キャスター津田より

10月14日放送 「移住者編・宮城県/福島県」

いつも番組をご覧いただき、ありがとうございます。

今回は初めての試みとして、支援活動で被災地を訪れ、移住した方々を特集してお伝えします。こうした方は、これまでも番組に登場してきました。確かに被災地に住んでいる以上、「被災地からの声」には含まれますが、実際に被災者ではありません。でも、こうした方々が地元の人にもたらしている影響を知れば知るほど、決して無視できない存在だと分かります。

10月14日放送「移住者編・宮城県/福島県」

10月14日放送「移住者編・宮城県/福島県」

はじめに、宮城県石巻市(いしのまきし)に移住した方を訪ねました。津波で住宅の8割が流された雄勝(おがつ)地区では、震災後、人口は4分の1にまで激減しています。

 

10月14日放送「移住者編・宮城県/福島県」

この地区で唯一の歯科医として活躍するのは、長野県から移住した30代の男性です。診療所での治療だけでなく、週1回、お年寄りへの訪問診療も行っています。震災当時は長野県の大学病院に勤務し、医師が不足する被災地を支えようと支援に通い続け、1年後に大学病院の職を辞して、妻と当時3歳の娘とともに移住しました。

「反対もあったけど、やっぱり行くしかないと思って…。一番反対したのは教授ですね。"何言ってんだ、お前"みたいな…。あとは妻ですね。説得するため、一回連れて来て、現状を見てもらいました」

男性を悩ませたのは、被災した患者とのコミュニケーションだったそうです。

「今まで通っていた歯医者さんが被災して、どこに行けばいいか分からない時に僕が入って、"こいつ誰だ"とか、"こんなぺーぺーに診てもらって大丈夫かな"みたいなものは伝わってくるんですね。でも、地元のスタッフが"この人は味方だよ"っていう感じでやってくれたから、今があると思います」

現在、男性は患者以外の高齢者の家も頻繁に見回っています。偶然ですが、スタッフが見回り活動を取材中、独り暮らしのお年寄りが、腰を痛めて動けないでいる場面に出くわしました。お年寄りは病院を拒みましたが、心から信頼している歯医者さんの説得によって、ようやく救急車に乗りました。

「歯科医の仕事だけでなく見回りもするとか、高齢化が進む日本で、被災地から学ぶこともあるって思います。いろんなものが失われたけど、いろんな人が入ってきて、町を支えていきたいと思います」

 

10月14日放送「移住者編・宮城県/福島県」

次に、宮城県女川町(おながわちょう)に行きました。中心部のほとんどの建物が流され、壊滅的な被害を受けた町です。

10月14日放送「移住者編・宮城県/福島県」

駅前に完成した真新しい商店街には、再建した店や新たに開業した店が並んでいました。

この中に、一昨年オープンした手作り石けんの工房がありました。

10月14日放送「移住者編・宮城県/福島県」

10月14日放送「移住者編・宮城県/福島県」

10月14日放送「移住者編・宮城県/福島県」

10月14日放送「移住者編・宮城県/福島県」

ワカメをはじめ、地元の産物を材料にした石けんを製作し、販売しています。オーナーは、震災の4か月後に移住した30代の男性です。仮設住宅で行われた石けんづくりのイベントをヒントに、3年前に起業したそうです。東京で翻訳の仕事をしていたそうですが、宮城県出身の友人に誘われ、ボランティアとして被災地に入りました。

「最初は、2週間とか10日ごとに東京に戻って、物資を持って来たりしました。そうしたら、こっちで泊まっていた民宿の息子さんから"いつ越して来るの"って、冗談で言われたんです。"そういう手もあるか"と思って、2週間後に本当に引っ越しました。その息子さんは、死ぬほど驚いていましたけど…」

男性は、冬が寒いのが嫌なぐらいで、別に後悔はないと笑顔で言いました。石けんづくりは赤字続きでしたが、借金して穴埋めし、今年8月、ようやく単月の黒字を達成しました。

「世界を席巻…席巻するまでやる、"石けん"だけに(笑)。"この町にあってよかったね"と言われるよう、貢献するのが最終的な目標ですね。海外に品物を出していきたいと思っているんですよね。"あの本店、ここだ!"って、海外から人が来るようになったら面白いなと…」

 

その後、福島県に行き、移住した方々を訪ねました。

10月14日放送「移住者編・宮城県/福島県」

10月14日放送「移住者編・宮城県/福島県」

避難指示が全て解除された川内村(かわうちむら)では、今月、村の交流施設で、村外出身の男女が結婚式を挙げます。新郎は神奈川出身の25歳。大学のゼミで村を訪ねたのをきっかけに、移動販売など、村への支援活動を続けてきました。新婦は、東京出身の28歳。大学を卒業し、放射線計測などの仕事で福島に来ました。業務の傍ら、川内村の地域おこし団体に所属し、村に移住したそうです。男性は日々の生活について、こんなことも言いました。

「無神経なことを言っちゃいけないとか、他の地域にはない、気のつかい方を心がけています。この人はどういう経験をされたのかな、というのを探りながら、これは言っていいかな、みたいな…」

そうしたデリケートな面もありながら、それでも移住した理由を尋ねると、女性がこう答えました。

「どこに行っても、誰かしら声をかけてくれて、本当にみんながお互いを気にかけるっていう感覚が好きで、その中で温かく守られて暮らしている感じが、すごく好きですね」

彼女は、"東京は遊びに行けばいい、住むのはこっちがいい"ときっぱり言いました。結婚式には、地元の方々50人が招かれ、全面バックアップで盛り上げます。男性は、最後にこう言いました。

「川内に来たら、みんな僕のことを認めてくれたんですよね。すごく気にかけてくれて、僕はそれで救われたというか、"これでいいんだ、無理に何かにならなくていい"って思えて…。それがすごく助かったので、その感謝を伝えたいです。川内の人たちに育ててもらって、感謝しています」

 

10月14日放送「移住者編・宮城県/福島県」

10月14日放送「移住者編・宮城県/福島県」

次に、町の大部分で避難指示が解除された富岡町(とみおかまち)で、原発事故の被害にあった方々が交流する、年に1度のイベントにおじゃましました。地元の商店や復興支援のNPOなど、50のブースが並ぶ中、支援団体"双葉郡未来会議"のブースには、山形出身で、いわき市に移住したという20代のスタッフがいました。原発事故の避難者同士で復興を話し合うフォーラムを開くなど、様々な催しを企画してきたそうです。彼女は原発事故の直後、一度、東北を遠く離れ、京都の大学へ進みました。

「当時住んでいた山形県の米沢市は、福島との県境にあって、福島からの避難者を受け入れる避難所が市内にできて、その時の大変な状況を目の当たりにしているんだけど、何もできなかったっていう気持ちがすごく強くて…。思い出すたびに、避難所に行けばよかったって思って…」

その後、彼女は京都から岩手などの被災地に通い、子ども達に勉強を教える活動を始めました。さらに大学を休学して現在の支援団体に加わり、卒業後も活動を続けています。2年前、支援活動を通して知り合った栃木出身の男性と結婚し、今は1歳の娘と3人暮らしです。

「福島の方は、どういう選択をしたら、家族で幸せに暮らしていけるのかを常に自問自答されていると思うんですよね。私もそういう風に、丁寧に、自分の働き方、生き方と向き合っていきたいと思って、福島で暮らしたいって思ったんですね。なので、子どももここで産みたい、育てたいっていうのは、結構強く思いましたね。東北が震災を乗り越え、"強くて優しい町"になっていくのを見ていきたいですね」

 

10月14日放送「移住者編・宮城県/福島県」

10月14日放送「移住者編・宮城県/福島県」

さらに、一部を除いて避難指示が解除された南相馬市(みなみそうまし)に行き、主婦向けに開かれている朗読教室におじゃましました。講師は、震災の年に東京から移住してきた50代の男性です。30年以上、俳優として活動し、現在も東京の劇団に所属しています。定期的に東京に通い、レギュラーで声優の仕事もしています。原発事故後、インターネットで南相馬の窮状を知り、支援に動きました。物資の配布や避難所での読み聞かせなどに夫婦で従事し、事故の半年後、南相馬市に移住しました。

「東京に住んでいる人間としては、すごく責任を感じたんですよ。首都圏の人間のための電気を福島でつくっていて、そこが事故を起こして、現地の人たちがものすごくひどい目にあっていて、何で東京はこんなに無事でいられるんだろうか、何かできることがないかなと思い始めて…」

輸送手段のレンタカーも、"福島に行く"と申し込むと借りることができず、中古の軽自動車を買って、南相馬市まで物資を運びました。現在は朗読教室だけでなく、ご当地ヒーローのショーに出演したり、災害FMのDJとしても活躍し、地元に溶け込んでいます。

「移住で失ったっていうことはないですね。仕事で東京に行って、高速バスで常磐道に乗って帰って来るんですよ。南相馬に近づいてくると、"ああ、帰ってきた"って感じがしますね。できれば目立たないで同化できたらいいって思うけど、絶対、無理だと思う…育った所が違うし。でも、東北の応援団ですよ。南相馬だけじゃなくて、東北の応援団。東北のことを悪く言われると、ムっとしますよね」

 

今回ご紹介したような方、一人一人の貢献は、被災地全体の中では微々たるものかもしれません。しかし、皆さんには支援の実績では計れない価値があります。私もそうですが、震災で大きく傷ついた自分の故郷に対して、正直なところ、"今なお魅力ある土地だ"とはなかなか言えません。でも、その土地をわざわざ選んで移り住んだ人がいるという事実は、確実に被災地の人々に希望を与えています。

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