「歴史上の人物を診る【第3弾】」③ ~藤原隆家~

24/05/15まで

健康ライフ

放送日:2024/01/24

#医療・健康#カラダのハナシ#歴史#大河ドラマ

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【出演者】
早川:早川智(はやかわ さとし)さん(日本大学医学部 教授)
聞き手:田中孝宜 キャスター

藤原隆家とはどういう人物?

――早川智さんは産婦人科の医師であり、微生物・感染症のご専門でもあるんですが、一方で歴史上の人物と病気の関連についても研究されています。
今回のテーマは「藤原隆家(ふじわらのたかいえ)」です。2024年の大河ドラマ「光る君へ」では竜星涼(りゅうせい りょう)さんが演じます。
藤原隆家、知らない人も多いと思いますけれども、どんな人物なんでしょうか。

早川:
藤原道長(ふじわらのみちなが)のおいにあたる人物です。道長とは折り合いが悪かったとされていますが、大宰権帥(だざいのごんのそち)といいまして、大宰府(だざいふ)の副長官を務めた人です。あまりスポットが当たることがない人なんですけれども、ちょうど紫式部の時代に北方系の異民族の襲来がありまして、これから日本を守った大変重要な人です。

――平安時代にも異民族の襲来があったんですね。

早川:
はい。道長の全盛期、北方系の異民族が襲来する大事件が起きました。1019年、「刀伊(とい)の入冦(にゅうこう)」と言われる事件です。200年後の蒙古襲来と同じく、壱岐と対馬、そして九州の博多が襲われました。老人と子供は殺され、壮年の男女が拉致されましたが、その外敵の侵略から日本を救ってくれたのが道長のライバルだったおいっ子の隆家でした。
隆家は総指揮官として陣頭に立ち、異民族を撃退しました。さらに、当時朝鮮半島を支配していた高麗(こうらい)に使いを派遣し、拉致されていた日本人捕虜259人を奪回しました。
ただ、その功績を称賛する声が上がる一方、中央の許可なく対外戦争を行った独断専行をとがめる声もありまして、昇進もなく、恩賞や戦費の支給すらなかったといわれています。

――すごい功績をあげたのに、その扱いはひどいですね。

早川:
そうなんです。さらにその後、小規模の天然痘が流行したんですが、それも隆家が京都に病気を持ち込んだのではないかと非難されました。隆家はバカバカしくなりまして、1037年、59歳の時に京都を去りまして、再び大宰権帥として博多に移りました。
大宰権帥といいますと菅原道真(すがわらのみちざね)が左遷されたポストとして有名なんですけども、宮廷の西日本出張先の副長官でして、決して低い地位ではありません。その後5年間を九州で過ごしまして、京都に戻って2年たった66歳で亡くなりました。

藤原隆家は交感性眼炎だった?

――藤原隆家は何か病気にかかっていたんですか。

早川:
「交感性眼炎」という目の病気です。
私、眼科は全く専門外でして、これは山口大学 眼科の柳井亮二先生のお見立てです。

――聞いたことがない病名なんですけども、どんな病気なんでしょうか。

早川:
比較的まれな病気なんですけれども、片方の目にけがをされたとき、数週間から数か月後にもう一方の目に障害が起きる病気です。症状としてはかすみ目、光のまぶしさ、何かがちらついて見える飛蚊(ひぶん)症などの症状が反対側の目にも起こります。治療しないで放っておきますと、極端な視力低下あるいは失明に至ることもあります。自然に治ることもございます。

――隆家が交感性眼炎と考える根拠は何ですか。

早川:
藤原道長の日記「御堂関白記(みどうかんぱくき)」には、長和(ちょうわ)2年の正月に公家の中で隆家のみが参内しなかったが、これは前の年に目を突いたことで、家に籠もって療養しているからだ、と記されています。
長和2年というと西暦で1013年ですので、刀伊の入寇が起きる6年前のことになります。詳しいことは分からないのですが、目をけがして、数週間で反対側の目も見えなくなってしまったというんです。そうした背景から交感性眼炎が考えやすいと思います。
和歌山の熊野権現にこもったり、京都のお医者さんの治療を受けていたようですが効果が十分でなかった。そのころ大宰府に、目の治療を専門にする宋(そう)、今の中国ですけれども、そこに名医がおられると聞きまして大宰権帥につきたいと申し出ました。
道長は、目を病んだおいを責任ある地位で地方に出向させることを心配したんですけれども、本人の意志は固く、大宰府に赴いたとされています。

――なるほど、ちょうど大宰府にいたから、九州を攻めてきた外敵に対応できたということですね。

早川:
はい、そういうことになります。京都では「さがなもの」、今でいう荒くれ者のレッテルを貼られていたようですが、大宰府ではよい政治を行ったので、九州の庶民はもとより地元の豪族が皆、彼に心服したとされています。

――目の病気の話に戻りますけれども、隆家がかかったと考える交感性眼炎、九州で宋の国の医師に治療してもらえたんでしょうか。

早川:
大宰府でどんな治療が行えたのかは分かっておりません。おそらく、漢方薬や鍼灸(しんきゅう)で治療したと考えますが効果があったとは思えず、自然によくなるのを待ったのではないかと思います。

――早川さんだったらどんな対応をしますか。

早川:
交感性眼炎は、本来なら体を守る免疫という仕組みに異常が生じまして、自分の体の一部を攻撃してしまう「自己免疫疾患」とされております。
目は専門外ですので、知り合いの眼科の先生にお願いしまして炎症を抑える治療を行います。
それから、自己免疫疾患はストレスも悪化要因になりますので、宮中の権力闘争から逃れたことはよかったと思います。

――その目の病気があったからこそ、隆家は九州に行って、外敵の侵略を防ぐことができたとも言えそうですよね。

早川:
そうです。目の病気がなかったら、九州に行って宋の国から来た医師に診てもらいたいという申し出はしなかったと思います。そうしますと、外敵から日本を守ることもできなかったかもしれません。
元寇に比べて規模は小さいんですけれども、言葉の通じない民族が突然船を連ねて来寇するという経験は200年後の蒙古襲来のときに生きたと思います。

光る君へ

日曜日 [総合] 午後8時00分/[BS・BSP4K] 午後6時00分

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【放送】
2024/01/24 「マイあさ!」

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