1. NHK
  2. 首都圏ナビ
  3. もっとニュース
  4. 大相撲 元関脇寺尾 錣山親方死去 江東区の部屋では阿炎らが師匠悼む 部屋は立田川親方が継承へ

大相撲 元関脇寺尾 錣山親方死去 江東区の部屋では阿炎らが師匠悼む 部屋は立田川親方が継承へ

  • 2023年12月18日

激しい突っ張りで人気を集めた、大相撲の元関脇・寺尾の錣山(しころやま)親方が12月17日、病気のため60歳で亡くなりました。東京・江東区の錣山部屋では、弟子の小結阿炎(あび)が尊敬する師匠の死を悼みました。そして、錣山部屋は、部屋付きで元小結豊真将(ほうましょう)の立田川(たつたがわ)親方が錣山を襲名し、継承することを明らかにしました。

60歳の若さで

1995年春場所 横綱貴乃花をやぶる

元関脇・寺尾の錣山親方は心臓に持病を抱えて入院していましたが、12月17日の未明に病状が急変し、日本相撲協会によりますと、17日夜、うっ血性心不全で亡くなりました。60歳でした。

「井筒3兄弟」三男 父親は元関脇鶴ヶ嶺

1984年撮影 左・長男 福薗(後の鶴嶺山)右・次男 逆鉾 真ん中・寺尾 上・父 井筒親方

鹿児島県出身の錣山親方は元十両の鶴嶺山、元関脇・逆鉾、先々代の井筒親方とともに「井筒3兄弟」と呼ばれた3人兄弟の三男で、昭和54年の名古屋場所で初土俵を踏みました。

力士としては細身の体から繰り出す激しい突っ張りを持ち味にファンの人気を集め、平成元年の春場所には関脇に昇進して兄の逆鉾ととともに大相撲史上初の兄弟同時三役となりました。

通算の出場記録は歴代4位の1795回、幕内の連続出場記録の1063回も歴代4位で、幕内在位の記録は歴代6位の93場所と、23年あまりの土俵人生で数々の記録を残しました。

引退後は年寄の「錣山」を襲名し、師匠として元小結・豊真将(ほうましょう)の立田川(たつたがわ)親方や去年の九州場所で初優勝した阿炎などを育てました。

角界関係者からは

一夜明けた18日、午前中から東京・江東区の錣山部屋に元横綱・大乃国の芝田山親方や元関脇・琴ノ若の佐渡ヶ嶽親方など同じ一門の親方衆などが弔問に訪れました。
そして、錣山親方の弟子で小結の阿炎や、部屋付きの親方の元小結・豊真将の立田川親方が、弔問を終えた親方衆を玄関先で見送っていました。

同じ昭和38年生まれ「花のサンパチ組」として活躍した、元横綱北勝海で日本相撲協会の八角理事長はコメントを出しました。

八角理事長
「突然の訃報に接し、ただただ驚いております。『花のサンパチ組』として出世を競い合ってきました。回転のよい突っ張りからの真っ向勝負で、何度か苦杯をなめたこともありました。現役を長く務められ、師匠としても、関脇・阿炎、小結・豊真将など多くの力士を育て、相撲道の継承と発展に尽力されました。まだ60歳と若く、阿炎をはじめとする部屋の力士の成長を見届けたかったかと存じます。生前の功績を偲び、謹んで御冥福をお祈り申し上げます」

「最初の関取」立田川親方は

錣山親方が育てた最初の関取にあたる元小結・豊真将の立田川親方は、時折声を詰まらせながら、こう話しました。

立田川親方
「最高の師匠だった。師匠の顔を見ながら、昔のことが思い出された。新弟子検査のころ、同期生が80人くらいいて不安だったが、師匠から『おまえはこの中でいちばん弱いかもしれない。でも、おれと2人でしっかり頑張って、みんな抜いて一番上に立とう』と話してもらったことが印象に残っている。師匠には気迫や相撲への情熱を教えてもらった。教えてもらったことを弟子たちに伝えていきたい。今後、私が部屋を継いでいけるように動いている」

そして、錣山の年寄名跡を継ぐのかという問いかけに対しては「そういう方向で話を進めている」と答え、現在の錣山部屋を継承する方針を明らかにしました。決断の理由について、立田川親方はひと言ずつかみしめるようにこう話しました。

立田川親方
「師匠の最期の顔を見たときに、自分の胸からわき上がる思いがあった。弟子たちのことを考えると、部屋がなくなるとは思わせたくなかった。師匠の教えを引き継いで、若い弟子たちに教えていくのが僕の役目だと感じた」

阿炎「父親のような広い心で…」

阿炎は、17日、巡業先の大阪から駆けつけて、最期をみとったということです。しこ名の由来は、親方が幼少の頃に呼ばれていた愛称が由来です。尊敬する師匠の死を悼みました。

阿炎
「鉄人の師匠なら戻ってくるだろうと願ったがかなわなかった。泣くと怒られるので我慢したが、耐えきれなくて朝までぐずぐず泣いてしまった。 本当にゆっくり休んでほしい。
親みたいに接してくれて、たくさんの愛を頂いた。迷惑ばかりかけたが、それでも父親のような広い心で僕を守ってくれた。本音を言うともう少し見ていてほしかった。師匠を超えたいと言っているが、いまだに背中すら見えない。もっともっと大きくならないと。阿炎というしこ名が届くように、頑張っていきたい」

ページトップに戻る