キャスター津田より

4月11日放送「福島県 富岡町」

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 今回は、福島県富岡町(とみおかまち)です。原発事故で全住民が避難を余儀なくされましたが、ちょうど3年前の2017年4月に帰還困難区域を除いて避難指示が解除され、ほぼ同時に大型スーパーやホームセンター、ドラッグストアが入る複合商業施設がオープンしました。災害公営住宅も新たに整備され、2年前には町内で小中学校や図書館が再開し、近隣の町もカバーする救急病院も開院しました。去年は認定こども園が開園し、整備中の産業団地では、岐阜県の自動車部品会社の誘致にも成功しました。さらに先月14日、JR常磐線が全線で再開し、駅前には新しいビジネスホテルもあります。

 この時期の富岡町と言えば、夜の森(よのもり)地区の桜並木です。

4月11日放送「福島県富岡町」

全国屈指の桜の名所で、立ち入りが規制される帰還困難区域ですが、2年前から除染が行われてきました。先月、JR夜ノ森駅周辺と駅に至る道路の一部で帰還困難区域の指定が先行解除され、2.2㎞ある桜並木のうち、800mは鑑賞可能です。今年も圧巻の景色ですが、新型コロナウイルスの影響で恒例のさくらまつりも中止されました。

 

 はじめに夜の森地区で、2年前に町へ戻った70代の男性を訪ねました。震災前は、スーパーや飲食店などが入る、敷地面積2500坪の複合施設を経営していて、趣味の水上スポーツも楽しんでいたそうです。現在、複合施設は帰還困難区域の中ですが、3年後に解除の予定です。

4月11日放送「福島県富岡町」

 「夜の森はほっとしますね、やっぱりこの空気が…。原発事故のあと、1、2年は歩けなくなったんですよ。喪失感とショックで…会社も吹っ飛んだしね。事故から2年目になって、4、50年サーファーをやっていたので、海に入ったんですよね。その時、やっぱり海が支えてくれるんだと思ったね。そこからクラブを作ろう、大会を誘致しようとなって…。物欲よりも人間欲ですよね。必要なのは仲間とのやりがいです。今は、戻って来たこの地でどんな生きがいを見い出そうかと、準備の期間ですね。100年後には、また立派な町になりますよ。必ずよみがえりますよ。そう信じています」

 次に、夜の森地区で今月中旬に再開する歯科医院を訪ねました。避難指示の解除後、町民は10㎞離れた歯科医院に通うしかなく、待望の診療再開です。歯科医師は50代の男性で、避難後に郡山(こおりやま)市で開業しましたが、震災前の場所での再開を決意し、建物もリフォームしました。

 「やはり生まれ育った故郷なんで、多少でも力になれればと思いました。そりゃあ、不安のほうが大きいです。人口が少なくなって、今までの患者さんがだいぶいなくなったんで…。ただ、新しい患者さんがいるのかなという期待もあります。少しずつでも夜の森が復興して、家が建ったり、店が戻って来たりすればいいという期待もあります」

 居合わせた同級生(商工会の会長)は、この男性に医院再開を進めたそうで、こう言っていました。

 「今、歯医者さんはゼロ、薬局もゼロ。震災前、歯科は6軒あったんだけど、年齢的なこととか、状況的なことで戻って来られなくて…。彼は同級生なんで、ずっと“戻って来て”とお願いしていたんですけど、決断してくれてありがたいです」

 さらに、王塚(おうつか)神社に行き、氏子総代の70代の男性から話を聞きました。今年、家を新築して避難先から帰還し、建設業を営んでいます。この神社は、子どもの守り神として近隣市町村にも広く知られていて、健やかな成長を願い、女の子は薙刀(なぎなた)、男の子は太刀(たち)を奉納する習わしがあります。社殿が震災で傾いたため、去年から新たに建て直しています。

4月11日放送「福島県富岡町」

 「私たちはここで育っているから、何年もこの神社を愛してきたし、今も朝晩掃除に来ると、やっぱり神社は心のよりどころ、安心しますね。皆さん富岡へ帰って来いよ、という気持ちです。皆もふるさとはいいと思うので…。震災で大きく無くなったのは、友だちとの友情だね。今までワイワイ騒いだ友だちが、もうどこにいるかわからない…みんな方々に散らばっているから。それがやっぱり寂しいね。今年も我々の同級生30人ほどが集まって、富岡で同窓会の予定だったんです。新型コロナの影響で中止になったけどね。原発の災害も大きかったけど、今度のコロナもだいぶ響いているみたいだね」

 震災前、人口が1万6千近くあった富岡町。現在住んでいるのは1200人あまりです。この男性だけでなく、前の男性も“物欲より人間欲”と言っていたように、生活環境は復旧しても喪失感は消えません。復興庁の最新の住民意向調査では、「町に戻らない」という回答がほぼ半数でした。理由の大半は、避難先に生活基盤ができたこと、生活の利便性や医療環境への不安です。帰還が進まず、町議会議員の定数も4人減りました。町は移住者を呼込もうと、0歳から保育を無償化し、移住した子育て世帯への奨励金も設けましたが、移住者の誘致は全国との競争であり、容易ではありません。

 

 その後、農業や漁業の方から話を聞きました。去年7月、県内で最後となる復旧工事を終えた富岡漁港では、50代の漁師の男性が話をしてくれました。福島県では今も、出漁日が制限される試験操業が続いていて、本格操業の見通しは立っていません。男性の自宅は帰還困難区域にあり、船を津波で流されました。3年前、避難先から戻って町内の災害公営住宅で暮らしています。震災後の6年間は建設の仕事に就きましたが、漁師に復帰し、港が再開した日は新しい船に大漁旗を掲げて入港したそうです。

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 「何も分からず建設の仕事をやっていて、家に帰ると、やっぱり戻って自分がやってきた漁師をやりたいという気持もあったし…。久しぶりの漁で自分が取った魚は、1匹を、骨をしゃぶるくらい食べた記憶があります。今は漁が何日と何日って決められて、自由に船を出してだめだし、望みが叶うなら、季節によってシラウオの刺し網、ヒラメ取り、タコかごをやったりして、震災前のような漁がしたいと思います。悔いのないようにやっていきたいし、今は頑張るしかないんだなって思いです」

 今年2月、福島沖で出荷制限を受ける魚介類がとうとうゼロになり、弾みがつきました。しかし目下の問題は、福島第1原発で出る放射性物質のトリチウムを含む水です。2年後の夏ごろには、貯めておくのも限界だと言われています。政府の小委員会は、現実的には海に流すか、大気中に放出するかの2択だという結論を出し、報告書には海の方が確実に実施できると明記しています。国際原子力機関もこれを支持していますが、そうした科学や論理で戦ってもまず勝つことのできない相手、すなわち“風評被害”については、誰も守ってくれません。漁師さんの思いを無視して議論を進めることは許されません。

 次に、去年設立された農業法人を訪ね、70代の農家の男性から話を聞きました。避難指示解除後に作付けできた農地は、約3%に過ぎません。男性は3年前、避難先から戻って自宅で暮らしています。売り上げを増やそうと、コメよりも10アールあたりの収入が高い、タマネギを作り始めました。

4月11日放送「福島県富岡町」

 「農家をやろうと5人の仲間に声をかけたら、会社を作って、もうける農業をしようと…。もうかれば、若い人たちが農業に集まるだろう、そういう気持ちでこの会社を立ち上げました。この地区で23軒も農家があって、帰ってきたのはたった1軒。それでは復興じゃないんだから。土地や道具がいくらあっても、人がいないとただの箱と同じだから…。仲間が大事なんですよ。一人では絶対できないから、仲間を大事にして、みんなで楽しく笑いながら農業をやるのが私の理論です。仲間をつくって幅を広げて、若い方々に“農業やるぞ”という気持ちを我々が与えましょう、ということです」

 さらに、小浜(こばま)地区の丘にあるブドウ畑も訪ねました。

4月11日放送「福島県富岡町」

管理するのは『とみおかワイン葡萄栽培クラブ」という団体で、町民のほか、町を支援する人たちが参加しています。休耕地にブドウの苗を植える活動を行っていて、苗木はすでに2000本を超えました。代表は40代の男性で、郡山市に避難し、自宅を新築して町に帰還したそうです。建設業を営むかたわら団体の活動に取り組み、去年の秋に初めての収穫を行いました。醸造を山梨県のワイナリーに委託し、今月60本のワインができました。今後は富岡駅近くの休耕地にも苗を植え、景観づくりや観光に役立てるつもりです。

 「富岡町はニュージーランドのオークランドと姉妹都市で、私、行ってきたんですよね。そしたら海の見える所にワイナリーあるんですね。海とワイナリー、この景色のコラボレーションがすごく魅力的で、ぜひ実現させたいと思いました。今の富岡って、やってみないと分からないことは、チャレンジしたほうがいい地域だと思います。それを乗り越えれば、この地域の、また違った魅力が生み出せるかと…。今の活動は、次の世代がこの地域に安心して暮らせる基盤づくりで、ワインが地域の産業に育ってほしいし、そうすれば次の世代へのプレゼントになると思います」

 去年、町が農地の所有者にアンケートした結果、約8割は農業を再開しないと答えましたが、そのうち農地を貸したい、売りたいという回答は6割以上でした。意欲ある農家の確保が最大のポイントです。

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