二十歳の現在地 ~震災を原点に夢を追う~

11年半前、当時9歳だった少女は、東日本大震災をきっかけに夢を見つけました。
二十歳まで成長したいま、震災の記憶を伝えるという新たな取り組みにもチャレンジしています。

(仙台放送局/黒住駿アナウンサー)


<看護師の夢>

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「血圧は114の72ですね」
亘理町に住む千尋真璃亜さん(20)は、看護師を目指して仙台市内の専門学校に通っています。
来年2月の国家試験に向けて勉強に励む毎日で、専門学校では生徒が互いに患者役を務めながら実習を続けています。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で厳しい環境にある医療の現場ですが、千尋さんには看護師の夢を追い続ける理由があります。

 

<90人が命を守る>

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小学生時代の千尋さん(左)

11年半前、小学3年生だった千尋さんは山元町に住んでいました。
あの日、慣れ親しんだ学校近くの海が一変します。

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当時のままの倉庫

2011年3月11日、津波は、千尋さんが通っていた中浜小学校の2階の天井付近まで覆いました。
千尋さんたち児童や職員は、屋上に避難し、屋根裏の倉庫に90人が身を寄せ合って命を守りました。

 

<寄り添い、支える存在に憧れて>

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自分は助かったものの、震災の後、子どもには酷な日々が続きました。
千尋さんの心を癒やしたのが、避難所などで被災者を支える看護師の姿でした。

千尋真璃亜さん
「先陣を切って頑張ってくれていた姿や寄り添ってくれる姿を見て、感動したというか憧れたというのがありますね」

 

<踏み出した伝える役割>

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震災をきっかけに看護師という目標を定めた千尋さんは、二十歳で迎えたこの春、特別な経験を次の世代に伝えようと新たな取り組みも始めました。
震災遺構としておととしから一般公開が始まった母校・中浜小学校での語り部活動です。
多い時には月4回、県内外から訪れる見学者たちに震災の記憶を伝えています。

語り部として伝える千尋さん
「その日は寒いし、地震が何回もあったんですね。地震が起こるたびに怖くて、怖くて、みんなでぎゅっと手を握ったりして・・・。そうやって一晩過ごして、90人全員で朝を迎えよう、というところで頑張っていましたね」

千尋さんは中浜小の語り部の最年少で、唯一、当時の児童だった立場です。
特別な経験をした自分だからこそ伝えていくことが使命だと感じています。

千尋真璃亜さん
「次は若い世代である私くらいの年代が先陣を切ってやっていく番なのかなと思ったので、少し大変かもしれないけど、二十歳という節目を迎えてちょっと1歩前に進んでみようかなと思って始めました」

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元校長の井上剛さん(左)と千尋さん

語り部の先輩にもあたる当時の中浜小学校の校長だった井上剛さん(65)からは、小学生として感じたことを自分の言葉で素直に伝えてほしいとアドバイスを受けています。

井上剛さん
「いまの語り部の多くは、私も含め、いずれ語れなくなります。その後を継いでいく人たちが育っていくことが語り継いでいくうえで大事なことです。あれだけ大きな経験をした子たちがその経験に押しつぶされないでたくましく育っている。やっぱりうれしいです」

 

<命と向き合う>

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千尋さんがまとめた文章

語り部を担う千尋さんがよりどころとしているのが去年、震災10年を機に経験や思いをつづった文章です。
気持ちを整理しようとつらい記憶にも向き合いながら自分でまとめました。
そこには「命の大切さ」「何よりも命を優先する」といったことばが並び、この先も尊い命と向き合っていくという千尋さんの決意が詰まっています。

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千尋真璃亜さん
「震災の経験を通して命がなくなってしまうのは一瞬なんだと改めて気づくことができました。
震災は起こってほしくない経験ではありましたが、周りの方々の温かさや命の大切さを知ることができた機会だったと思っています」

 

【震災を原動力に】

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震災を原点に見つけた夢。
二十歳で踏み出した、伝えるという役割。
千尋さんは震災を原動力にして将来に向かって歩み始めています。

千尋真璃亜さん
「震災を経験した直後は、もう悲しい思い、悔しい思いでいっぱいだったんですけど、だんだん月日がたっていって、震災での経験が自分の将来の目標につながる出来事になっていきました。
心で支えられるような、優しくて気配りができて、患者さんの思いに寄り添えるような看護師を目指して、いま頑張っているところです」

 


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アナウンサー
黒住駿
仙台局勤務3年目
多くの取材者の逆境に負けない姿に
刺激をもらいながら私も奮闘しています