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寺山修司没後40年 いまも若者の支持集めるワケ

執筆者浅井遼(記者)
2023年06月08日 (木)

寺山修司没後40年 いまも若者の支持集めるワケ

青森県出身の文化人、寺山修司。
その強烈な個性や主張は生前、若者を中心に支持を集めました。
その寺山修司が亡くなってからことし5月で40年となりましたが、実は今も若者を魅了し続けています。
そのワケを探りました。

 寺山修司とは?

「名前は知っているけれど、どんな人だったのか実はよくわからない」。
そんな声をよく耳にします。まずどんな人物だったのでしょうか。

寺山修司

寺山は、昭和10年、弘前市で生まれ、警察官だった父親の仕事の関係で県内を転々としたのち、幼少期は三沢市で過ごしました。
太平洋戦争で父を亡くし、母親が夜遅くまで働いていた三沢時代、寺山は寂しさを紛らわせるように本に読みふけり、文学に出会ったとされています。

その後、青森高校から早稲田大学に進学すると、短歌の創作を重ねて頭角を現します。

しかし、1つのジャンルにとどまらないのが寺山修司。
社会に出るとラジオ作家や映画監督などとして活躍します。
本人が称したところは「職業=寺山修司」。
枠や常識にとらわれることのなかった寺山を見事に言い表しています。

その中でも評価を高めたのが演劇。
「アングラ演劇の巨匠」として当時の若者を中心に絶大な支持を受けました。
また、ラジオドラマの分野でも才能を発揮し、世界のすぐれたラジオ番組に贈られる「イタリア賞」のグランプリを受賞するなど、その才能は海外でも高く評価されました。

しかし、今から40年前の昭和58年、肝硬変などのため敗血症を併発し、47歳という若さでこの世を去りました。

若者を魅了する寺山修司

舞踏を見る人たち

ことしの寺山の命日、5月4日。三沢市郊外の小高い丘を登ったところにある文学碑の前で式典が開かれました。

そこで披露されたのは、地元の中学生らによる寺山の詩の朗読や寺山に影響を受けた前衛的な演劇。5月の青空の下に設けられた屋外の会場には寺山が生み出した独特の雰囲気が漂っていました。

式典には県内外から多くの人が訪れましたが、中でも目立ったのが若い世代の姿です。「生前の寺山を知らないであろう若者たちがなぜ??」。
気になって聞いてみました。

神奈川県から来た女性
「寺山修司さんの言葉が好きです。大人になって改めて心に響く言葉だと感じます」

東京から来た女性
「彼の作品に触れると非日常の世界観に没入できるのがいい」

参列する佐藤さん

寺山の死から40年経っても今なお、ひきつけられる若者たち。
神奈川県に住む佐藤里奈さん(30)もその1人です。

朗読会の様子

この日、佐藤さんの姿は文学碑がある丘のふもと、「寺山修司記念館」にありました。ここで定期的に開かれているのが寺山作品の朗読会。ことし3月まで仕事の関係で三沢市に住んでいた佐藤さんはほぼ毎回、この朗読会に参加していました。

佐藤さんがひかれたのは、寺山の強烈な個性に加えて、彼が訴えてきた主張です。「人はこうあるべきだ」などと何かと社会や集団への同調が求められる世の中で、寺山が唱えた「個の尊重」はひときわ重みを持つといいます。

中でも「女らしさ男らしさ」という概念からの脱却を説いた寺山の考えは今こそ再評価されるべきだと考えています。

「女らしさ男らしさ」という概念からの脱却を説いた寺山

佐藤里奈さん
「ジェンダー観などが、どちらかというと今の令和に近いと思います。なので全然色あせていないんです。むしろ今だからこそみんなに知っていただきたい」

寺山修司と手紙

こうしたイベントを通して若い人たちを「寺山の世界」にいざなってきたのが記念館の学芸員、広瀬有紀さん(33)です。

記念館の学芸員、広瀬有紀さん

広瀬さん自身も生前の寺山を知らない世代。
寺山と同じ早稲田大学在学中に寺山のラジオ作品に出会ったのをきっかけに、その魅力に引き込まれました。

そして8年前、知り合いのつてをたどるなどして念願の「寺山修司記念館学芸員」となりました。
東京から移り住んでまで寺山の世界に触れ続けたかったのはなぜか。

広瀬有紀さん
「大学の講義で寺山の秀でた才能に驚きを覚えたのがきっかけです。人生に迷ったときに寺山のことばに出会うと、私に進む道を教えてくれるような魅力を感じることができます。青森は縁もゆかりもありませんでしたし1人暮らしの経験もなかったですが、学芸員の話をもらったときはうれしかったです」

企画展のパンフレット

その広瀬さん、没後40年にあわせて企画展を開くことにしました。
寺山の鬼才ぶりだけでなく人間味あふれる一面も知ってほしいと生前、知人などに送った「手紙」がテーマです。

「手紙魔」とも称される寺山ですが、広瀬さんが特にみてほしいというのが、生涯のパートナー、女優の九條映子に贈ったラブレターです。

寺山が女優の九條映子に贈ったラブレター

「きみは多分、もう眠っている。この手紙を渡すときのことをひとりで考えながらぼくはにやにやしている」

寺山が女優の九條映子に贈ったラブレター

「ぼくは女優・九条映子のファンだったけど、ぼくの恋人は素直で、さっぱりした気性の田中映子の方なのです」

自分の内面をさらけ出す手紙。温度が感じられるような柔らかい言葉。
一般に知られる寺山のイメージからは想像できない一面も、やはり若い世代の心にも強く響いたようです。

神奈川県から来た女性
「舞台作品のイメージとこのような人柄が見える手紙とでは全然印象が違う。人間味を感じる文体はどこから来ているんだろうと思いながらみていました」

神奈川県から来た女性
「ダイレクトに人の感情に訴える文章が、寺山とはどういう人なのかを表している。一貫してことばで伝えることを大事にしていることがわかります」

若者を引きつけ続ける寺山の魅力を広瀬さんはこう分析します。

広瀬有紀さん
「寺山修司は絶対に古びることがないと思っています。自分の『芯』を持って生きていくべきだというのが寺山修司がずっと訴えてきたことなのです。その自由さや力強さが若い人にぐっとくるのではないかなと思います」。

寺山修司

寺山修司が亡くなって40年。個や人を大切にするその思いは、生前の寺山を知らない世代にも共感を与え続けています。

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