磨崖仏の 混乱のまち

ユネスコ世界遺産に登録されている中国・四川省の「楽山大仏」。岩肌を削って造られた巨大な仏像を一目見ようと世界各地から多くの観光客が訪れます。「こんな石像が我がまちにもあったら…」。そんな夢から始まった、日本のあるまちの石像構想。“磨崖仏”と呼ばれる石像を岩肌に掘る構想で、実現へ突き進む市長に対して有識者の検討委員会は「誘客効果はない」とばっさり。それでも市は関連する予算案を議会に提出して…。“磨崖仏”をめぐる混乱は、意外な結末を迎えます。
(大分局記者 瀬藤洋輔)

それは選挙公約から始まった

「インド、中国、日本の石像をそれぞれ10体、あわせて30体の石像文化を全国に情報発信し、観光誘客として70万人くらいを計画している」

大分県豊後高田市で去年4月に行われた市長選挙。初当選した佐々木敏夫市長はインタビューに対して意気込みを語りました。県議会議員として30年の経験を持つ佐々木市長。選挙の公約で訴えてきたのが30体の「磨崖仏」と呼ばれる石像を市内の岩肌に掘り、新たな観光の呼び物を作るという構想でした。

念頭にあったのは、ユネスコ世界遺産に登録されているインドの「アジャンター石窟群」や中国・四川省にある「楽山大仏」と見られます。このうち「楽山大仏」は、岩肌を削って造った高さが71メートルの巨大な仏像で、歴史的な文化財を見ようと、毎年、世界各地から多くの観光客が訪れています。佐々木市長は、こうした世界遺産をまねて市内の山の岩肌に石像を彫り、集客を促そうとしました。

テーマは仏教伝来

ほかの自治体と同様、人口減少が続く豊後高田市。地域の発展のためには、定住人口とともに、交流人口を増やす観光施策も重要だという考えでした。

豊後高田市のある大分県の国東半島一帯には、今から1300年前に開かれたとされる「六郷満山」と呼ばれる寺院が点在し、神仏習合の独特な文化を今に伝えています。

国東半島は古くから「仏の里」と呼ばれ、豊後高田市内にも国の重要文化財の「熊野磨崖仏」をはじめ、平安時代以降に造られたとされる歴史的価値のある磨崖仏や石仏が多く見られます。佐々木市長の構想は「六郷満山」の文化を学べる「仏教伝来」をテーマにした施設を造ろうというものでした。

“誘客効果はない”

こうした構想に対して市民からは「観光客の誘致に向けて力を入れるべきところは、ほかにあるのではないか」とか「そのような構想で人が本当に集まるのか」などと疑問視する声がある一方、「市の活性化のためにやっていることなので、よいのではないか」とか「考え方によっては、今から歴史ができて、100年後、200年後は彫った石像が文化財的なものになるかもしれない」などと肯定的に受け止める意見もありました。

ところが、ことし2月、磨崖仏構想に「待った」がかかりました。市が諮問した有識者の検討委員会が、構想に対して否定的な答申をしたのです。答申では、すでに市内には熊野磨崖仏などがあるとしたうえで「歴史の裏付けがない磨崖仏は、誘客効果がない」と指摘しました。また、磨崖仏の整備を検討している場所の周囲には景勝地があることから、「景観を損ねるマイナス面が強い」とばっさり。そして、ほかの誘客対策を検討するよう求めたのです。ところが…。

一転した答弁

佐々木市長は、構想の実現に向け突き進みます。答申について佐々木市長は「答申の指摘は考え方の相違だと思っているが、これらを十分に理解したうえで実施したい。問題点があれば学識経験者や地域の皆様と議論を重ねながら一つずつクリアしていきたい」などと主張。構想をあきらめるどころか、磨崖仏の石像群をどこに、どれくらいの大きさで造ればいいのか検討するために地質調査を行ったり、設計を行ったりする費用として、800万円を盛り込んだ予算案を9月に開かれた市議会に提出したのです。

これに対して市議会は紛糾。議員からは「検討委員会の見解は、石像をつくることに賛成ではない。事業に対して賛成か反対かを、市民に意見を聞く考えはないのか」とか「石像ありきになっている。石像が活性化の起爆剤になるのか」などと疑問の声が相次ぎました。

市議会の質疑で、磨崖仏構想についてただした議員は6人のうち5人。この全員から否定的な意見が出され、このうち4人は予算案を取り下げるよう迫ったのです。しかし、市長は答弁で「誘客効果は大きく、地域の活性化には必要だ。ご理解いただきたい」などと従来の見解を繰り返しました。

ところが、休憩を挟んだあとの質疑で事態は急転。佐々木市長は「もっと市民全体の意見を聞くべきだという指摘をいただき、熟慮のうえで取り下げることにした」と発言。一転して関連予算案を「取り下げる」ことを明らかにしました。何が起きたのでしょうか。

白紙に戻った構想

質疑の途中、執行部側が30分ほど休憩を取りました。関係者によりますと、休憩に入ると市長は、副市長や教育長、それに関係課長を市長室に集め、そこで、関連予算を取り下げる意向を示したということです。

理由の1つには、構想の関連予算が盛り込まれた補正予算案には、ことし7月の豪雨で被害を受けた道路や農地などの修繕費用8600万円余りも含まれていました。関連予算への反対を理由に補正予算案が否決されれば、市民生活に与える影響も大きいと考えたということです。

結局、佐々木市長は磨崖仏構想をいったん白紙に戻し、別の観光振興策を検討していく考えを示しました。
日本を訪れる外国人観光客は年々増加し、ことしすでに2000万人を超えています。東京や大阪、京都などに集中していた観光客も少しずつ地方にも足をのばすようになり、地域経済にとって観光は重要産業となっています。地方が観光客を呼びこむためには、地域の資源を生かしながら、いかにインパクトのあるアイデアを打ち出すことができるかも大きな鍵になります。

今回、議論となった豊後高田市の磨崖仏構想。インパクトは大きくとも、市民や議会の理解を得ていくことが欠かせないことを改めて示したと言えます。

大分局記者
瀬藤 洋輔
平成12年入局。宮崎、松山、テレビニュース部を経て大分局へ。遊軍担当として県内の市町村を取材。