎず刺身のようにしているのは、100年前、京都の人の好みに合わせて作られたからなんです。この味わいと美しい発色を両立させるのが倉谷さんの腕の見せ所です。

    一人で守り続ける 伝統の味

    倉谷さんがこの店に嫁いだのは22歳の時。すぐにささ漬け作りを始めました。

    倉谷さん

    嫁いできた時は魚をさばくこともできなかった。魚の名前も知らんぐらい。見まねや。お義母さんがしてはったのを見て。

    1990年代のささ漬け作りの様子

    倉谷さんが40代の頃、調理することなくそのまま食べられておいしいと全国でヒット。大人気商品となり、作業は朝から晩まで続きました。ところが45歳のときに、夫の豊さんが病気で亡くなります。以来、倉谷さんは経営者として切り盛りしてきました。

    当時は従業員も抱え、先頭に立ってささ漬けを作ってきた倉谷さん。今ではすべての作業を一人で行っています。量に限りがあるため、作るのは注文を受けた分だけ。全国各地からの依頼が途切れる事はありません。店の作り手が1人になった今でも、変わることなく昔ながらの味を守り作り続けていると、他のささ漬け職人さんたちから尊敬を集めているんです。

    倉谷さん

    たくさん店があるのにうちへ来て、それはありがたいと思ってやってます。それで、休む間もなく続けられるんです。これがあるから元気に朝早うから仕事ができる。

    京料理は小浜がルーツ?

    ささ漬けが京都の人の好みに合わせて作られていたように、小浜の食文化は京料理のルーツともいわれているんです。小浜の食文化を研究するために5年前に移住してきた小浜市文化観光課学芸員の川股寛享さんによれば、伝統的な京料理には小浜の食材を使った物が数多くあるんだそうです。

    ささ漬けの他にも、福井ではおなじみのサバ寿司など、小浜から伝わらなければ生まれなかった京料理も多いといいます。

    京料理にもつながる小浜の食文化は、伝統を受け継ぐ老舗の職人たちによって守られています。

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