「歴史上の人物を診る【第3弾】」② ~安倍晴明~

24/05/14まで

健康ライフ

放送日:2024/01/23

#医療・健康#カラダのハナシ#歴史#大河ドラマ

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【出演者】
早川:早川智(はやかわ さとし)さん(日本大学医学部 教授)
聞き手:田中孝宜 キャスター

安倍晴明は今でいう心療内科医?

――早川智さんは産婦人科の医師であり、微生物・感染症がご専門でもありますが、一方で歴史上の人物と病気の関連についても研究されています。
今回のテーマは「安倍晴明(あべのせいめい・あべのはるあきら)」です。2024年の大河ドラマ「光る君へ」ではユースケ・サンタマリアさんが演じます。
安倍晴明といえば「陰陽師(おんみょうじ)」で有名な人物ですよね。

早川:
はい。安倍晴明は実在の陰陽師で、10世紀の宮廷で活躍しました。
陰陽師というのは、日本古来の神道や民間思想、唐から伝来した「陰陽五行説」など、さらに密教などの仏教思想が合わさったもので、当時としては最新の天文学や暦の知識から、宮廷行事の日時や方角、人事など、すべての事柄の吉凶を占うことを生業(なりわい)とした人々です。

――陰陽師は呪術師のように描かれるものも多いんですけれども、少しイメージが違うんですね。

早川:
呪術で式神(しきがみ)を操った、などというのは後世、特に江戸時代の脚色です。
藤原道長(ふじわらのみちなが)の主治医が誰だったかは記録がないのでよく分からないんですが、安倍晴明が当時、医師としての役割を担っていたのではないかと考えております。今回は安倍晴明の医師としての一面を考察したいと思います。

――陰陽師である安倍晴明は医療にも携わっていたんですか。

早川:
そのころの人たちは天文や気象などの現象、お屋敷に珍しい動物が現れる、井戸の水が枯れる、季節外れの花が咲く、こういった現象を全て意味があるものと考えていました。陰陽師はこれらに何らかの解釈をつけ、おはらいをしたり、人々が害を被らないようにアドバイスをしておりました。また、病気にかかったとき、疫病がはやると、宮中の人々や貴族に対して予防の儀式を行っていたといわれております。
当時の書物「小右記(しょうゆうき)」によりますと、藤原道長や三条天皇がたびたび安倍晴明を召し出して「招魂祭」という儀式を行ったそうです。源氏物語にも生き霊のたたりが出てきますが、当時の人々は疫病神や恨みを持った人の生き霊などの物の怪(もののけ)が病気の原因にあると信じていました。権威ある陰陽師のおはらいは一種の心理療法になったんだと思います。

――今でいう心療内科医といった感じでしょうか。

早川:
はい。手洗いや食事指導、換気、清掃など実際の衛生指導もしていたようですけれども、大きなところは患者さんの不安を取り除いてあげたことだと思います。

――何か具体的な事例はあるんですか。

早川:
正暦(しょうりゃく)4年、西暦だと993年に、安倍晴明はお公家さんの中の高い地位にある「正五位上(しょうごいのじょう)」に昇進しております。小右記には「一条天皇の急病を禊祓(みそぎはらい)で軽快させた勲功による」と記録されています。
一条天皇は英明な天皇であらせられたようですがお体が丈夫でなく、その前の永祚(えいそ)元年、西暦ですと989年ですけれども、お正月に「御膳の誤り」を起こして、安倍晴明が治療したとされています。御膳の誤りとは恐らく消化不良だと思います。

――要は、精神的なストレスによる胃腸の不調がおはらいで軽くなったということですね。

早川:
そうだと思います。おはらいをしてもらうことで気持ちが落ち着き、症状が軽くなったんではないかと考えます。現代の医療現場でも、話を聞いてもらうだけでも体調がよくなることはよくあります。

当時、宮中に仕える医師はいた

――ちなみに、当時は天皇家や貴族を診て薬を出すお医者さんはいなかったんですか。

早川:
道長が権力を握る前から宮中に仕えるお医者さんはいました。丹波康頼(たんばのやすより)という方が、984年に唐の時代の医学書を参考に「医心方(いしんぽう)」という、30巻に及ぶ膨大な、わが国最古の医学書を宮廷に献上しています。これを見ますと、かなり正確に患者さんを診て処方を決めていたことが分かります。
康頼の子孫は代々お医者さんが続いたんですけども、映画俳優だった丹波哲郎さんもそのお1人で、丹波さんのおじいさんは薬学者、お父さんは薬剤師かつ日本画家でした。

安倍晴明は患者の訴えを十分に聞けていた人物だろう

――ところで安倍晴明自身は、何かの病気で亡くなったんでしょうか。

早川:
安倍晴明の病歴と死因は分かっておりません。ただ、当時としては高齢の83歳まで生きておられますので、健康を保ち、老衰で亡くなったのではないかと考えます。

――安倍晴明の子孫はどうなったんですか。

早川:
安倍晴明には安倍吉平(よしひら)という息子がいて、藤原道長やその後継者で宇治の平等院を作った藤原頼通(ふじわらのよりみち)に仕えて吉凶を占ったり、病気を治したりしていました。
さらにその子孫は土御門(つちみかど)家というお公家さんになりまして、明治に入り、政府が西洋式のグレゴリオ暦を採用するまで宮廷の暦をつかさどる職にありました。明治維新後には子爵に叙せられましたけれども、明治3年に陰陽道をつかさどっていた陰陽寮が廃止され、経済的には厳しくなったとされております。

――いろんな文献を調べていて、早川さん、医師の立場から安倍晴明をどう見ていますか。

早川:
今の時代、私どもは電子カルテの画面ばかり見ていて患者さんの目を見て話を聞かない、と怒られるんですけれども、患者さんの訴えを十分に聞いて納得させてあげることができた方だと思います。

――ああ、なるほどねえ。

光る君へ

日曜日 [総合] 午後8時00分/[BS・BSP4K] 午後6時00分

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【放送】
2024/01/23 「マイあさ!」

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