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みどり市避難のウクライナ聴覚障害者 国際手話普及へ教室開催

  • 2023年05月26日

音のない、そして異国の地であるここ群馬で暮らす1人の男性がいます。

その男性はウクライナからみどり市に避難してきた聴覚障害者。母国語での手話が通じず十分なコミュニケーションは難しい状況です。それでも、自分だからこそ果たせる役割があると、地域のために力を尽くしています。

(前橋放送局 記者 中藤貴常/2023年5月取材)

避難当初 “何も考えられず”

重度の聴覚障害があるヴォロジミール・ボズコさん、48歳です。

画像提供:みどり市

去年5月、仲間と5人でみどり市に避難。笑顔を見せていましたが、心の内は違っていました。

ヴォロジミール・ボズコさん
「日本に到着した時にうれしい気持ちは全くありませんでした。何も考えられませんでした」

画像提供:吹野昌幸さん

このみどり市に呼び、支えたのは、9年前に日本を旅行した時に観光ガイドをしてくれた同じ聴覚障害者の吹野昌幸さんでした。

みどり市在住 吹野昌幸さん
「3月上旬にボズコさんたちと連絡がつき『やせたな、大変そうだな』と感じました。私も心配になって日本に避難したらどうかと提案しました」

画像提供:ボズコさん

ヴォロジミール・ボズコさん
「音による情報が全く入らないので、何か爆撃があっても自分の体で感じるくらいの振動で初めて気がつきます」

「国際手話」できる人は少数 「代弁者」になってくれた人が

戦禍にある母国を思いながら過ごす、慣れない異国での音のない避難生活。課題は、国際手話の普及度の低さでした。

国際手話は、国や地域によって異なる手話を使う人たちが意思疎通を図るためにあります。

こちらが日本の手話の「おはよう」です。

そして、こちらが国際手話の「おはよう」。全く異なるのがわかります。

母国で観光ガイドを務め国際手話ができるボズコさん。一方、日本ではできる人が限られています。

その数少ない1人が、みどり市の吹野さん。いつもそばでボズコさんの思いを伝える「代弁者」となりました。

ボズコさん

「吹野さんは本当の父親のような存在です」

「国際手話」普及へ教室開催 観光ガイドも

支えを受けた自分にも、この地域でできる貢献がある。ボズコさんが去年11月から始めたのが「国際手話教室」です。

週に1回、2時間、みどり市の施設で開き、聴覚障害のある人もない人も参加しています。
この日のメインは「色」についての国際手話の学習です。

「服の色、紺です」

ボズコさんは、吹野さんのサポートも得ながら懸命に伝えます。

教室の開始から半年。
障害の有無、ことばの違い、手話の違いを越えて、コミュニケーションを深めています。

参加した女性
「すごくいっぱい頭の中に入ってきてパンクしそうでしたが楽しかったです」

さらに、母国での経験を生かし、国際手話で地域の魅力を発信する「観光ガイド」の仕事も始めました。

この日は、県内外の聴覚障害者を対象に、みどり市にあるしょうゆを仕込む「蔵」を案内しました。まだ始めたばかりですが海外からも訪れ評判も上々です。

参加した聴覚障害者の女性
「わかりやすかったです。(町の魅力を)皆さんに広めて欲しいと思いました」

ヴォロジミール・ボズコさん
「ツアーに参加する外国のろう者に『よい体験ができた、すてきな旅だった』と、感動させてあげたいです」

違い認め、交流深める世界に

避難から1年がたち、生活にも慣れてきたというボズコさん。

画像提供:ボズコさん

ただ、現地に残る母や友人のことを忘れる日はありません。

仕事で得た収入と募金を元に支援物資を送っています。何より願っているのは1日でも早い終戦と、多くの違いを認め合い交流を深める世界の姿です。

ヴォロジミール・ボズコさん
「いつか、ウクライナと日本のろう者をつなぐ懸け橋になりたいです。ウクライナと日本、お互いの文化を深く知り合いたいです」

背景にデフリンピック 果たす役割は大

ボズコさんが国際手話の普及を進める背景には東京で2年後に開かれる聴覚障害者のスポーツの祭典、「デフリンピック」があります。ここでの人材育成が急務だということです。また、国際手話の普及を進める日本の団体によりますと、国内で国際手話を通訳レベルでできる人は10人ほどしかいないということで、団体は、ボズコさんの果たす役割に強く期待しています。

  • 中藤貴常

    前橋放送局 記者

    中藤貴常

    警察・司法を担当後、現在は両毛広域支局で行政・スポーツなどを幅広く取材

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