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NHK長崎【会見全文】長崎市・田上富久市長 政界引退へ   

  • 2022年12月09日

現在4期目の長崎市の田上市長。
任期満了に伴って行われる来年の市長選に向けて,その去就が注目されていましたが、きょう引退の意向を発表しました。

12月9日午後に開かれた市長会見での市政記者たちとの1問1答をお届けします。

       NHK長崎・記者 小島萌衣 池田麻由美  

Q. 来年の市長選への対応は?

私は今期を機に市長の立場を離れ、5期目を目指さないという決断をした。
今から15年半前、就任後最初の施政方針で、私は今が大きな変革の時期であるという時代認識を述べ、変化に翻弄されるのではなく、自ら変化し、大変な時代を乗り越える力強い町を目指したいと述べた。そのとき以来、次の時代の基盤作りが私の使命と考え、ソフト・ハード両面の基盤作りに全力で取り組んできた。4期16年の時間を経た今、私たちが大きな変革の時代にいることが、より鮮明になってきている。そして、長崎市では、取り組んできたさまざまな事業が1つずつ形になり、未来の基盤が少しずつ見えるようになってきた。今、私たちは、次の時代の基盤作りを仕上げるとともに、その基盤の生かし方、使い方に力を尽くす新しいステップに入ろうとしている。
SDGsやDX、ゼロカーボン、新しい産業、文化、スポーツなど、その種火は私たちの手元にある。これをどう育て、長崎をより魅力的で暮らしやすく、活力のある町にしていくのか、それが次のテーマだ。私は町作りは10年単位で考える必要があると、常々申し上げてきた。これから本格的に始まる新しいステップも、少し時間のかかる作業になると思う。であれば、それは新しいリーダーの元でしっかりと進めるほうがいいと考えた。それが今のタイミングという理由。新しいリーダーの元で新しい発想を加えながら長崎の町づくりが力強く前進し続けるよう祈っている。
 

Q. 新しいリーダーはどんな人がふさわしいと思う?

長崎の町づくりをこれまで進めてきたが、ある意味ではまだ、道半ばなので、そういう時代認識と町づくりの状況についての認識をもって、次のステップで取り組むべきことをしっかり進めてくれる人がいちばんふさわしいと思う。
 

Q. 具体的には誰かいるか?

この段階で明確にいるわけではない。長崎市を担っていくという強い思いを持って手を挙げてもらうことが大事だと思っているし、そういう思いを持っている人がいるというのも耳に入っているので、そういう意味ではそういった方が選ばれて、次の町づくりをしっかり進めてくれることを願っている。
 

Q. この時期に判断したのはなぜ?

バトンをつなぐ時期がいつかというのは、特に今回は4期目だったので1年前くらいから折に触れ考えてきた。今回か、4年後か、長崎の町づくりのためにどうするのがいちばんいいのか熟慮するのに時間が必要だった。今月に入ってすこし集中して考える時間があったので、先ほどのような考えに至って、最終決断した。そういう流れの中で、家族にも了解してもらって、後援会にも了解をいただいた。
 

Q. 県知事も佐世保市長も世代交代となっている。多選や自身の年齢についてどう考えている?

多選については、それほど重視していなかった。むしろ町づくりのほうを重視して、どうバトンを繋いでいくのかが私の最大の物差しで、5期目というのはさほど大きな支障ではなかった。
県知事が交代し、佐世保市の市長も交代されるということで、そういう交代の時期なのは偶然もあるかもしれないが、新しい動き方・新しい市政の作り方を求める時期が何かあるのかもしれないし、そういった意味では長崎県は今、新しい時代に入ろうとしているということでもあると思う。
 

Q. 自身の年齢についてはどう受け止めている?

年齢については、66歳がどうなのかというのはいろいろな見方があると思うが、健康状態は人によって違うし、年齢というより、そちら(健康状態)のほうが考慮する要因にはなるのかなと。
 

Q. 4期16年を振り返るとどうか?思い入れが強い事業は何?

最初のころ、職員時代からやる必要があると思っていた自治体コールセンター(あじさいコール)の編さんをしたり、次の時代の町づくりを特に意識するようになってからは、重点プロジェクトを置いて様々な施策を進めてきた。地域コミュニティの仕組みを作ったり、新しい仕組みを地域の皆さんに置かせていただいたり、それに呼応する形で市役所の仕組みも変えて、総合事務所、地域センターという新しい形を作って行政と地域が連携して動く形を作ったり、まちぶらプロジェクトも非常に印象深く、出島表門橋の架橋も思い出に残っている。出島メッセも10年近くかかっているので印象深い。どれも重点プロジェクトとして進めてきた。重点プロジェクトはどれも思いが強い。
 

Q. 平和行政については?

いろいろな事業を進めるにあたっても、時代認識、大きな視点・長い視点で、今がどこにいて何をすべきか考えるのが大事だと思っている。そういう意味では平和行政に関しては、被爆者の高齢化、被爆者がいる時代の終わり・被爆者がいない時代の始まりが近づく中で、今すべきことが何かを組み立てながら進めてきた。
被爆者援護の分野でも継承の分野でもそうだ。その認識のもとで今私たちがすべきこと、バトンを持っている私たちの世代でやっていかなければならないことをやってきた。それは今も続いていると思う。被爆者のいない時代が近づいていることを年々強く実感している。これからもその分野の取り組みについてはしっかりやっていかないといけない。
最後の時期になって「平和の文化」についての取り組みが今、始まっている。
平和宣言では4年続けて言及していると思うが、被爆者ではない人や、戦争体験・被爆体験に触れる機会が少ない人たちも含めて、みんなで進めていかないとすそ野が広くならず変わっていかないということもこの16年間で体感し、強く感じているので、「平和の文化」を広めていくというのがこれからますます大事で、それがようやく始まったという地点まで来た。
 

Q. G7の保健相会合が長崎で予定されているが、次の市長に期待することは?

G7の保健相会合は長崎の町づくり・長崎の発展について、ひとつのエポックとなる事業だと思う。それは、1つは広島サミットと連携して平和について世界のリーダーに伝えていく契機になるという意味で。もうひとつは長崎がMICE都市として国際的な会議が開催できる町としてデビューしていく契機にもなると思うので、そういう意味でも未来につながるいい機会になるのではないかと思う。国の会議なので市長が果たす役割は限定的かもしれないが、意義を発信していただいて、次につなげようということを新しい市長になる人にも発信していただければ。
 

前夜に続いて報道陣の直撃を受けた、朝の田上市長

Q. 1期目の選挙を振り返って?

1期目は2日と2時間しか選挙運動をしていないが、その濃密な選挙運動を経て、市民の皆さんから市政を託していただいて、953票差のぎりぎりで1期目がスタートしたが、この16年間を振り返ると、まだ終わってはいないが、この歴史あるすばらしい長崎という町の市政のかじ取りを4期16年間に渡って託していただいたことを本当に光栄に思うし、託していただいた市民のみなさまに本当に感謝したい。一緒に取り組んでいただいた市長の皆さん、大学の皆さん、市議会の皆さん、一緒になって市政に取り組んでいただいたし、特にこの16年、私が目指そうとした市政を実現するために日々、全力で仕事に取り組んでくれた職員の皆さんには心から感謝したい。
 

Q. 出馬しない理由として基盤づくりが仕上がったとのことだが、具体的には?

仕上がったというところまではまだいっていない。ソフト・ハード両面で、たとえば地域コミュニティや市役所、地域包括ケア、子育てなどソフト面、そしていま100年に1度と言われているハード面の町作りと、両面で進んできたが、これはもう少し続くと思う。それから少しずつ落ち着く。一方でそれをどう生かしていくかという、施設の使い方、ソフトの取り組みはこれから本格的に始まっていく。始まる中で、途中からではなく、これから本格的にやろうという中で、最初から新しいリーダーのもとで進めていくことが、非常に長い30年くらいの流れでいうと一番ベストじゃないかということで、これを第2ステップに入る区切りにする方がいいのではないか。
 

Q. ほかに理由はあるか?

これがほとんど。家族にも普通とは違う負担を掛けてきた面もあるので、自分自身もそういった意味では、なにか新しいことでできることがあるかもしれないので、これですべて終わって引退というか何もしないわけではないので、政治から引退しても何かできるのではないかなと思う。ただそれがメインの理由ではなく、先ほど話した理由がほとんど。
 

Q. これから長崎の町づくりにどう関わっていく?

今は何も考えていない。当面は任期が5か月残っているのでそれをしっかり全うするのが一番のミッション。それから少し休んで考えたいと思っている。
 

Q. 後継者は指名しないのか?来春の市長選にはどう関わる?

アプローチがあって今の市政を一番つないでくれるのではないかという人がいたら応援することはあると思う。
 

Q. 政界から引退するのか?

先のことはじっくり考えていないが、基本的にそうなると思う。もともと私は町づくり系の人間なので、職員時代から町づくりに携わってきて、この町の町づくりがすごく可能性があって、そしてそれが動く時期にきていてというところで、仕事についても、仕事以外の所でも、そういう人間なのでそこに戻るのかなと思っている。具体的にどうこうというのは考えていない。

Q. 長崎市長選以外の選挙に出る考えは?

それは全くない。

Q. これまで世界に平和を訴えてきた。平和関連で達成できたこと、道半ばなことは?

達成できた部分とそうでなかった部分で言うと、この16年間の中で1番印象深かったことの1つになると思うが、核兵器禁止条約の成立・発効は非常に大きなできごとだと、人類史の中でも大きなできごとなのではないかと思っている。ほとんどそれは無理だろうと言われていたし、10年近くやり続けて、たくさんの人が力をあわせて、小さい国が特に力になって、国連の中で実現するというのは、国連の中でも画期的なことで、実現したのは非常に大きなできごとだった。これが1つの足がかりになって核兵器のない世界に進んでいけるという意味では、大きな前進だったと思う。
一方で、核軍縮の分野では停滞して進まない状況続いているし、むしろ今年に入ってからは核兵器が使われるのではないかという状況にもなってきている。国連の中満さんが数年前に長崎に来たときに言っていたが、やはり市民社会の力がまだ弱いのではと。それがもって核兵器をなくせるぞ、なくそうという確信をもって取り組む力がもう少し必要なのではないかと言っていたのが心に残っていていて。そういう意味でも平和の文化の動き。被爆者がいない時代になったとき、それを、広島、長崎、つないでいけるのか。広島、長崎以外の都市も一緒になって進めないと核兵器のない世界に近づいていけないと思う。そういう意味では平和の文化というのは非常に大事なキーワードにこれからなっていくと思う。それがようやく始まったこと、それをキーワードにして取り組みが始まったところまで進んだのはよかった。
 

Q.核兵器禁止条約が大きかった点について。その発効に長崎、もしくは市長はどう寄与した。

核兵器禁止条約の成立までの源流は被爆者の皆さんであって、その活動がなければ、その発信がなければ、もともとの源流がそもそも生じていなかったというのは共通認識だと思っている。そういう意味では、長崎、広島が果たしてきた役割あると思っているし、成立の中で、平和首長会議や広島、長崎として発信してきた部分というのがあるし、核兵器禁止条約を成立させた中心メンバーの大使の人たちとも常に連携をしながら進めてきたし、それがどれくらいの力になったのかはわからないけど、その流れをしっかり推進してきた、力になっていると思う。
 

Q. きょう、勇退を表明して、今の気持ちは?

一番大きな気持ちは、先ほど申し上げた、16年間本当に、私は基本的にずっと長崎ファンだと思っているが、この素晴らしい町の市政のかじ取りを16年間も任せていただけたことを本当に光栄だと思うし、本当にそのことについて市民の皆さんに感謝している。もう1つは今の時点での気持ちで言うと、ここ何日か、特になかなか思っていることをいうことができない時期があったので、市議会で報告して、今こうして再度、皆さんの前でも、なぜそういう判断になったかを言わせていただいて、少し自分の中ではすっきりしている。

議場の田上市長

Q. 1期目の長崎と、今の長崎はどのように変わったと思う?

16年前という意味でいうと、かなり変わったと思う。それは、長崎だけが変わったわけではなくて社会が変わったのもあると思う、両方があると思う。たとえば、16年前にまず最初に市役所に持ち込んだキーワードの1つが「協働」。いろんな、大学、市、経済界、金融界の人たちが一緒になって取り組むという「協働」という考え方がほとんどなかった。協働って何ですか、という時代だった。わかりやすい例では、長崎サミットもできて一緒に考えよう、となれたし、そのころ大学の学長にお集まりいただいて、一緒にできることがあるはずだから、大学は町にとって大事な存在なので、一緒にできることを考えようという集まりを開いたことがあったが、なぜ集まったのかというような、そんな感じから。そのころは大学と市は交渉、一緒にお話しすることはなかった。今は日常的に話して、いっしょにやっていることがたくさんある。経済界ともそう。その1点を取っても時代は確実に進んできて、変わってきている。もう、協働ということばを使わないでいいくらい協働している。そういう意味では企業も意識がずいぶん変わって、CSRでサービスみたいな形でオプションで地域のためにするのではなく、地域のため、社会のために何か役に立つことをするのが企業の本体の役目という意識も広がってきている。それは官民連携とか公民連携とか言われているが包括連携協定もたくさんいろんなところと結んでいるが、そういった動きもあって本当にいろんな所が変わって来ていると思う。昭和型の縦割りの社会じゃなくて一緒に連携して、というやり方が少しずつ定着してきていると思う。そういうのがなかなか目に見えるものではないと思うが、そういったものを見据えながら今何をしているのかということを政策の中にいかしている。そういうことはすごく大事で。そういうのを15年くらい前から取り組んでいるので、少しずつ定着してきている。

 

Q. このタイミングでの引退。心残りは?

16年間取り組んできたさまざまな施策の中でまだ成果が出ていないものの1つが、人口減少対策。人口減少の流れは、まだ止めることができていないし、止めることよりも緩やかにしていくことが大事だと思うが、まだ目標に達していないし、新しい人口減少の要素も出てきている。今進めていることが大きく方向性が外れているとは思わないが、より強い施策を今後も講じていく必要があると思っている。

 

Q. 市役所も年明けに移転。現庁舎と同じくらいの時期に市長のいすを降りることについては。

市庁舎でいろいろな体験をして、育ててもらい、仲間と一緒に仕事をしながら過ごしてきたが、新しい庁舎に行くにあたって、単なる引っ越しにならないように、新しい市庁舎はほとんどの部署が同じ建物に入るので、その中でのコミュニケーションをより活発にしていこうということでもある。新しい市庁舎で新しい仕事のやり方が生まれて、市民の皆様によりたくさんのものをお返しできる、そういう仕事のしかたができる市役所になっていきたいと思うし、単なる引っ越しじゃないことを意識しながら、新しい建物で、新しい市役所の仕事が始まるといいと思う。この庁舎への感謝への思いと同時に、ともに、新しい庁舎へもすごく期待している。
 

Q. 市政を振り返って。出島メッセ長崎などについて。出島メッセ長崎はまだ開業1年。
 建てたあとの検証をせずに去ることについて引っかかる点はないか? 

出島メッセ長崎という具体的なテーマで言うと、検証までせずに、という思いは全くない。出島メッセ長崎はまだ生まれたばかりなので、どう生かして長崎の町のプラスにしていくのか、あるいは国際会議などを通じて世界に貢献できる場。どうあれを生かして長崎の町の発展につなげていくかが大事なテーマになる。そういう意味ではソフトの取り組みが非常に大事になってくる。それは出島メッセ長崎だけでなく、ほかの分野についても、そういう時代・段階にこれから入っていくので、それはまた少し時間がかかる作業なので、新しいリーダーが進めた方がいいと、先ほどの話はそういうこと。
 

Q. 住民投票の機会が5回あったが、すべて否決した。振り返って、その決定はどうだったか。 

1つずつ案件が違うので、そういう結論に至った理由も違ったし、それぞれ説明してきた。ただ、そういうことがくり返されたことで、市民の皆さんは、今回の平和公園のスポーツゾーンの件もそうだが、きちんと説明しながら、どういう状況になっているのか、ご意見も伺いながら、ただ、その時点・過去の流れだけを考えるのではなくて、未来の人たちが使うものでもあって、いろんな観点から判断していく。そういうことは今後も必要だと思うし、そういう視点を持って進めるのが責任だと思う。そういう判断の基準を1つ1つ忘れないようにしっかり判断していきたい。就任の最初の施政方針の中で、判断の基準として、5つの市民という風に考えたいと申し上げたが、1つは目の前の市民、2つめは全体、3つめは過去、4つめは未来、5つめが外・長崎にいないけど長崎に思いをはせる人。そういう、いろいろな視点で判断する必要があるので、どれか1つだけでなく、総合的に判断していくことは責任だと思う。
 

Q. 100年に1度の町づくり。何割くらい達成したと考える?

100年に1度の町作り、ハード面に限って言うと、事業化という面で言うと、かなり進んでいると、基本的な部分は。大きな幹線道路は東側から入る道路と北側から入る道路、合併したので南に通じる道路、と3つある。東側の分は高速を含め完了したし、北側が今から南北幹線道路、西彼杵道路が事業化が待っているし、南側もほとんど事業化して、あと少し残して完成を待つ。道路1つとってもかなり進んできている。浦上川沿いのゾーンの機能の更新、新しくスタジアムに付け加えるものとしているが、それもかなり見えてきている。これから判断していく。何割かは非常に難しいが、それと同時に長崎の歴史が残っている町なかの部分も、町なかプロジェクトはずっと前から町づくりを進めていて、新幹線だけを見て、新幹線が来るからと言ってやっていたわけではない。必要な町づくりは時間をかけてしっかりやってきたので、基盤作りという意味では順調に進んでいるのではないかと思う。ハード面に関しては。それがこれからソフト面がどうなっていくかが非常に重要な時期がこれから始まると、先ほどの話。
 

Q. 自分にこの10年の点をつけると?

余り点は自分でつけるもとではないと思っている。あるいは長いスパンで見ないとわからないものが多いので、それがあのころどうだったのか、その時代に必要だったものが、そのころできていたのかは、少し時代を置いてみないとわからない部分があると思う。これからバトンをつないで10年たって、全体として長崎の町作りがしっかり前に進んでいるのかということも非常に大事なことなので、また、別の立場で見守っていきたい。ただ、私自身の気持ちで言うと、この時代にバトンを持たせていただいてこのすばらしい町の町作りを進めようと思ってきたというところから言うと、自分自身はある程度役目を果たせたのではないかなと思っている。職員の皆さんの力のおかげだし、自分がひとりでできることは少ないということも16年間感じてきた。たくさんの人が力を合わせてやってきた町作りは前に進めることができたのではないかと思う。
 

Q. 立候補しないことをいつ決めた?

12月の1日まで本会議があって、そのあと少し時間がとれる形になり、そのあたりに集中的に最終決断として自分の中で整理した。
 

Q. 残り4か月の任期をどういう意識で市政にあたりたいか。

任期の最後の日までは現役というか責任が続くので、しっかりペースを緩めることなく、最後まで今のペースで走り続けたいと思う。
 

Q. 今後の基盤作りという話。田上市長ではだめだったのか?新しい人の視点必要だったのか?
10:0みたいにすると判断は簡単だが、自分でもやりたいことは確かにあるが、新しいリーダーに変われば、新しい要素が加わる、発想が加わることももある。私のことはずっと職員に伝え続けている。そういったものは残りつつ、さらにそこに新しいものを加えていくのが、次の4年間から始めるというのにふさわしいのではないか。どちらかがはっきりよかったら、もっと早くに簡単に結論が出せたと思うが、その部分は、どういう風にするのがいいんだろうと迷った。今はすっきりしている。
 

以上、およそ40分にわたる田上市長の記者会見でした。
来年4月の統一地方選は、新たなリーダーを選ぶ機会となりそうです。
みなさんが暮らす町をよりよくするために、だれにあなたの清き1票を投じるのか、注目してみてはいかがでしょうか。

  • 小島萌衣

    NHK長崎放送局 記者

    小島萌衣

    2015年入局
    沖縄局、佐世保支局を経て 現在は長崎市政や原爆・平和関連の取材を担当

  • 池田麻由美

    長崎放送局 記者

    池田麻由美

    令和2年入局
    警察担当を経て
    現在は長崎市政担当

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