キャスター津田より

6月16日放送「宮城県 気仙沼市」

いつも番組をご覧いただき、ありがとうございます。

今回は、宮城県気仙沼市(けせんぬまし)です。人口約6万4千の港町で、震災で被災した家屋は2万5千棟に上ります。水産業も大打撃を受けましたが、今もカツオなどは全国屈指の水揚げを誇ります。

 

今回まずは、以前取材した方を再び訪ねてみました。

6月16日放送「宮城県 気仙沼市」

6月16日放送「宮城県 気仙沼市」

震災からひと月半後、市南部の本吉町(もとよしちょう)では、避難所で支援物資の配布をしていた当時60代の男性と出会いました。本吉町は家屋の3割が全半壊し、男性も"自宅や車などを全部流された"と声を詰まらせながら話しました。

「家内を連れて逃げるのが精一杯でした。ともにしょげていても仕方ないので、とにかく、過ぎ去ったことはしょうがないとして、明日を信じて、とにかく頑張ろう、生きていきましょうという思いです」

あれから7年…。70代になった男性は、元気に暮らしていました。震災から7か月後、畑をかさ上げして、元の場所の近くに家を新築したそうです。再建は、地区の中では一番早かったといいます。

6月16日放送「宮城県 気仙沼市」

「仮設で暮らす方々が、"私も1日も早く家を建てるぞ"と思うよう、機運を盛り上げるために早く再建しました。とにかく家を建てるのと同時に、生きていくことで精一杯で、妻の病院通いとか、そんな日々でしたから、心を穏やかに趣味のことを考える時間なんて無かったね。一段落したので、好きな趣味の釣りをしたいなと思っています。6月16日放送「宮城県 気仙沼市」自分で釣って、煮付けでいただきながら、一杯やるってことです」

 

6月16日放送「宮城県 気仙沼市」

また、震災から4か月後には、市の中心部にある水産加工会社で、社員の男性2人と出会いました。

6月16日放送「宮城県 気仙沼市」

社屋や工場は津波で完全に壊されましたが、会社は再建を目指していました。当時50代の男性は、

「とにかくみんな、"また一緒に稼ごう"って別れました。少しでも再建っていう気持ちが会社にあるのは、すごく我々にとって心強いと思います。何よりも希望っていうか、光があるのはうれしいですね」

と語りました。あれから7年…。会社は工場を内陸に移し、震災の翌年には再建されていました。

6月16日放送「宮城県 気仙沼市」

2人は今も一緒に、真新しい工場で働いていました。60代になった男性は、こう言いました。

「結構、自分的には一生懸命走ったような感じはしますけどね。頑張ったつもりなんですけど、なかなか…。会社の人数も半分くらいになって、仕事の規模も以前よりも小さくなったもんですから。まだまだ人生は長いので、まだまだ頑張りたいなあと思います。できたら後継者を増やせれば…」

6月16日放送「宮城県 気仙沼市」

また、以前いっしょに取材を受けた30代の男性は、こう言いました。

「やっぱり工場が再開して働き始めた時は、新しい立派な設備でやれたのでうれしかったです。みんなで仕事ができたのもうれしかったです。俺は震災後に結婚して家族ができて、去年の1月に息子が産まれたので、それを励みに、家族のために"前に前に"って感じですかね」

 

こうした方々を見ていると、7年の変化はとても大きいと痛感します。市全体でも、去年5月には災害公営住宅の全戸完成が報じられ、今では集団移転の土地造成もほぼ完了しました。一方、市の復興工事は、様々な面で計画より遅れてきたのも事実です。例えば、中心部・内湾(ないわん)地区の区画整理事業は、当初より1~2年遅れ、再来年度までかかります。災害公営住宅の入居予定の遅延も、2016年までの間に4回公表されました。最近では、離島・大島の観光拠点のオープンが遅れ、本土と島をつなぐ橋の完成に間に合わない点が問題になりました。県の調査では、「復興を実感する」と答えた住民の割合は、気仙沼が県内最低で、平均より約10ポイント低くなっています。7年以上も前と現在を比べれば、確かに大きな変化はありますが、以上のような背景があっての気仙沼の復興です。

 

その後、建物の5割が全壊した鹿折(ししおり)地区に行きました。

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復興工事は進み、家や店が並び始めています。この地区で去年4月に再開した「かもめ通り商店街」は、現在9店舗が営業していますが、数は以前の3分の1です。

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写真館の3代目、30代の男性に聞くと、周囲は空き地が目立ち、なんとかもう少し賑わいが欲しいと言います。今もなお、津波で傷ついた写真の復元など、依頼は絶えません。

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「店も全部流されたので、父は"もう辞めようか"と言ったんですけど、皆さんから"またやらないんですか?"とか、"仕事お願いします"って言われて、それで再開しました。自分たちが生まれ育った場所なので、やっと帰って来られたっていう気持ちですね。皆さん、津波を忘れることはできないと思うので、まずはこちらから笑顔で接して、相手側にも笑顔になってもらって、笑顔を撮り続けたいです」

 

次に、気仙沼駅前にある、市内で最後に完成した災害公営住宅を訪ねました。

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186世帯が暮していますが、以前住んでいた地区はバラバラです。訪ねた日には、初めての住民交流会が開かれていました。入居から1年以上経っても自治会は発足せず、最近できたばかりの入居者の交流センターも、ほとんど利用がありません。住民交流会も市の主導で開かれ、参加者は住民の2割未満でした。去年、仮設から移って1人で暮らしているという、参加者の60代の女性は、こう言いました。

「ゴミ出しのルールをどのようにするか?とか、意見を聞くのも必要だと思って参加しました。1日も早く、自治会が発足してほしいです。難しいのは、人と人とのつながりですね。男女関係なしに、ひとつ屋根の下ですから、仲間、家族みたいなものですよね。"そんなの知らねえ"って言うなら構いませんが、そういう気持ちがないと、団結力ってなくなるし、いくら立派なこと言っても、つながりがなければ何もできないし…。自分が声を出さないと相手から返ってこないから、私は必ず挨拶しています。出会いを大切に、声かけをして、この住宅に入ったからには、みんなで楽しく生活できればと思います」

気仙沼市の災害公営住宅では、高齢者の単身世帯だけで3割近くに上ります。高齢者が多いのも自治会活動のネックで、1年以上も自治会がつくれないという話は、他でも結構聞きます。

 

6月16日放送「宮城県 気仙沼市」

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さらに、震災から9か月後にオープンした商業施設"さかなの駅"では、水産加工会社が経営する小売店で話を聞きました。

6月16日放送「宮城県 気仙沼市」

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会社の3代目、40代の男性によると、津波で工場は全壊しましたが、2年後には仮設工場で再開し、さらに2年後に工場を新設したそうです。それでも業績は震災前の約6割にとどまり、いま男性は、地元の魚を全国に発信しようと新商品を開発し、"攻めの経営"に取り組んでいます。

6月16日放送「宮城県 気仙沼市」

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「津波でなんにも無くなったし、どうせなら新しいことをやった方がいいかなって、小売りを始めました。生ハムみたいに、メカジキをハムっぽい味付けにしたり、昔からスタミナ源だったサメの心臓を薄く切って、生レバーの代わりみたいな…。"この商品なんなの?"って思うようなものを作りたいです。震災特需も終わって一段落したところですけど、今まで以上にもっともっと食べてほしいと思います」

 

その"さかなの駅"から車で10分ほど行くと、工事現場の横にプレハブのたい焼き店がありました。

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店主の60代の男性に聞くと、店は今年で26年目、自宅兼店舗は津波で流されたそうです。元々店があったのは中心部の魚町(さかなまち)地区で、そこに震災の翌年、仮店舗を建てました。しかし、かさ上げ工事が始まったため、去年、一時的にこの場所に移ったそうです。ほぼ工事現場の中なのでお客さんは少なく、かつての魚町の人の流れとは全く違います。売り上げも、震災前と比べて4割減ったそうです。

6月16日放送「宮城県 気仙沼市」

男性は魚町に戻って店を再開する計画ですが、魚町のかさ上げ工事は、当初より遅れています。おまけに今年3月、魚町に建設中の防潮堤に施工ミスが発覚し、工事の先行きは不透明になりました。

6月16日放送「宮城県 気仙沼市」

「当初は今年の5月か6月に戻れるはずが、かさ上げが遅れて1年延びますよって…。そこに加えて、今、防潮堤で22センチの誤差が生じて騒動になっていますけど…。みんな辛いところを抱えて、歯を食いしばって頑張っているのが本音じゃないですか。私は単純に、魚町が好きなんです。みんな、人がいいんです。本当に過ごしやすいところなんです。"やっぱりたいやき屋、戻ってきたんだね"って言われて、お客さんがふらっと来てくれるような、それがささやかな望みですかね」

 

補足すると、魚町などは海に面した昔からの中心部で、住民は"気仙沼の顔となる景観が損なわれる"として、当初から防潮堤に反対でした。一方、県も計画を譲りませんでした。住民は話し合いを重ね、時に知事本人とも意見交換して、高さ4.1m(プラス、波の衝撃で可動する壁を設置)という案で合意しました。しかし結局、途中まで間違って高く作ったのです。謝罪した県は工事を続行する構えですが、住民は作り直しの要望書を提出し、市も市議会も、住民意見の尊重を県に要望しています。たった22cm…かもしれませんが、海の見え方は違うし、何より2年以上、100回近い話し合いの労力をかけて合意した高さです。この22cmの意味は非常に重く、復興の進捗や住民の再建計画に与える影響も甚大です。

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