変貌のまちを誰に託したか
熊本県知事選

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世界最大手の半導体メーカー、台湾の「TSMC」の工場進出で熊本県が沸いている。
銀行が試算した経済波及効果は、10年間で実に6兆8000億円。
巨大なインパクトだ。
その熊本で、3月24日、知事選挙が行われた。
県民は変貌するまちのかじ取りを誰に託したのか。
(渡邊功、武田健吾、矢野裕一朗)

巨大工場が完成

「オープン!」
2月24日、TSMCの新工場が完成した熊本県菊陽町で開所式が開かれた。

TSMC開所式

人口4万3000あまりの菊陽町に進出した巨大工場は、敷地面積20万平方メートル超で東京ドーム4.5個分。投資額は日本円で約1兆2900億円に上る。

TSMC外観と菊陽町の地図

会場には、TSMCのカリスマ創業者として知られる人物の姿もあった。
張忠謀氏だ。半導体業界では「モリス・チャン」という呼び名で広く知られている。
会社を立ち上げたのは1987年。まさに日本の半導体が世界を席巻していた時代だ。
それから40年近い時を経ての日本進出となったことをどう思っているのか。
張氏はソニーの創業者の1人で故・盛田昭夫氏との思い出を振り返ったあと、次のように述べた。

「(新工場は)半導体供給における強靭さを、日本にとっても世界にとってもさらに強化することが可能になると思う。また、これは私の希望でもあるが、半導体製造の日本におけるルネサンス(復興)の始まりということを信じているし、期待している」

TSMC会長 張忠謀氏
張忠謀氏

経済波及効果に期待高まる

TSMCの新工場がもたらす熊本県内への経済波及効果について、熊本市に本社を置く地方銀行グループの「九州フィナンシャルグループ」は10年間(2031年まで)で6兆8000億円余りに上ると試算している。
また、民間のシンクタンク「九州経済調査協会」も、TSMCを含む九州の半導体産業の設備投資によって、10年間(2030年まで)の経済波及効果が約20兆円に達するという推計を公表した。

一変したまちの景色

TSMCは、まちの景色を一変させている。
新工場最寄りのJR豊肥本線「原水駅」。
駅員のいない無人駅で、かつては閑散としていたが、通勤時間帯は多くの利用客で混雑し行列ができるようになった。

原水駅前の行列

新工場では、関連企業からの出向なども含め約1700人が働くことになっている。台湾から家族と一緒に移り住んだ人たちで電車は混み合うことが多い。JR九州はさらに人口が増えることを見込んで、新たな駅を2027年春の開業を目指して設置することを決めた。

また、菊陽町と周辺では、マンションの建設ラッシュが起きている。
去年9月に公表された「地価調査」によると、菊陽町の住宅地の上昇率は21.6%に上った。地元の不動産会社は、ある法人から「マンション1棟をまるごと借りたい」というこれまでになかった要望が寄せられていると話す。

大きな課題

バブルのような熱狂があちこちで感じられる菊陽町。しかし必ずしも喜んでばかりいられない現実が見えてきている。

まず、大きな問題となっているのが慢性的な交通渋滞だ。
菊陽町やその周辺では国道などの幹線道路が通っているが、以前から交通渋滞が起きていたことに加え、TSMCの進出などに伴い、朝夕の通勤時間帯を中心に渋滞が深刻になっている。

さらに次の3つが大きな課題となっている。

TSMC進出の課題

①“人手不足”

いま、九州では企業間の人材の奪い合いが激しさを増している。
人口減少が進む中、TSMC側が打ち出したある一手が争奪戦の“号砲”となったのだ。
それが「大卒の初任給28万円」だ。
これは熊本県内の製造業の平均より3割以上高い水準だ。
急激な賃金相場の上昇に、地元企業からは人材確保がさらに難しくなっていると、悲鳴に近い声もあがっている

②“農地転用”

TSMCの進出が決まったあと、地元では農地の転用が相次いでいる。
たとえば、借地で飼料を生産している酪農家が地権者から土地の返還を求められるようなケースが出ているのだ。周辺の地価が上昇する中で、『農業以外の用途で土地を売りたい」という地権者が増えているものとみられる。

地権者から返還を求められている土地
返還を求められている農地と利用している酪農家

海外からエサを輸入すればコストが増えるため、経営に打撃となることが避けられない。

③“環境保全”

一般的に半導体関連の工場では洗浄などのために大量の水を使用する。TSMCの新工場でも多くの水が使われる予定で、使ったあとの排水は1日あたり約1万トンとも見込まれている。
その排水は地下の配管を通って、約10キロ離れた熊本市の「熊本北部浄化センター」に流れ込む。

TSMCからの排水を処理するルート

消毒などを行って処理したあと、近くの坪井川に放流するが、センターでは放流前の水を月に3回採取して検査し、県のホームページで結果を公表することにしている。
一方、熊本県が去年8月、台湾で半導体関連企業が立地するエリアの水質などを調べたところ、一部で日本の基準を満たしていないことが分かったという。県はTSMCに日本の排水基準を守らせていく考えだ。
また、工場が大量の地下水をくみ上げることによる環境への影響も懸念されている。

変貌するまちの知事選挙

巨大工場進出による光と影が徐々に鮮明になる中、熊本県では3月7日、知事選挙が告示された。

蒲島郁夫知事の退任に伴うもので、4人の新人が立候補したが、
事実上は元副知事の木村敬氏(49)と元熊本市長の幸山政史氏(58)の一騎打ちの構図となった。

蒲島知事の後継候補として立候補したのが木村さんだ。

元総務省の官僚で、3年あまり熊本県の副知事を務めた。
蒲島知事が東京大学の教授を務めていたときの教え子で、自民党と公明党が推薦した。

熊本県知事選挙・木村候補

立候補の理由として、「蒲島県政の『良き流れ』を受け継ぐ一方、改めるべき点を改めることができるのは私しかいないと考えたから」をあげている。

木村さんに先んじて立候補を表明したのは幸山さん。

県議会議員を経て2002年から熊本市長を3期12年務めた。
知事選には前回、前々回に続いて3回目の挑戦。
今回は立憲民主党など野党4党の地方組織が自主的に支援した。

熊本県知事選挙・幸山候補

立候補した理由を「愛するふるさと熊本のため、県民のための開かれた県政を実現しなければならないという強い思いに駆られた」としている。

TSMCにどう対応

熊本の今後に大きな影響を与えるTSMCにどう対応していくかは、県政の重要テーマになる。
まずは光の部分と言える、TSMCの巨大な経済効果をどう県内に行き渡らせていくのか、2人の考えを聞いた。

市町村との連携強化のため地域未来創造会議を立ち上げ、個性ある地域・経済振興を進め、県内全域の地域や人づくりに投資する

県税の増収分などを活用して地域の特性に沿って光が届きにくい地域を中心に市町村と連携しながら、地場産業の育成や振興に積極的に取り組む

一方、影の部分である、交通渋滞や地下水の保全などにどう取り組んでいくのかも聞いた。

交通渋滞の解消に向け、道路環境の改善やバス増便など公共交通の利用拡大に直ちに着手する。また、代替水源の確保や、地下水かん養の拡大、環境モニタリングも徹底する

蒲島県政は市町村とプロジェクトチームを編成し、課題解決に向けた取り組みを進めているが、私が知事に就任したら県がリーダーシップを発揮して課題ごとの対応方針を早急にとりまとめるための協議の場を設ける

新しい知事は蒲島知事後継の木村さん

そして3月24日、投票が行われた。
投票締切直後の午後8時、蒲島知事の後継として立候補した木村さんの当選確実が決まった。
NHKは投票日当日行った出口調査で新しい知事に蒲島県政を「継承してほしい」か「刷新して欲しい」か聞いた。

NHK熊本県知事選挙当日出口調査 県政継続か刷新か

「継承して欲しい」は69%で「刷新してほしい」の31%を大きく上回った。

そして、「継承してほしい」と答えた人のうち60%台後半が木村さんに投票したと回答した。

熊本県知事選挙当日出口調査 県政継続の内訳


県民は、圧倒的人気を誇った蒲島知事の後継としての木村さんに県政を託した。今回の選挙は蒲島県政の修正すべき点は修正しながら、さらに前に進めていくとする木村さんの訴えに多くの支持が集まったという結果になった。

今回の選挙では世界最大手の半導体メーカー、台湾の「TSMC」の工場進出に伴う課題についても木村さんと敗れた幸山さんは論戦を交わした。今後の取り組みについて木村さんは当選確実を支持者に報告した後のインタビューでこう話した。

インタビューに答える熊本県木村新知事

「TSMCの進出、これは国家プロジェクトとして、私も一緒にやってきた。このプラスの効果を県内各地域に広げていくとともに、心配されている課題に一つ一つ的確に答えて、県民みんなが幸福になれる熊本を実現して行きたい」

3月11日などの「クマロク!」や3月24日熊本県知事選挙開票速報で放送。

熊本局記者
渡邊 功
2012年入局 和歌山局 経済部を経て現所属 県政と経済の取材を担当
熊本局記者
武田 健吾
2019年入局 熊本が初任地 阿蘇支局などを経て県政を担当
熊本局記者
矢野 裕一朗
2018年入局 盛岡局を経て去年から現所属 知事選では出口調査や情勢分析などを担当