キャスター津田より

7月21日放送「福島県 楢葉町」

いつも番組をご覧いただき、ありがとうございます。

今回は、福島県楢葉町(ならはまち)です。

7月21日放送「福島県 楢葉町」

7月21日放送「福島県 楢葉町」

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人口は約7000で、ほぼ全域が福島第1原発から20km圏内にあり、国から避難指示が出ました。全住民が避難しましたが、2014年には国による除染が終了し、3年近く前の2015年9月に避難指示が解除されています。今年3月末で仮設住宅の提供も終わりました。

 

ちょうど取材期間中の先月末、町の中心部に、"ここなら笑店街"という商業施設がオープンしました。

7月21日放送「福島県 楢葉町」

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地元資本のスーパーとホームセンターを核に、飲食店、理髪店など10店舗が営業しています。オープニングセレモニーでは、華々しくテープカットが行われました。スーパーには福島産の野菜など生鮮品が豊富に並び、町に戻った人を中心に大にぎわいでした。

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従業員の50代の女性は、避難先のいわき市に家族と暮らし、車で1時間かけて通っているそうです。ゆくゆくは町に戻りたいと言いました。

「"笑顔で"を心がけたいです。避難した人がこっちに来ると、お買い物をして、"元気がでるよ"って笑っています。いろんな方に久しぶりに会って、"久しぶりだね"って、皆さん笑っています」

この商業施設にあるクリーニング店に入ってみると、40代の男性店主は、番組で以前取材した方でした。

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原発事故前は楢葉町で店を営み、私たちとは去年8月、避難先のいわき市で出会いました。幼い子どものことを考え、すでにいわき市に自宅を購入して暮しており、一時は石材業の仕事に就いたものの、店の再開は諦めきれないと言っていました。当時の言葉が印象的です。

「何かやっていても、アイロンをかけているのをイメージしていたりとか、洗っているところをイメージしたり、配達しているところをイメージしたり…。常に、たぶん1日何回かはありますね」

そして今、原発事故から7年たって、ようやく店を再開しました。機械などは、町の支援でそろえたそうです。男性は、"楽しいですよ、アイロンをかけるの。前は常に頭の中でしたけど、今は実際に手に持っていますんで…"と言って笑いました。原発事故以来という常連客も訪れ、男性は忙しそうでした。

「昔のお得意さんだったり、新たに隣町からも来てくださる方がいらっしゃって、助かりますね。いよいよ、ここからが本当にスタートだなという感じです。人口の少ない町内で商売を始めて、果たしてうまくいくか、一番不安でしたけれども、やっぱりやってみないと何も始まらないから…。この7年間はアルバイトみたいな生活でしたので、子ども達に、もともと自分がやっていたクリーニング業という商売の姿を見せられるのは、すごく誇りに思います」

この商業施設では、各地区との間を結ぶ無料バスが、週に2日運行されます。

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運転手の60代の男性は、避難指示の解除後、すぐに町に戻りました。自宅に戻った高齢者のため、少しでも復興の手伝いができればという思いで運転手を始めたそうです。実は男性の本業は農業で、町に戻ってすぐ耕作を再開しました。去年から酒米(さかまい)の栽培を新たにはじめ、作った米で『楢葉の風』という銘柄の特別純米酒が、約5000本できました。

7月21日放送「福島県 楢葉町」

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さらに去年から、気候が適しているとして町が奨励する"サツマイモ"の栽培にも力を入れ、大阪の企業が専門の指導員を常駐させ、作ったイモを全量買い取って加工します。

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「地元の酒ができたということは、町の復興のシンボルになりますので、復興への橋渡しみたいなことができればいいかなと思って、頑張っています。とにかく町の農業を誰かが先になって始めなければ、後からやる人が二の足を踏んでは困るので、少しでも足場固めになればいいかなと思ってやっています」

 

さらに、使われなくなった小学校の体育館では、去年から"よさこい"の練習が行われるようになったと聞き、訪ねました。

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17年前に結成された『楢葉天神龍舞(てんじんりゅうまい)』というチームで、代表の50代の男性は、避難先のいわき市に夫婦で暮らしています。町出身のメンバーは約20人で、まだ半数は、町に戻ってきていないと言いました。

「みんないったん避難して、一時期は諦めた時もあったんですけど、すぐ、最初は4名くらいでしたけど集まって…。いろんな思いはしていますけど、やっぱり集まると皆明るくて、全然つらい話とかなかったですね。復興で苦労をした方も、よさこいをやれば明るくなれるので、メンバーを増やして100人くらいで踊りたいですね。いろんな事情があるので帰れない人もいますが、みんな共通して、"いつか帰ろう、帰りたいな"と絶対思っているはずなんですよ。楢葉は最高に、一番良い場所なのでね…。だから慌てないで、絶対その時が来ますので、その時を待って"皆で帰りましょう"という思いです」

 

また、役場から北に3kmほどの道路を車で走っていると、道の脇に、赤や黄、紫など色とりどりの花が咲くきれいな花壇がありました。

7月21日放送「福島県 楢葉町」

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この地区の行政区長を務める60代の男性に会いに行くと、去年から自宅に戻って生活し、花壇づくりをしているそうです。地区に戻った人は住民の半分以上で、そのうち10人ほどが花壇づくりをしています。今年の春は合わせて1000坪の広さに、800本の花を植えました。

「皆が力を合わせてやっているから、きれいになっているので、本当に地域の人たちのつながりですね。心の復興事業としてやっているんだけれども、花壇を見て、"ああ、いいね"と、"うちの行政区も復興が進んできているな"と、そんな思いを感じてもらえれば…。楢葉町が今後どうなるんだろうという思いはあったけども、引っ越して人が戻ってきて、いま進んでいる復興に自分たちが関われるのはいいことだし、力を合わせてどんどんやっていけたら、復興につながるんじゃないかと思います」

さらに、その花壇から2kmほど離れた寺に、町民が集う場ができたと聞いて訪ねました。

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寺を引き継いで2年という40代の住職の男性は、避難先の北茨城市(きたいばらきし)から戻って暮しています。裏手に案内されると、そこには去年作った私設図書館がありました。

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先代の蔵書を中心に、約1万冊が並んでいます。子どもの絵本は、専門の書店から寄付されました。

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町民が気軽に会話ができるよう、机やソファも新調し、子どもが遊ぶスペースもあります。この日も、近くの人が本を借りに来ていました。

「震災以降、なかなか人が集まらないということで、昔から地域の拠り所になったお寺で、何かできないかなあと考えた時に、地域のコミュニティーの場として、こんなこともどうかな?と思って始めてみました。原発事故で失ったものは多いんですけど、それ以上に得たものが大きい…得たものは"仲間"であったり、"絆"であったり、"応援"であったり、いろんな人に支えられて今があるということを再確認させていただきました。人がいっぱい来なきゃだめとか、誰も来ないとか、そういうことに一喜一憂せず、できることをやって、ふらりと寄ってもらえる場所を提供できればいいのかなと思っています」

 

楢葉町では、今回取材した商業施設のすぐ近くに、100戸以上の災害公営住宅や分譲宅地、一昨年から診療を始めた県立の診療所があり、別の所では民間の診療所も始まっています。また一昨年から、出荷を目的としたコメ作り、原乳の出荷、肉牛の繁殖などが再開し、農家を支援する町独自の基金もできました。デイサービスセンターも特別養護老人ホームも再開し、去年4月には小中学校が町内で授業を始めています。常磐線は去年10月に、町からさらに北の富岡町(とみおかまち)まで復旧し、自宅の修繕を待つ人もいるため、町内居住者はまた少し増えそうです。

楢葉町と同様、ほぼ全域に国から避難指示が出されて全住民が避難し、現在は避難指示が解除されているという自治体は他にもあります。しかし人口に占める町内居住者の割合は、楢葉町が5割近くと、他より数十ポイントも高く、群を抜いています。しかも3月末を境に、3割強から急に増えました。他よりも居住可能になったのが9か月から1年半も早く、他と違って、楢葉町には帰還困難区域(まだ戻れない区域)がありません。その上、楢葉町では今年3月に仮設住宅の提供をやめました。つまり、自己資金で町の外に家を確保しない人は、3月末を機に町に戻るしかありません。こうしたことが町内居住率につながっています。だからといって、他の町でも仮設の提供をやめれば帰還が進むはず…と考えるのは、単なる"追い出し"です。楢葉町が真に他の自治体のモデルになるには、町内居住率もさることながら、"町に戻れない人も、後ろめたさを感じることなく地元に関われるかどうか?"にかかっています。

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