"あの日"子どもだった伊達花彩さんが伝えたいこと

アイドルグループ「いぎなり東北産」のメンバーのひとり伊達花彩(だて・かあや)さん。
俳優としても活動する伊達さんは東松島市出身で、幼稚園の時に震災を経験しました。
東日本大震災の発生からまもなく13年、伊達さんからのメッセージです。

(仙台放送局:境彩花)


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アイドルグループ「いぎなり東北産」。
東北出身のメンバーで2015年に結成したこのグループ。仙台市を拠点に活動しています。

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その1人、伊達花彩さん。18歳。ステージ衣装でインタビューに応じてくれました。
東松島市出身の伊達さん。高校生までふるさとで過ごしました。

「やっぱり宮城は安心します。ずっと住んでいたっていうのもあるけれど、東京の人って結構せっかちなイメージで、駅がいつも混んでいるイメージなんですけれど、宮城はマイペースな方が多くてすごく安心します。みんな温かいので安心しますね」

【震災と支えてくれた家族】

2011年3月11日。当時5歳で、幼稚園で工作をしていた時、大きな揺れを感じました。自宅は津波で流されました。

「長テーブルがあるのですが、みんなそこに入って、先生たちが指示していた記憶があります。地震で物が落ちてきて電球がすごく割れていたので、それにぶつからないように、外に出てブルーシートをかぶって。川が近かったので警報が出てまた教室に入って、また地震が来て外に出てブルーシートをかぶってと繰り返していた気がします」

迎えに来た、親戚の車に乗って避難。数週間を車中泊で過ごしたといいます。
その後、家族とともに市外へ引っ越しましたが、伊達さんは震災や津波の光景を思い出して苦しんだといいます。

「あとから親から聞いたら夜泣きとか、泣き叫んで走り回ったりとかしていたっていう話は(家族から)聞きました」

PTSD=心的外傷後ストレス障害と診断された伊達さん。支えてくれたのが家族でした。

「家族と過ごす時間がすごくたくさんあった気がして、温泉に行ったり、絵を描いたり、それをコンクールに出したりして。そっからかな、自分すごく絵を描くのが好きになったりして」

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その後、精神的に少し落ち着いたものの、震災の経験を思い出し過呼吸になるなど苦しい状況が続き、自らの被災経験について話すことを避けていました。

【向き合い始めた震災】

スカウトをきっかけに、3年後の2014年、憧れていた芸能界に進んだ伊達さん。

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グループで活動を始め、笑顔で東北に元気をふりまいています。

一方で、震災になかなか向き合えてこなかったといいます。
それでも東北各地の被災地も回り、活動を通じてメンバーとも震災について語りあうことで、徐々に向き合うことができるようになりました。

「メンバーは9人で何人か被災していて、津波は来ていないけれど違うことでちょっと違う感情の子がいたりしたので、幼いころの自分だったらあまり理解できなかったこととかが、自分が成長していく上で話を聞いて理解できるようになるので」

【13年前を振り返って 伊達さんの思い】

東日本大震災からまもなく13年。当時のことを思い出し、いまも過呼吸になることもあるといいます。それでも、当時の被害を忘れてほしくない、大震災を経験した伊達さんの思いです。

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「やっぱり知らない子に教えるっていうのはすごくやりたくて。こういうことがあったっていうのは知っておいてもらいたいし、自分も表に出て、表現者として、東北の震災にあった方だったりあってない子供たちだったり、関係なく人を笑顔にできていることがすごく嬉しいです」

伊達さんは、記憶が曖昧なところは今回改めて家族に聞き、インタビューに応じてくれました。

能登半島地震で被災した子どもたちに対しても、自らの経験を振り返りながら
「子どもたちを守れるのは本当に大人しかいないと思っています。子どもたちが安心できる環境を大事にしていただきたい」と話していました。

去年から津波で流された家があった場所や通うはずだった小学校などを家族と訪れているという伊達さん。当時の記憶を補うように、ふるさとで起きたことに向き合いながら、東北を発信していきます。


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NHK仙台放送局
記者 境 彩花
宮城県塩釜市出身。2023年に入局。
取材担当は県政。
悩んだときはアイドルの動画を見て元気をもらっている。