東日本大震災 山田ルイ53世さんが語る"あの日"

NHK仙台放送局が制作するラジオドラマに出演していただいた山田ルイ53世さん。
『Teko Poko Cafe』(9月2日放送)- FMシアター - NHK
※「らじる★らじる」で「聴き逃し」配信中(9月9日午後10時50分まで)
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今回、山田ルイ53世さんに“あの日”のこと、そして、“あの日”からのことについて、語ってもらいました。

 
ー2011年3月11日、山田ルイ53世さんはどこで何をされていましたか?

(山田ルイ53世)
35,6歳のときで、東京の三軒茶屋の自分のマンションの自宅にいましたね。中学生ぐらいのときに、阪神淡路大震災でも、地元が近くて直撃じゃないけど、すごい揺れたんですよね。朝やったんですけど、巨人が家もってぐらぐらさせてんちゃうかっていうぐらい勉強机とかで、どんどんどんと、とんとん相撲みたいに近づいてきて、なんやこれっていう、経験したことのない揺れやったんですけど。東日本大震災のときも、なんやこれって、同じような感覚を味わったのを覚えていますね
(山田ルイ53世)
僕の妻が、当時は付き合っているみたいな状態だったんですけど、実家が福島の相馬なんすよね。「えーっ」ってなって。しかも、海沿いのね、お家やったんですよ。ほんで、連絡取れへんって、結構ちょっと、慌ててパニック状態みたいになって、しばらくして、避難先からお父さんお母さん連絡してきて、こっちから連絡したんかな?なんせ、話をすることが出来たんですけど・・・

奥さんの実家は津波で流されてしまいましたが、両親は無事だったそうです。
現在、2児の父親の山田ルイ53世さんですが、“あの日”から変わったことがあったといいます。

(山田ルイ53世)
やっぱり、あの日が近づくと、ちょっと、テレビ見たら津波の様子が映ってるんちゃうかとか、気遣いますし、まだ妻もちょっと見られへんみたいな。僕、めちゃめちゃ、子どもを海に連れて行きたいんですけど・・・でも、妻が「海、嫌や」っていうんすよ。だから、山田家の夏の旅行はもっぱら山です、毎回、山に行ってますね、そんな影響も残っています
(山田ルイ53世)
妻が異常に写真とかビデオを、テレビマンだったらわかると思うんですけど、「そんなとこ使わへんだろ」っていうような所まで、なんせね、撮りたがるんですよ。クリスマスとかお正月とか行事ごと、節目のときの写真とかビデオも絶対そんなにはあとで見返すこと出来へんのに、めちゃくちゃ撮るんですけど・・・。何でかな?と思ったら、妻もちょっと言ってたんですけど、家が全部流されたときに、卒業アルバムやなんや、家族の写真や、全部なくなったんです。全く写真がないっていう状態になって、そういうこともあって、とにかく、今からのシーンは全部写真に撮りたい、ビデオにおさめたいっていう・・・。切ない話ではありますけど、あんま好きじゃないんですけど、「自分の誕生日は、別にケーキ出してくれんでえー、もう50歳も近いのに」って思ってんですけど、「ハッピバースデートゥーユー」っていつもやってますね。しゃあないと思って

山田ルイ53世さんのお子さんは現在、11歳と4歳。
震災のことを少しずつ、話し始めているといいます。

(山田ルイ53世)ママの実家ちょっと見に行くでみたいな感じの中、まあ見に行くでいうても、(跡地は)ほんまソーラーパネルばっかりなんですけど・・・。ここ、ママのもともとの家なんやでって、ちょっと津波で流されてしまってとか、少しずつですけど・・・。ママの地元がっていう言い方で、自分ごととして、考えられるように伝えていますね。幼稚園の頃とか、小学校低学年の頃に比べたら、結構、一丁前にそういう話しているときは、神妙な顔していますけど。ただ、その神妙な顔したあとに、ベッドの下に漫画隠していた件で、ものすごくけんかになるんすよ。あんた何冊隠すのみたいな・・・

山田ルイ53世さん、貴重なお話をありがとうございました。 

NHK仙台放送局のサイト「あの日、何をしていましたか?」では、
みなさんの2011年3月11日について投稿を募集しています。
あの日、何をしていましたか?|NHK仙台 みんなの3.11プロジェクト