キャスター津田より

2月22日放送「岩手県 陸前高田市」

 いつも番組をご覧いただき、ありがとうございます。
 今回は、岩手県陸前高田(りくぜんたかた)市です。人口は約1万8千で、市民の大部分が暮らしていた市街地や住宅地が、津波で最も壊滅的な被害を受けました。視界が効く範囲は全てがれきに覆われ、JRの線路も津波の威力で地面から剥ぎ取られた光景は、今でも目に焼き付いています。市内に約8000世帯あったうちの99%が、何らかの被害を受けました。

 

 はじめに、去年7月にできた『まちなか未来商店街』に行きました。

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新たに造成した中心市街地で店を開く人に、市が格安で店舗を貸し出しています。ここに、女性たちが手作り品を製作して販売する店がありました。作り手の中には90歳の女性もいて、ちょうど着物をほどいて、洋服にリメイクしているところでした。この方は、“縫ったものをあげると、すごくうれしかったとか言われて、人の役に立てる喜びを感じています”と言いました。また別の女性は、“ここに来るまで何の集まりにも出たことがなくて、家族を亡くして家にこもって、心を病んでいたというか…でも今は本当に楽しい”と言いました。この店を運営するNPOの代表を務める女性は、長く仮設住宅で支援を続けてきた人で、仮設住宅の教室で身につけた技術を生かし、少しでも収入につなげてもらおうと、今の活動を始めたそうです。

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 「こっちが支援しようと始めたんですけど、反対に、私が悩んでいる時に皆さんの声を聞いて、助けられていることがすごく多いです。充実した毎日を生きるため、この場所は交流を通じた生きがいづくりの場となっています。もっと女性たちが持っている力を発揮できて、地域を盛り上げたいと思います」

 その後、すぐ近くにある創業70年の菓子店を訪ねました。

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店を営む70代と60代の夫婦は、震災の2年後に出会って、一度取材した方です。当時は店と自宅を流され、高台の仮設店舗で営業していて、仮設住宅での暮らしも続いていました。2人はこう言いました。

 「売上は減少しているよね。うちは結構、年配用のお菓子が多いでしょ。でも、年配の人が高台まで上がって来るのは大変だから…。昔みたいに平らな所で、自転車で気軽に買い物できる場所じゃないからね。早く下のほうに町をつくってもらって、移れるものなら移りたいと思っています」

 あれから7年…。夫婦は2年前、中心市街地に念願の店を再建しました。売り上げも順調に伸びており、災害公営住宅に暮らしながら、毎日店まで通っています。ご主人はこう言いました。

 「ここで商売してみて、ある程度、考えていた通りかな。もう少し店が増えて商店街らしくなればいいんだけど、時間かかるのかなと思って…。建てた以上は頑張ってやらないとね。今まで支援していただいたので、裏切らないように頑張りたいと思います。まずは生活を安定させることだね」

 一方、高台に残って営業を続ける店もあります。

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6年前、髙田地区の仮設商店街で出会った飲食店の男性店主は、今も同じ高台で店を続けていました。開店間もない店を津波で失くし、震災の翌年に営業を再開していて、妻と3人の子を養うために懸命に働いていました。以前の取材では、こう言いました。

 「中心市街地で、どの位置に建物を建てて商売をしたいかを、そろそろ決めなきゃいけないんですが、お金がないですし、どう借りていいかも全然わからないし…。例えばですけど、この仮設店舗を残して、ここ一本でやってくというのも1つの手かなと…」

 あれから6年…。50代になった男性は、市から仮設商店街の全ての建物を無償で払い下げてもらい、その所有者になっていました。仮設営業を始める際の借金も残っており、視察やボランティアなどの来客も減る中で、中心部での店舗新築は諦めました。今はテナントとして入る店からの家賃を、借地料や固定資産税、建物の維持管理にあてていて、近々、新たにデイサービス施設が入居し、訪問リハビリ事業やNPO法人の事務所も入ります。

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レンタルルームもあり、自らは弁当の仕出し事業も始めました。

 「結果的には全部、3棟とも払い下げていただいて、“たまご村”というんですけど、商店街ではない、人のにぎわいをつくる施設に変えようとしているところです。学生たちが集まってもいいし、子育て世代のお母さんたちが物作りに来てくれてもいいし、いろんな人が集まれば情報も集まるし、結果的に皆さんをいい方向に導いてあげられるような、地域の“ハブ”(=結節点)になるような施設にしたいです」

 市内では3年前、中心部に大型商業施設がオープンし、周囲の個人商店も少しずつ増えています。菓子店のように中心部で店を新築するには、必要な補助金を確実に受けられるとか、借金しても返せるめどがあるとか、一定の勝算も必要です。にぎわい再生のため、市としては中心部で店を再建してもらいたいのが本音ですが、再建を諦めて廃業する店が増えれば、経済そのものが縮小します(市の商工会によると、市内の約600の被災事業者のうち、すでに約4割は廃業)。そこで地主の同意を条件に、仮設店舗の“無償払い下げ”も始めました。市が整備した仮設の店や商店街は130カ所以上あり、約320の事業者が入っていましたが、入居期限の2018年9月以降、半分は払い下げられたと見られます。

 

 さらに、高台にある集団移転団地にも行きました。そこは市の東部・両替(りょうがえ)地区の人が多く住んでいて、集会所では交流会が開かれていました。月2回、漬物をはじめ手作り料理を持ち寄り、会話を楽しむそうです。

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参加者の一人、70代の男性は、内陸部の一関(いちのせき)市の仮設住宅に、一人で避難していました。4年前から、息子が再建した自宅に移り、家族5人で暮らしています。

 「みんなに早くなじむためにも、こういう会に参加した方がいいということで、毎回参加しているんです。仮設に一人で3年以上生活しました。スーパーに行って、“箸いりますか”“いりません”っていう会話を1週間に1回したら、あとは誰とも会話しないような生活でしたから…。こういう場所に来て話をするのが、本当にいいストレス解消になります。みんな仲がいいから、このまま続けたいですね」

 その後、10mほどのかさ上げ工事をした、市の西部・今泉(いまいずみ)地区に行きました。

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復興工事は終わったものの、今も空き地が目立ちます。ここでいち早く自宅再建した70代の男性は、妻と2人暮らしで、震災直後、がれきの中で見つけた鯉のぼりを自宅跡地に掲げていたそうです。

 「何もなくなったがれきばかりの所に鯉のぼりをあげるのは、自分の町の復興の証になりますよ。この町は再建できるという一歩ですよ。まもなく周囲の土地も引き渡しですが、その上にどれだけ家が建つか…。このかさ上げ地に家を建てた人は、いま6軒だけですから、もっと人が来て、“元気だったか”とか、“お茶でも飲んでいけよ”というような、昔みたいな気楽さがあってもいいと思うんです」

 陸前高田市の復興事業では、被災した地区を市がかさ上げし、新しい区割りの宅地や道路を造成した上で、改めて各々の住民に土地を引き渡します。土地の所有者は、以前とできるだけ近い面積で、かさ上げ地の中か、もしくはかさ上げ用の土を取った後の、山を削った高台の土地と交換します。対象面積は高田地区が186ha、今泉地区が112haで、事業費は計1000億円を超え、“被災地最大の事業規模”と表現されました。しかし現在、造成したのに利用の見込みがない土地が、市全体で6割以上といわれています。人口は減少し、被災した場所に戻りたくない人もいます。工事の完了を待てず、災害公営住宅に入る人も出ました(何しろ宅地の引き渡しには、高台が早くても震災から4年、かさ上げ地は6年かかっています)。震災前、家屋や土地を人に貸し、自分はそこに住んでいないという人もかなりいました。こうした背景から、空き地が出る可能性は市も薄々把握できますが、国が定めるルール上、以前と同じ数だけ区画を整備し続けなければいけません。この問題は、他の被災地でも結構起きています。

 最後に、中心部の高台にある家を訪ねました。60代の男性が母親と2人で暮らしています。男性は元ホテルマンで、震災を機に語り部として活動を始めました。7年前に語り部ガイドの法人を立ち上げ、自宅の一角に被災時の写真や映像用のプロジェクターを設置し、多くの人を受け入れています。

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これまで約5万人が話を聞いたそうで、震災当時のことに加え、震災前の町の様子も熱心に語っています。

 「来る方、来る方が“何もない町だ”って、最初思うんですよ。そんな町じゃなかったんだよと言いたい…悔しいじゃないですか。震災前の陸前高田を知ってもらいたいんです。話を聞いた学生の中には、防災士の資格を取ったとか、会社の防災担当者になったという人がいっぱいいます。そのような行動を起こさせた責任もあるので、語り部は続けなくちゃいけないんですよね。あの時、避難所で“僕のお父ちゃんがいないよ”“お母ちゃんがいないよ”って泣いていた子たちがいっぱいいた…もう、そんな思いはしたくないもんね。だからせめて家族と、災害時に避難する場所などは決めていてほしいんです。実はそのことが、今回の震災で亡くなった方々の一番の供養になるんじゃないかなと…」

 自分たちの経験が生かされず、全国どこかの人にまた同じ不幸が起きてしまっては、亡くなった自分の親せきや知り合いが、あまりにも浮かばれない…。男性には、確固たる思いがありました。

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