「“あの日”からいろいろあったけど、1人じゃない」 宮城県気仙沼市出身・阿部愛里さん
「能登半島地震を経験した“子どもたち”へ、私がいま伝えたいこと」
このページでは、かつて東日本大震災などで家族や友人、ふるさとなどを失った“子どもたち”からのメッセージを紹介します。
宮城県気仙沼市出身の阿部愛里さん、28歳です。
中学3年生のときに東日本大震災を経験しました。
暮らしていた気仙沼の景色は、津波などで一変。
自宅は大きな被害を免れたものの、多くの人が避難所で過ごすなか、言葉でうまく表せない感情が生まれたといいます。
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阿部愛里さん
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「避難所に行けば家がない人がそこにいて、家が残った自分がいて…どう顔を合わせていいかわからない。中学生だったときは、ずっとなんか嫌だと思っていて、なんか行きたくないし、何もやりたくないし、でもそれがなんでなのかはわからないっていう状態で、ずっと家から出られなくなるみたいな感じでした」
阿部さんを少しずつ前に向かせてくれたきっかけは、支援をしてくれる人との出会いでした。
高校進学後、会社を立ち上げた人や、自転車で日本一周をした人など200人以上との出会いがあったことで、「自分の好きなように生きていい」と思えるようになったといいます。
阿部さんは今、子どもたちの学習支援を行うNPO法人で働いています。
能登半島地震の被災地にも足を運び、子どもたちに向けたイベントなども実施しました。
能登半島地震で大切な人やものを失った子どもたちへ。
阿部さんからのメッセージです。
「自分の進路とか、いろいろなことを考えると思うんですけど、今まで考えていた道はこうだったけれども、“あの日”からいろいろなことが起きた。例えば引っ越しや2次避難しなきゃいけなくなったとか、友達と会えなくなって新しい学校での友達になったとか、自分の意図と意思とは関係なく変わることになると思うので、『“あの日“から』という言い方を、多分これからもしていくことになると思うんです、10代の皆さんは。
でも、あの日からネガティブな方向に行ったということじゃなくて、『ポジティブな方向、自分が進みたい方向に進めるようになったんだ』って言える人をとにかく増やしたいなと自分の経験からもすごく思います。
助けたいと思っている人たちはたくさんいるし、何かこういうことがしたいとか、どんどんチャレンジさせてあげたいと思っている人たちってたくさんいると思っていて。私はそういう人たちがたまたまうまく見つかって、知り合えて、出会えてブラッシュアップしてもらって、いろんな機会に挑戦させてもらって。それがあるから今の自分がいるんだというふうに思っているので、逆に誰も経験したことがないことを経験したからこそ、それをどういうふうに自分の人生に生かしていけるかなって考えてもらう。
“あの日”から変わったと思うだろうけど、それがポジティブになったらいいなって」