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群馬 太田空襲 克明な記録映像残される 専門家“非常に価値”

  • 2023年10月11日
映像提供:群馬県立歴史博物館

太平洋戦争末期の昭和20年2月10日。太田市の上空には、アメリカ軍の爆撃機、B29が編隊を組み、地上では、防空頭巾をかぶった大勢の人たちが同じ方向に集団で走っていました。こうした様子を克明に記録した映像がフィルムで残されていたことがわかりました。専門家によると、「太田空襲」を伝える映像としては、これまでアメリカ軍が上空から撮影したものしか確認されていないということです。78年の時を経て、明らかになった映像。専門家は「非常に価値のある資料だ」と評価しています。

(前橋放送局 記者 丹羽由香/2023年9月・10月取材)

映像には何が

「群馬地区来襲 昭和20年2月10日」。

映像は、このような書き出しで始まります。この1分半あまりの映像について、NHKは、所有者側の許可を得て、2人の専門家に分析を依頼しました。その結果、映像にあったのは、次のようなものだったことがわかりました。

映像提供:群馬県立歴史博物館

上空の飛行機雲はアメリカ軍の爆撃機を迎撃するために発進した日本軍の戦闘機。

映像提供:群馬県立歴史博物館

防空頭巾をかぶった大勢の人たちが同じ方向に集団で走って逃げる様子。

映像提供:群馬県立歴史博物館

その上空では、アメリカ軍の爆撃機、B29が編隊を組んで飛行。

映像提供:群馬県立歴史博物館

B29が日本軍の戦闘機に体当たりをされて、きりもみ状態で墜落し、黒煙が上がる様子もありました。

軍用機の製造工場が狙われた

太田市は軍用機を製造していた中島飛行機の工場や、陸軍の飛行兵が訓練をしていた「新田飛行場」があり、戦争末期に繰り返し、アメリカ軍の空襲を受けました。

映像提供:群馬県立歴史博物館

群馬県の資料によりますと、このうち、昭和20年2月10日の空襲では163人が亡くなり、中島飛行機では150人が死亡、550人が負傷したとされています。さらに、設備面でも甚大な被害があったとしたうえで「工場機能の半数以上がまひした」と記されています。

フィルム残した85歳 “歴史を立体的に見ていく手がかりに”

フィルムを残していた原田恒弘さん(85)は、群馬県立歴史博物館の学芸員でした。41年前、「中島飛行機の工場で『写真班』だった男性が桐生市に住んでいる」と聞き、男性のもとを訪ねたということです。その男性が撮影者の金子三千雄さんで、原田さんは許可を得てフィルムを見てダビングさせてもらったといいます。

フィルムはその後、博物館で保管されていたものの映写機がなかったことなどから見られることなく40年を超える時が過ぎました。そして、博物館の資料のデジタル化に伴い9月、映写機を手配して今いる学芸員が原田さんとともに映像を確認しました。

原田さん自身は終戦10日前の昭和20年8月5日から翌日にかけてアメリカ軍の空襲を受けて535人が犠牲となった「前橋空襲」の体験者の1人で、今も語り部として活動しています。

原田恒弘さん(85)
「金子さんは工場専属のカメラマンで『あなたならばどの部分を撮ってもかまいませんよ』という『特別部隊』に所属していたと聞いている。日本側が空襲をどのように捉えていたのかがわかる映像だと思う。歴史を立体的に見ていくための手がかりになることを期待しています」

専門家の受け止め・分析は

映像の分析をNHKが依頼したうちの1人で、アメリカ軍による空襲の歴史を研究している工藤洋三さんは、アメリカ軍が残していた別の資料にあった爆撃機が組む編隊の形や、当日の天気などと照らし合わせた結果、それらが映像と一致していることを明らかにしました。工藤さんは、軍用機を製造していた中島飛行機の工場が狙われた「太田空襲」について「アメリカ軍が非常に重要だと位置づけた空襲だった」とした上で、地上からの映像について、こう語りました。

映像:2019年

工藤洋三さん(アメリカ軍による空襲の歴史を研究)
「非常に価値がある。今、生きている私たちに戦争がどのようなものだったのかを生々しく伝える映像資料だ」

そのうえで、工場から逃げる人々の様子について、こう分析しました。

「非常に早足で慌てて逃げているようにみられ、組織的な動きがあまり見受けられない。空襲を事前に察知して、従業員や学徒を早く逃がしておくといった対応ができていないことの現れだと思う。日本側の防御に対する心構えが非常に弱かったことを教えてくれる資料だ」

分析を依頼したもう1人は、大分県宇佐市の市民グループ、「豊の国宇佐市塾」のメンバーの1人、織田祐輔さんです。アメリカの国立公文書館から入手した戦時中の全国の空襲映像の分析をしています。

映像:ことし2月

織田祐輔さん(市民グループ「豊の国宇佐市塾」)
「初めて見た映像で大変、興味深く感じた。B29が墜落して炎上するまでの流れが映っていること、また、日本側が終戦直後に撮影した映像フィルムの多くが焼却処分されている中で、それが現存しているという意味でも極めて貴重な映像だと思う」

“命がけ” の映像近く寄贈・公開へ

映像提供:群馬県立歴史博物館

映像は最後に「撮影 監修 金子三千雄」、「終」という文字が写されて締めくくられています。工場専属のカメラマンだったという金子さんが、おそらく「命がけ」で撮影した貴重な映像。金子さんの家族の同意を得た上で近く、県立歴史博物館に寄贈されるということで、博物館は今後、映像を広く公開することにしています。

映像提供:群馬県立歴史博物館
  • 丹羽由香

    前橋放送局 記者

    丹羽由香

    2017年入局。
    福井局から前橋局に異動し現在、遊軍担当。
    前任地から戦争や空襲分野を中心に幅広く取材

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