防衛増税
「聞かない力」も岸田流?

戦車に乗る岸田首相

総理大臣・岸田の指示を発端に、師走の日本に巻き起こった防衛増税の議論。自民党内を二分し、国民の理解も十分に得られない中、岸田が押し切る形でわずか1週間で決着した。その舞台裏に迫る。
(瀬上祐介、清水大志、山田康博、立石顕、佐々木森里)

“防衛の岸田だ”

2022年の年の瀬が近づく12月下旬の夜。
東京・平河町の料理店で開かれた、岸田も出席した与党の会合。

「外交の安倍、防衛の岸田だ」

ある公明幹部の発言に、拍手が鳴りやまなかったという。

この会合に先立ち、政府は、「国家安全保障戦略」など3つの文書を決定した。

閣議前の様子

▼敵のミサイル発射基地などをたたく「反撃能力」の保有を明記するとともに、▼今後5年間の防衛力整備の水準を今の1.6倍のおよそ43兆円にするという、大幅な防衛費増額を決めた。日本の安全保障政策の大転換となる。
そして、自民党内の反対論を押し切り、▼防衛費増額で不足する財源は法人税などの増税で賄う方針も決めた。

会合の出席者の1人は「今回、岸田総理は、『意外と頑固な人だ』と言われるくらい、強い覚悟でやりきってくれた」と話す。
しかし、岸田は、歴史的には「軽武装」で知られた自民党の派閥・宏池会=岸田派の領袖だ。なぜ防衛分野にそこまでこだわりをみせたのか。

安倍のバトン

防衛増税の議論が始まる直前の11月24日。岸田は都内の写真展を訪れていた。

安倍氏、オバマ氏の写真と岸田首相

会場には、元総理大臣・安倍の生前の活動を紹介する写真の数々。
安倍が当時のアメリカのオバマ大統領と広島を訪問した時の写真などを眺めながら、岸田の目には光るものがあったという。

総理周辺はこう解説する。

「岸田さんは安倍さんが成立させた、集団的自衛権などを盛り込んだ安全保障法制の体系を機能させるために、防衛力を量的・質的な面で担保していくのが自分の仕事だと、よく語っている」

岸田は第2次安倍政権で、4年半余り外務大臣を経験し短期間だが防衛大臣も兼務した。国民の命を守るため、最優先は外交的努力だとしながらも、外交に説得力を持たせるためには防衛力が必要だという考えを持つに至った。

「安倍さんの“バトン”を自分はつなぐ」
それが、岸田の信念だという。

その言葉の裏には、安倍が亡くなる直前まで防衛費の大幅増を主張し、最大派閥・安倍派の議員たちも、その遺志の実現を重視する声を強めていたという政治状況もあったとみられる。

増税への布石

防衛費の増額には、増税を含めた安定的な財源が欠かせないと考えていた岸田。

岸田が主導し、のちに増税に向けた布石だと明らかになったのが、9月の有識者会議設置だ。
それまで防衛力強化の議論はNSS=国家安全保障局の中で非公開で行われていた。

しかし、岸田は最終的に国民に負担をお願いするのであれば、その議論の過程を一定程度オープンにすることを通じて国民に理解を求めようと考えた。

有識者会議

(有識者会議の出席者)
「幅広い税目による国民負担を明確にして理解を得るべきだ」

会議では増税を念頭においた財源論が相次いだ。
取材すると、ある話が入ってきた。

「財務省がよく有識者を回っている」

岸田の意向を踏まえて、財務省が水面下で動いていた。

“聞く耳を持ってない”

11月22日に有識者会議から提言を受け取ると、岸田の動きは早かった。

茂木氏、麻生氏、萩生田氏、世耕氏の写真

翌23日から27日にかけて、国会日程の合間を縫って昼や夜、それに休日も返上し、幹事長の茂木、副総裁の麻生、政務調査会長の萩生田、参議院幹事長の世耕といった自民党幹部と個別に会談を重ねていった。

会談で、岸田はスーツの内ポケットから、たびたび「マスク入れ」を取り出した。

マスクを外す岸田首相

「マスク入れ」の裏側には、手書きの図が描かれてあった。今後5年間の防衛費増額の伸びとそれを裏付けるために増税を含めた財源が必要であることを表した図だ。岸田がみずから描いたという。

党幹部にそれを見せながら、みずからの考え方を力説した。
ある党幹部は、増税を念頭においた財源確保策に苦言を述べたという。

苦言の背景には、財源として、増税ではなく、国債の発行を優先すべきだという考えを生前の安倍が主張していたこともあった。

この時の岸田を、ある幹部はあきれるようにこう評した。

「聞く耳を持っていなかった」

“聞かない力”がある

一方、総理周辺は、岸田のこうした一面を肯定的に捉えている。

「岸田さんは『聞く力』ばかりに注目が集まるが、近くで見ていると『聞かない力』っていうのもある。こだわりがあるテーマは、一度決めたら我々が何を言っても頑として動かない」

「岸田さんはいつも『平和国家の矜持としてミサイルなどの購入を借金に頼ってはならない。財源は今を生きる我々で担うべき、将来世代に先送りしてはならない』と話していた。我々が準備した発言ペーパーにも、増税の必要性を訴える部分だけは、みずからペンを入れて修正し、自分の言葉で語ることにこだわっていた」

“絶対に決める”

岸田は増税議論の党内とりまとめにも、みずから動いた。

12月8日に増税検討を指示し、その翌日に開かれた自民党の政務調査会の全体会議では、増税に理解を示す声が出た一方、安倍派の議員を中心に、拙速な増税の議論に反対や慎重な意見が相次いだ。

自民党の政務調査会の全体会議

(出席議員)
「年末までに決めるのではなく、じっくり議論する必要がある」
「財源の選択肢として国債の発行も加えるべきだ」

総理周辺によると、岸田はこうした党内議論の議事録を取り寄せ、ひとつひとつの意見に目を通していたという。その上でこう語っていたという。

「絶対に決める」

議論がヤマ場を迎えた15日には、予定されていた総理日程を一部取りやめ、みずから党幹部に相次いで電話をかけて、こう迫った。

「何としても、今日中にまとめたい。柔軟に対応する用意がある」

宮沢税調会長

岸田の指示を受けた自民党税調会長の宮沢は、与党幹部と相次いで個別に接触を重ねた。
税制改正大綱には税目、税率は記載するものの、増税時期は決めない方針を説明して、理解を求めた。

一見すると、増税時期は明記しないことで岸田が譲歩した形に見える。
しかし、税制改正大綱には施行時期は『令和6年以降の適切な時期』と書いてある一方、前段では『令和9年度に向けて複数年かけて段階的に実施する』と明記されている。

総理周辺によると、この『複数年』と『段階的』を盛り込んだのがポイントだという。
あわせて読むと令和6年度から令和8年度の間に増税を開始すると読めるようになっており、譲ったように見せかけて、その実を取ったようなものだという。

陸上自衛隊の隊員たち

こうして岸田は防衛増税の議論をわずか1週間で決着させた。
なぜ岸田は年内決着にこだわったのか。
総理周辺は「岸田さんにとっては『今しかない』ということだ」と解説する。

「増税はいつの時代も反発があり決めにくい。防衛費増額を決めたのに、財源を決めなければ今後『何税であげるのか』と国民が疑心暗鬼になる。ウクライナ情勢や北朝鮮の相次ぐ弾道ミサイル発射で安全保障への国民の関心が高まっているこのタイミングを逃せば、より難しくなるという総理の判断があった」

増税批判にどう応える

しかし、今回の防衛増税の議論のプロセスを「拙速だ」などと公然と批判した自民党議員が、最大派閥の安倍派に多く見られたこともあり、「政局の火種」が2023年に持ち越された形と言える。

政務調査会長で安倍派の萩生田は、12月25日、「これまでの議論には少し違和感がある」と発言。増税の実施前に衆議院の解散・総選挙を行い国民の信を問う必要があると、くぎを刺した。

1月に召集される通常国会では、野党側による厳しい追及も予想され、国会論戦を通じて世論の理解を得られるかが、今後の重要なポイントになる。

岸田が見せた「聞かない力」は、岸田なりのリーダーシップの発露なのか、それとも批判に耳を傾けない剛直さだったのか。その真価はまだわからない。

政治部記者
瀬上 祐介
2005年入局。防衛省キャップ。長崎局、経済部、沖縄局での経験も。
政治部記者
清水 大志
2011年入局。初任地は徳島局。自民党・岸田派の担当などを経て官邸クラブに。
政治部記者
山田 康博
2012年入局。京都局初任。政治部では法務省や公明党の担当などを経験し、現在は自民党を担当。
政治部記者
立石 顕
2014年入局。2020年から政治部。当時の菅総理大臣の総理番を経験後、防衛省担当を経て自民党を担当。

政治部記者
佐々木 森里
2015年入局。大分局を経て政治部。総理番、野党担当を経て現在は公明党の番記者。