キャスター津田より

6月25日放送 「岩手県 釜石市」

いつも番組をご覧いただき、ありがとうございます。

今回は、岩手県釜石市(かまいしし)です。人口は約3万5千、製鉄の街やラグビーの街として知られ、2019年にはラグビーのワールドカップが開かれます。市内ではかさ上げ工事が進み、災害公営住宅も計画の8割以上が完成しました。一方、宅地の造成を待つ住民も多く、仮設住宅(みなし仮設を除く)の入居率は約44%で、県の平均(=約38%)より高くなっています。

6月25日放送 「岩手県 釜石市」

初めに、今年1月にオープンした中心部の飲食店街に行きました。市の支援を受けて民間企業が建てたもので、被災した店を含め、13店舗がテナントとして軒を連ねます。ある居酒屋の70代の女性店主は、根浜(ねばま)海岸で12年間営業していた食堂を流されました。自宅も流され、現在は災害公営住宅で暮らしています。飲食業が大好きで、仮設商店街で営業した後、現在の店を構えました。震災から3年までは、観光客やボランティアなど全く知らないお客さんも多く、とてもありがたかったと言います。

「果たしてお客さんが来るのかなって最初は不安だったけど、慣れていくうちに、やっぱりたくさん来るのが楽しみでさ。お客さんには楽しい人もいれば、悲しんでいる人もいたけど、それを話すことによって相手も納得して、感謝して帰ってくれたから…。私も話すのが好きだから、毎日お客さんが来てくれるのを楽しみにして…やっぱり生きがいだよ。この店やめたらどうなるんだろうねって思うよ」

 

一方、今も仮設商店街で営業を続ける店もあります。

6月25日放送 「岩手県 釜石市」

青葉(あおば)公園仮設商店街では、創業50年の生鮮食料品店を訪ねました。70代の男性店主は、被災して内陸の北上市(きたかみし)に新居を構えましたが、震災前から通う多くのなじみ客に応えようと、片道1時間半かけて毎日釜石に通い、商売を守ってきました。いつものお客さんにセリを2束サービスすると、女性のお客さんは思わず抱きつき、店主は苦笑いです。この仮設商店街は来年3月での終了が決まり、店は退去しなければなりません。

「先は分からないのよ…。手頃な、いい場所があったら借りるけどね。家賃が高い場所はあるのよ。でも、高い場所では採算があわないのよ。店があってみんな助かるっていうし、お客さんがいるから、続けていたいのが本望だけど…。お客さんとやりとりするのも楽しみだから、それが一番ですよ。やれる程度にやる、ってことだよ。いきがったってしょうがないからね、年も年だし」

震災後に残った物件は限られ、家賃の相場は上がりました。仮設ではスペースが狭く、売り上げにも影響が出ます。さらに、自分が所有する店や設備なら、復旧費用の3/4を補助する制度がありますが、男性の店は以前も賃貸物件だったため、制度の対象外です。"この先は復興需要が終わる"とか、"多くの住民が高台に移った"などの理由で、無理をせず、仮設商店街の終了をもって廃業するテナント事業者も少なくありません。中心部に店が戻ってこなければ、市の復興プランにも大きな影響が出ます。市も、テナント事業者の再建費用を助成する独自の制度などを設け、支援の姿勢を打ち出しています。

 

次に、防潮堤の整備などが続く両石(りょういし)地区に行きました。

6月25日放送 「岩手県 釜石市」

3年前、漁港の目の前にオープンしたという釣り具店を営むのは、30代の男性です。自宅も流され、今はみなし仮設で暮らしています。震災後は家族を養うため、建設の仕事に就いて関東で働き、その後、この店を開きました。

「ずっと海の近くで育って、海を見ながら生きてきたので、釣りはすごく身近だったんですけど、震災をきっかけに我慢している人もいっぱいいると思うので…。釣りを通して、県外とか内陸から遊びに来てくれれば、地元にも良いことがあると思うし、盛り上がっていけばいいと思っているんですけど…」

現在は、宮城や秋田など、他県からも釣り客が訪れるようになったそうです。男性は年に数回、釣り大会を主催していて、参加者は中学生からお年寄りまで様々です。大会では必ず、港の清掃も行います。"復興工事できれいに直したのに、釣り人がまた汚したら意味がない"…男性は静かに語りました。

 

その後、中心部から車で10分の仮設住宅にうかがいました。全59世帯のうち、すでに半数が退去したそうです。自宅を流されたという自治会長の60代の男性は、災害公営住宅に入居する予定ですが、完成は1年半後です。釜石市の仮設の設置期限(来年3月まで)を過ぎるため、特別に入居を延長します。男性はこれまで、ボランティアとの交流や新年会など、コミュニティ作りに熱心に取り組んできました。

「家内を津波で亡くしたし、最初ここに来た1年、2年の時は沈んでしまって、すぐ泣いていたりしていたけど、不幸の中でもこれから先を生きていかなきゃいけないんだから、何かいいこと見つけましょうということで、活動してきたんです。少なくとも歌を歌っている時とか、自分の趣味をしている時は、悲しみは横に置いてあるわけ。静かになって寝る時とかは、たまに思い出すこともあります。あるけども、少しでも前進して歩きながら、できるだけ忘れよう、忘れようという方向に向けている…そうしないと進まないから。先のことを考えて、一歩でもいいけど進んでいきたいという思いです」

この男性の姿には、"生きる"という言葉の重みが、刻まれています。

 

さて今回も、以前取材した方を再び訪ねました。震災から1か月後、旧釜石商業高校には約100人が避難していました。そこで出会った当時60代の女性は、こう言いました。

「津波で流されて見つけていただいて、担架で移動していただいたり、お医者さんもいないので、体温調整とかは消防団の方がしてくださって、おかげで命を得ることができました。感謝…感謝です」

あれから6年…。女性は夫とともに、平田(へいた)地区の仮設住宅で暮らしていました。来年3月までには、息子の住む一戸町(いちのへまち)へ移る予定です。女性は仮設住宅の一角で開かれるサロンに参加していて、気の合う仲間が集まっては、手芸やおしゃべりを楽しんでいるそうです。

「物が全部流されて無くなって、最初はすごいショックだったけど、狭い仮設には物を置けませんよね。そうすると物欲みたいなのが、少なくなったね。普通のことが幸せというのが、6年歩んできて分かりました。精神的に弱い時、サロンのみんなからいろんなアドバイスを受けたりとか、だめな時は怒ってもらったりとか、人としてのお付き合いができるようになったかなって…。自分の成長でしょうかね」

そう語る女性は、今、心に負担を抱えた人の相談にのるボランティア活動もしているそうです。

 

また、震災から1年3か月後には、家々が流されて跡形もない釜石市の沿岸部で、当時60代の男性と出会いました。自宅跡地に残った家の土台に腰を下ろし、男性はこう言いました。

「かさ上げがどの高さになるのか、先がはっきりしないからね。中途半端な、毎日憂うつな気分だけど、仮設で一日中テレビを見てても、これまた大変なんだ…。まさか仮設では死にたくないし…」

あれから5年…。男性は去年12月、かさ上げした元の土地に自宅を再建していました。今は夫婦で庭づくりや畑仕事を楽しんでいるそうです。男性は笑顔でスタッフを迎え、こう言いました。

「気分的にはやっぱり違うね。仮設にいる時は夜眠れないとか、そういうことはありましたね。今は日中は畑をやったり、好きな草花を育てて、ある程度体を使うとぐっすり眠る…。いま孫が横浜にいるんですが、ジャガイモ掘りをしたいというのでね、孫に応えたいと思って無理して植えました。成長した葉をスマホで送ってやるんですよ。楽しみですね、夏休みの後半、来る予定になっておりますけど…」

6月25日放送 「岩手県 釜石市」

男性は、そう言って笑いました。

こうした笑顔の一方、元の場所に家を建てたいと願いながら、仮設で亡くなった方がいるかもしれません。"資金がない" "高齢だ"など、様々な理由で災害公営住宅に入る方、遠くの息子・娘のところに移った方もいます。男性のような生活をうらやましく思う方がいることも忘れないでおきたいと思います。

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