キャスター津田より

3月9日放送「岩手県 大船渡市」

 東日本大震災から8年です。
 毎年3月11日の前後になると、様々なメディアが震災を取り上げ、全国各地で“あの震災を忘れない”、“あの日の教訓から学ぼう”という声が聞かれます。
私たちは3月11日の前後だけでなく、1年を通して毎週被災地で話を聞き、被災した方々を見続けてきました。震災の9日後に始まって、かれこれ8年になります。そんな私たちがこの時期に感じるのは、“震災を忘れない”“教訓から学ぼう”もさることながら、まず何よりも、“亡くなった方をひたすら偲びたい”という思いに尽きます。
また、これまで8年間も頑張ってこられた被災者の方々を、心底いたわろうと思いが湧いてきます。

 番組スタッフ全員から、この気持ちを広くお伝えしたいと思います。

 

さて今回は、水産業が盛んな岩手県大船渡市(おおふなとし)です。人口は約38000で、震災では400人以上が犠牲になり、5000棟を超える建物に被害が出ました。

3月9日放送「岩手県 大船渡市」

3年前には約800戸の災害公営住宅が全て完成し、2年前には、集団移転事業による360戸あまりの宅地整備も全て完了しました。一時は1700世帯以上が暮らしたプレハブの仮設住宅も、この3月で全て退去する見通しです。

3月9日放送「岩手県 大船渡市」

はじめに、中心部から車で10分の室内練習場を訪ね、末崎(まっさき)野球スポーツ少年団を取材しました。

3月9日放送「岩手県 大船渡市」

メンバーの数はギリギリの11人ですが、クラブは過去に5回も全国大会に出場した強豪です。避難所となった学校のグラウンドなどで、周囲の理解を得ながら練習を続け、翌年には再び全国大会に出場しました。監督を務めて34年、寺の住職でもある60代の男性は、こう言いました。

 「震災直後、避難所に行った時に、子ども達が“静かにしなさい”とか“走らないように”とか、注意されているんですよね。少しでも野球ができない時期を減らしてあげようと思って、毎日のように動いたのが懐かしく感じられます。震災が起きたのも天命、その後、復興したことも天命と考えています。努力しないと次に向かうことはできないですが、努力して全国大会に行く時、“これも天命で決まっていたのか”と思えると、次に、次に進めるんです」

その後、中心部にある住宅地で、8年前に会った方を再び訪ねました。当時50代の男性で、震災から5か月後、津波の直撃を受けた自宅の横にある、残った長屋(作業小屋)を直して住もうとしていました。

 「ここを直して、この長屋に住むのが第一目標ですね。家のことを片付け、それが終わって畑のガレキの処理…、運命に逆らわず、できることを精一杯にしようと思います」

あれから8年…。男性は作業小屋での仮住まいを5年間続け、おととし家を新築しました。現在は会社を定年退職し、公民館の運営を手伝いながら、母親、そして妻と息子の家族4人で暮らしています。新居のクローゼットには、非常持ち出し袋をはじめ、防災用品がびっしり備えられていました。

 「一応、何とか自宅を再建して、個人的には一段落ということなんですけどね。災害に備えて、できる範囲はやっていこうと心がけています。震災の経験を後世に残したいです。どんどん年数がたつと悲惨な経験を忘れてしまうし、講習会みたいなことをやっても忘れてしまうので、実際の生活の中で、ある程度話をしていかなきゃならないと思うんですけどね」

 震災の風化は完全に止められなくても、風化のスピードを遅くすることはできます。男性が言うように、実際の生活の中の小さな取り組みこそ、大事なのではないでしょうか。

さらに、市の東部・赤崎(あかさき)地区に向かいました。ここでは長男を亡くした80代の男性が、話を聞かせてくれました。43歳だった長男は、職場から帰宅途中に津波に襲われました。現在は、妻と長男の妻、そして孫の4人暮らしです。男性は長男の七回忌にあわせ、歩道沿いの敷地内の場所に、自費で石碑を建てました。胸の高さほどもある石の柱には、大きく“高台に逃げろ”と刻まれています。

 「朝夕、仏壇の中の長男の位牌に、“いま起きたぞ”、“…に行ってくるからな”、“帰ってきたぞ”って言葉はかけていますね。津波に対する怒り、長男を失った怒りを鎮めるため、心を安らげるために石碑を建てたような気もします。石碑というのは永遠に残るからさ…自分が後世に残しておける仕事は、あのぐらいですから。8年たって、安らぐわけではないけども、怒りが鎮まってきたんじゃないかね…。“逃げろ、高台へ”これが第一歩です。津波には勝てません」

 男性は何度も間をおいて、目と閉じ、絞り出すように語りました。東北地方では世代が上の人ほど、長男を“家督”と呼んで、家や墓を守る跡取りとして特別に感じています。80代の男性の悔しさは、計り知れません。自分の方が長く生きているという後ろめたさも、お子さんを亡くした全ての方々に共通する思いです。石碑の言葉は、大事な息子の命と引き換えになった言葉です。人ひとりの命と全く同じ重さの言葉として、受け取らなければなりません。

 

さて今回、大船渡市では、震災8年から未来を見据える声も聞かれました。市中心部ではかさ上げによる大規模な土地区画整理事業が進められ、商業エリアでは、2年前から飲食店など69店舗が集まって営業しています。

3月9日放送「岩手県 大船渡市」

30年以上続くブティックを営む70代の女性は、14年前に夫に先立たれて以降、店を1人で切り盛りしてきました。なじみ客などの要望もあって仮設商店街で店を再開し、その後、現在の商業エリアに移って営業を始めました。

 「こういう服がね、必要じゃないと思いました。全て流されましたでしょ…着るものより食べるもの、本当に最低限の必要なものだけで生きていった方がいいんじゃないかって感覚になりましたね。店はもういらない、店をやりたい気持ちなんか全然起きませんでした。プツンと切れそうになる時って、みんないっぱいありましたから。でも、ずっと来てくれていたボランティアの人たちの気持ちが伝わってきて…。支援していただいた方たちに、頑張らないと申し訳ない気がするんです。“何のために応援していたの?”ということになりかねませんから。何とか応えられるように進まなきゃという覚悟です」

 また、商業エリアから少し離れた場所に寝具店が見えたため、訪ねてみました。

3月9日放送「岩手県 大船渡市」

創業100年を超える老舗で、店主は80代と70代の夫婦でした。自宅を兼ねた店舗は津波で全壊し、アパートで暮らしながら仮設商店街で営業を始めたそうです。ただ、高齢の身には住居と店の往復が負担となり、他の店からは少し離れて、自宅兼店舗を再建しようと決めました。夫婦はこう言いました。

 「同じ商店街で一緒にやるのは基本なんですけど、あそこ(商業エリア)は住宅がないからね…店舗だけだから。離れて2軒建てて、二重生活になると大変なんでね。自分の年を数えてびっくりするもの、こんな年まで働くと思わなかったって…(笑)。でも、先代が残してくれた店を継いで、“おじいさんはこういう人だった”、“おばあさんがこうだったね”という思い出をお客様がみんな覚えていてくださるから、何よりの財産ですね。大変とばかりも言っていられませんからね、やる以上は何とか頑張っていかなきゃいけないし…。大変な毎日を過ごしてきましたけど 明日があると思って頑張ります」

さらに末崎地区で、震災から5か月後に会った方を8年ぶりに訪ねました。60代の男性で、再開したガソリンスタンドで偶然出会った方です。自宅は15mの津波で屋根まで浸水し、被災した家を修理している最中でした。周囲に家はなく、あいさつを交わす隣人もいない寂しさを切々と訴えながら、人と言葉を交わせるガソリンスタンドは本当にありがたいと言っていました。
今回、久しぶりに男性を訪ねると、修理してきれいになった家に夫婦で暮らしていました。震災から5年の、3月11日14時46分、男性は屋根に上がり、災害を伝えようと津波到達点にペンキを塗ったそうです。
男性は今、地元の復興まちづくり協議会の一員で、復興工事で出た砂利などを引き受けている耕作放棄地を、公園に変えようとしています。池を作り、サクラなどを植えて魅力的な場所に変え、観光客を呼び込むとともに住民の交流拠点にしたいそうです。被災後の遊休地の活用は、自分のライフワークだと言いました。

3月9日放送「岩手県 大船渡市」

 「被災した方が住みかを確保することは、成し遂げました。でも、ご覧のように空き地が荒れて夏には草がぼうぼう、これを何とかしたいと…。復旧工事は、間もなくいろんな所で完成を見ます。いろんな方の支援を受けて復興しております。そこの中に、新しいことも興していこう、被災跡地を新しく美しくしていきたいという“復興から新興へ”という思いがあります。使命感というほどじゃないけどね、何かやっぱり、家を直したから終わりにはなれない…きれいにしていきたいし、美しくしていきたい」

震災から8年、大船渡の復興は、ゴールにかなり近づいています。しかしまだ、先はあるのです。

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