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東京・三鷹市 太宰治ゆかりのこ線橋 渡り納めの1週間は 94年の歴史に幕

  • 2023年12月15日

東京・三鷹市。太宰治が好んで訪れたというJR三鷹駅の西にあるこ線橋が老朽化のため撤去されることになり立ち入りができなくなりました。最後の渡り納めの催しが行われたあとも撤去される前の様子を写真に収める人たちが見られました。晩年をこの地で過ごした太宰治とこ線橋のつながりや閉鎖されるまでの1週間の姿です。【更新:12月19日】

94年前に建設 当時の姿のまま

JR三鷹駅から300メートルほど西側にあるこ線橋は94年前の昭和4年、1929年に当時の鉄道省が建設しました。

三鷹市
60代

毎日散歩にきていたので、なくなってしまうのは寂しいです。景色がよく電車も見られるので、いつも1、2時間は滞在しています。太宰治のゆかりもあり、この橋は三鷹市のシンボルです。

所沢市
70代

太宰治のゆかりの地と聞き、橋がなくなってしまう前に行きたいと思っていました。かなり古くなっているのも見てわかったので、取り壊しはやむをえないと思います。

小金井市
60代

小学生のときよくこの橋を渡っていました。近くの人にとっては当たり前に使っていたものですがきょうは、橋がなくなると聞いて撤去される前に見ておこうと、写真を撮りにきました。

ほぼ当時の姿のままで残され、南北をつなぐ生活道路として多くの地元の人たちが利用してきたほか、行き交う電車や車両基地の様子を上から展望できるため、乗り物好きの子どもを連れた人や鉄道ファンなどにも人気のスポットとなっています。

太宰治 こ線橋からの景色を小説に

三鷹市で晩年を過ごした作家の太宰治は、こ線橋をたびたび訪れ、橋の上から臨んだ景色が小説に登場するなど、ゆかりの場所としても知られています。

昭和20年代に撮影された写真には橋の上でたたずむ姿や、さっそうと階段をおりる姿が収められています。市内には20年ほど前まで太宰が通った飲食店や酒店が複数ありましたが、いずれも今は残っておらず、当時のまま残された最後のゆかりの場所でした。

太宰治ゆかりの場所を巡るツアーの最終目的地

三鷹市に住む小谷野芳文さん(84)は、平成11年6月、10人ほどの仲間とともに、市内の太宰治ゆかりの場所を巡るガイドツアーを実施するグループ「みたか観光ガイド協会」を立ち上げ、現在代表を務めています。

24年間にわたって続く無料のガイドツアーでは、およそ2時間かけて市内にある太宰治の仕事場の跡や行きつけだった飲食店の跡地などを紹介し、こ線橋はツアーの最後の目的地となっていたということです。

小谷野芳文さん(84)
「お客さんは橋の上から見える景色が楽しくてなかなか帰ろうとしないので、『もう帰りますよ、帰りますよ』と声をかけて、駅まで送っていました。真下に電車が見えるので、近所の子どもたちも好きな場所でしたし、大人も童心に帰れるような場所でもありました」

太宰治 ゆかりの場所が少しずつ…

小谷野さんは、市内に残っていた太宰治のゆかりの場所が少しずつ無くなっていくことに寂しさは感じているものの、時代の変化としてやむをえず、今後もガイドツアーでは当時あったときの様子を参加者に分かりやすく伝えていきたいと思っています。

小谷野さん
「(こ線橋について)気が向くと来ていた場所で、解体される姿はあまり見たくないです。昭和4年から94年間、しっかり役目を果たしてくれたので、ありがとうございました、ご苦労様でしたというひと言につきます」

12月10日 橋を埋め尽くすほどの人が

老朽化が進み、JR東日本が撤去作業を始めることから、12月10日が一般の人が通ることができる最終日となり、別れを惜しむ大勢の市民や鉄道ファンが訪れ入場規制も行われました。
夕方には橋の上を埋め尽くすほどになり、夕日が沈む風景を写真に納めたり電車に手を振ったりするなどして最後の瞬間を過ごしていました。

三鷹市
50代の父親

生まれてからずっとお世話になっている橋で、友だちの家に行くために渡ったことなど思い出は数え切れない。なくなるのはさみしい気持ちです。

10歳の娘

保育園のときに散歩で渡りました。最後にきれいな写真が撮れてよかったです。

惜しむ声を受けて渡り納めのイベントも

地元の人たちや、鉄道ファンなどからの閉鎖を惜しむ声を受けて三鷹市は特別に12月15日から3日間、こ線橋の渡り納めのイベントを実施しました。

市によりますと、3日間で900人ほどの定員を予定していましたが、4千人以上の申し込みがあったため、枠を増やした上で参加者は抽選で決めたということです。

立ち入りができなくなっても…

最後の渡り納めとなる催しが終わり、18日からは橋の両端の入り口にフェンスなどが設置され、立ち入りができなくなりましたが、それでも撤去される前の様子を写真に収める人たちの姿が見られました。

市は太宰が写真を撮った階段の一部を保存するほか、VR=バーチャルリアリティーの映像で橋がある風景を見られるようにすることなども検討しているということです。

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