爆投下から75年 市長
「核兵器禁止条約の締約を」

広島は、原爆が投下されて75年となる「原爆の日」を迎えました。新型コロナウイルスの影響で、例年どおりの追悼が難しい状況となるなか、広島市では平和記念式典が行われ、松井一実市長は日本政府に対し被爆者の思いを誠実に受け止めて核兵器禁止条約に参加するよう求めました。

広島市の平和公園で午前8時から行われた平和記念式典には、被爆者や遺族の代表をはじめ、安倍総理大臣のほか、83の国の代表などが参列しました。

ことしの式典は、新型コロナウイルスの感染を防ぐため会場の平和公園への入場が規制され、一般の参列者席が設けられず、参列者は例年の1割に満たない780人余りとなりました。

式典ではこの1年に亡くなった人や新たに死亡が確認された人、合わせて4943人の名前が書き加えられた32万4129人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められました。

そして原爆が投下された午前8時15分に参列者全員で黙とうをささげました。

広島市の松井一実市長は平和宣言のなかで、「日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、被爆者の思いを誠実に受け止めて核兵器禁止条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し、『連帯』するよう訴えてもらいたい」と述べ、政府に条約への参加を求めました。

これに対し、安倍総理大臣は、核兵器禁止条約には触れず、「核軍縮をめぐり立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取り組みをリードしていく」と述べました。

原爆が投下されて75年となり、被爆者の平均年齢はことし、83歳を超え、被爆者団体の解散が相次いでいて、原爆の悲惨さをどう語り継いでいくのかが課題となっています。

被爆地・広島は、6日、犠牲者を追悼する祈りに包まれるとともに、「核抑止力による平和」ではなく「核兵器のない平和な世界」の実現を願う被爆者の声に向き合い、その訴えを国内外に発信する一日になります。
世界の核軍縮を巡っては、核保有国が核兵器の近代化を進め、非核保有国との対立が深まるなど、核兵器廃絶に向けた動向が不透明となっています。

3年前、国連で採択された核兵器禁止条約は、現在の批准国が40か国で、発効に必要な50か国に達していません。

午前8時15分に合わせて平和公園の近くの元安川沿いで黙とうをしていた21歳の女子大学生は「私が生まれる以前の悲劇の上に今の私たちの存在があると思って祈りをささげました。戦争の記憶が薄れればまた同じことが起きかねないので、次の世代に責任をもって伝えていきたいです」と話していました。

また、両親と兄を亡くし式典のあと原爆慰霊碑に祈りをささげた広島市の88歳の女性は「私自身は原爆が投下される前日に疎開していたのでたまたま無事でした。核のない平和な世界になってほしいというのが切実な願いです」と話していました。

式典で演奏された被爆ピアノ

ことしの式典では、新型コロナウイルスの飛まつ感染を防ぐため例年行われている「ひろしま平和の歌」のコーラスを取りやめ、被爆ピアノの演奏に合わせて高校生3人が歌いました。

被爆ピアノは75年前に原爆の熱線や爆風にさらされたあと、今も音色を響かせているピアノで、広島市の調律師、矢川光則さんによりますと、広島や長崎などで少なくとも11台残っているということです。

このうち、広島市の平和記念式典で演奏に使われた被爆ピアノは、爆心地からおよそ3キロ離れた広島市南区宇品の住宅で被爆し、20年余り前に、矢川さんが被爆者団体から譲り受けました。修復の結果、音色を響かせるようになりましたが、爆風によるガラスの破片が突き刺さった傷痕は今もそのままの状態で残されています。

このピアノは、3年前、ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンがノーベル平和賞に選ばれた際、ノルウェーで開かれた記念のコンサートでも使われ、その音色は大勢の観客たちを魅了しました。

グテーレス国連事務総長がビデオメッセージ

平和記念式典には国連のグテーレス事務総長が初めて出席する予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で断念し、ビデオメッセージが会場で上映されました。

この中で、グテーレス事務総長は核兵器をめぐる状況について「核のない世界は、われわれの手からすり抜け、さらに遠のいていくように見える。対立や不信感、対話の欠如により、世界が無制限な核競争の再発の脅威にさらされている」と指摘しました。

そのうえで「意図的なものや誤算によって核兵器が使用されるリスクは非常に高く、このような傾向が続くことは許されない。核兵器の危険を完全に排除する唯一の方法は、核兵器を完全に排除することだ。核兵器禁止条約の発効を心待ちにしている」と述べました。

そして「若者たちは重要な役割を担っている。彼らの考えに耳を傾け、声を聞く場を作るべきだ」と述べ、核兵器に対する若い世代の認識の変化に期待する考えを示しました。