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奈良美智 創作の原点に迫る

執筆者早瀬翔(記者)
2023年10月27日 (金)

奈良美智 創作の原点に迫る

青森県立美術館で弘前市出身のアーティスト・奈良美智さんの個展がことし10月から始まりました。
「はじまりの場所」という意味がタイトルに込められた今回の個展。
奈良さんにとっての創作の原点ともいえる故郷・青森への思いや大きな転機となった東日本大震災のあとの制作にかける思いなどについてインタビューで迫りました。

自分を見つめ直す展示

展覧会の開催前日に開かれた内覧会。
その冒頭で奈良美智さんはこう切り出しました。

奈良美智さん

「すごく恥ずかしい自分は出したくなかったような初期の作品や、自分が忘れかけていた高校の時に作ったロック喫茶の再現とか、自分をもう一度見つめ直すことが出来る展示になったと思います」

今回の展示には、奈良さんの作品にしばしば登場する「家」のモチーフや、奈良さんが大事にしているテーマ、「NO WAR」といった、5つのテーマから構成。

奈良美智さんの作品

奈良美智さんの作品

奈良さんが繰り返し描いてきた女の子や動物などの作品、およそ200点が出展されています。

奈良さんにとって創造の「はじまりの場所」として故郷・青森が強く示唆されているという今回の個展。

取材に訪れた展覧会開催初日も、多くの人が奈良作品を見ようと訪れていました。

展覧会開催初日

青森開催の個展の意味

県内外から注目されている今回の展覧会。
今回のインタビューでは、青森で個展を開催することの意味について聞きました。

「やっぱり幼いときに自分の感性がほとんど作られたのがここだと思っているので、やっぱり戻ってきたい場所ですね。自分の感性はどう培われたんだろう、それをどうやってこの場で表現するのが、この地方に住んでいる人に伝わるんだろうと言うことも考えて展示していったという感じですね。僕の作品だけではなくてこの土地の風土を感じて欲しい。その風土からこういう作家が生まれたんだなって言うことに繋がれば良いなと思います」

見せたくない作品も公開

会場に入るとすぐ展示されているのが「カッチョのある風景」という名前の作品。武蔵野美術大学に在学中、津軽地方の風景を題材に制作した油彩画で、今回が初めての公開となります。

武蔵野美術大学に在学中、津軽地方の風景を題材に制作した 油彩画

質素な家屋が立ち並ぶ閑散とした村の一本道や風を防ぐ「カッチョ」と呼ばれる木製の柵などが描かれています。
奈良さんいわく、「恥ずかしいしなるべく見せたくない」という最初期の作品です。

「自分にとって若いときの物語とか、若いときの作品は恥ずかしいんですよ。だからなるべく見せたくない、一番新しい、一番気に言っているものをみせたい。自分はあれ気に入っていなくて捨てたんです。ゴミ箱に。美大の。そしたらそれを誰かが、知っている人ですけど、拾って保管してくれていた。やっぱり一番模索していた時期、20歳前後、絵を始めた頃、いろんな作風に挑戦したり、工夫したり。自分のものが生まれる前だから、チャレンジするんですよ。いろんなやりかたに。そのなかの1枚が、最初の部屋の家というテーマにある古い油絵で、20歳くらいに書いた奴なんだけど、人生って面白いなと思いました」

本当のはじまりの場所

今回、奈良さんにとって、創作活動の原点ともいえる場所が、奈良さんの記憶などを元に再現された空間の作品も展示されています。

それが、かつて弘前市にあったロック喫茶「33 1/3」の再現です。

ロック喫茶の再現

奈良さんが高校時代に建設作業に携わり、美術の道へと進むきっかけになりました。
今回の展示を担当した学芸員からも「これがないと奈良美智はいない」と言われたという、まさに「はじまりの場所」です。

「中学は柔道部で、高校はラグビー部だったんですよ。全然美術関係ない。ただ、手先が器用だったから、店を作るのを手伝って、その中に地元の美術好きの人とかも来ていて、『奈良君、美大とか受けたらいいんじゃない』って言われて。ちょうど受験勉強に意義を見いだせなくて、なんでこんなに勉強しなくちゃいけないんだろうみたいな。将来の目標とどう繋がるんだろう、そもそも将来の目標ないしみたいな。そんなに絵がうまいんなら簡単に入れるかなと思って、じゃあ美大に行ってみようかなって。だから、あの場所がなければ僕は美術の道にも進んでいない」

昔の写真

「この機会じゃないと絶対出来なかった」と話す今回の空間展示。
奈良さんは、今回の展示で最も見て欲しい作品の1つだと話します。

「小さな小さな町のロック喫茶が自分の本当に基礎を作ってくれたと気付かせてくれて。他の人が美術がうまくいかなくてやめていく人がいっぱいいるんだけど、自分は最後にその固い基礎があるからそこからまた立ち直れるというか、結局美術はあんまり関係ないんだけど、そこで経験したことが、何度でも自分が絵筆を持ってまた書こうまた書こうということに繋がっている気がします」

東日本大震災、そして

奈良美智さん

奈良さんにとって、ふるさとを再び見つめるきっかけとなったのが、東日本大震災です。
美術は場所や余裕がないと成立しないと考え、必要なのか悩み、一時、絵が描けなくなりました。

「震災が起こったときに、なんか浮かれている自分を許せないのと、美術というのが果たして極限状態、サバイバルしないといけないときに、どれくらい必要なんだろうか。歌手の方とか芸能人の方が、慰問に行って被災地に行って歌ったりなんかしているのを見ると、その強さに比べると一枚の絵の強さは、例えば教会でも美術館でも良いし、場所がないと成立しない。そこに行って見られる余裕がないと、成立しない。なにか食べておなかいっぱいでちょっと絵でも見るかみたいな。本当に必要なのか、こういう時に。だから絵が描けなくなって。簡単に言うとキャンバスを張るのさえ嫌で、なんでこんなの張らなきゃいけないんだって。これも余裕があって初めて用意して張れるもんじゃないかとかって」

絵筆を持てなくなった奈良さんが向き合ったのは、粘土だったといいます。

「じゃあ道具もなしで素手で粘土でなにか格闘してみよう、作ると言うよりも、なんか粘土でいじってみよう、筆とか道具とかいらないし、とにかく土と自分。そこで相撲取るみたいに1メートル以上の大きな粘土と格闘して。震災ですごいマイナスになったことはいっぱいあったけど、そのマイナス分を全部裏返してプラスにしていこう、それを何年かかるかわからないけど自分はやっていこうかなって思いました」

春少女のバナー

こうした経過を経て、再び絵筆を取った奈良さん。
その後、手がけた「春少女」では、それまでの作風と異なり、目がやさしくカラフルな女の子を描きました。絵に希望を込めた作品で、奈良さんにとっても特別な作品になったといいます。

奈良さんは、その後、自らのルーツや過去とも向き合うようになり、ふるさと・青森への思いは一層強くなっていったといいます。

「東日本大震災のあとに自分はどうしてもふるさと東北、青森を見つめざるを得なくて、いままで美術において西洋とか大きな町を見ていた自分を恥じたんですよ。自分のほとんど自分の感性はここで磨かれた。そこに何かしら感謝しないといけないし、もう一回自分の歴史を掘り下げて、一体ここで自分はどう育ったのか、そこからどういう作品が生まれていくのか考え出したのが震災です。東北生まれのものとして何が出来るんだろうって。人より得意なものはものを作ることなので、なんかどうにか続けていけば、いつしか形にならないもの、漠然としたふるさとのために何かとか、ここで育った自分がどういうもの作るか、そういう漠然としたものが続けていけば形になっていくことは少しずつ経験してわかってきているので、まだまだ続けていって体が動くうちはずっと作り続けて、なんかそういう結果を出して生きたなと思っています」

青森だけの展覧会

今回の展覧会は、巡回の予定はなく青森だけの開催となります。
会期は2月25日まで、ちょうど青森の冬の時期と重なり、青森県立美術館の周辺も雪に覆われます。
奈良さんは、冬の青森の空気や風景を感じながら、美術館を訪れてもらいたいと話しています。

「この展覧会はたまたまここにあるだけで、青森は温泉もあるし食べ物もおいしいし、逆に寒いときに鍋とかいいじゃないとかいろんなことが思い浮かんで、そうだ、みんな来れば良いじゃん。別に何もないところじゃない。鼻が凍るようななか、バスとかタクシーから降りて歩いてきて、このアプローチからこの展覧会を味わって欲しいという気持ちがすごくあります」

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